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男なのにOL扱いされるエンジニアの日常  作者: 江戸川竜也


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第56話 恋愛のトラウマ

 月曜日。


 昼休み。


 フロアで二人。


 美咲がお弁当を食べながら、少し真剣な顔をしていた。


「先輩」


「ん」


「聞いていいですか」


「内容による」


「声が変わってから、好きな人はいましたか」


俺は少し止まった。


「……なんでそれを聞く」


「気になっていたので」


「まあ」


「いましたか」


俺は少し間を置いた。


「……一度だけ」


「そうですか」


「OL扱いが始まってからの話だ」


「はい」


「相手は俺を女性だと思っていた」


「……はい」


「まあ、そういう状況だったので、それは仕方なかった。ただ、好意があると思っていた」


「相手も先輩に?」


「そう見えた。まあ、そういう時期があった」


「それで」


「男だと告げた」


美咲はお弁当の箸を止めた。


「……何て言われましたか」


俺は少し間を置いた。


「『え、そうなの。ごめん、なんか違う』と言われた」


フロアが静かになった。


空調の音だけが聞こえた。


「……先輩」


「悪い人間じゃなかった。本当のことを言っただけだ」


「でも」


「好きだったのは、女性だと思っていた俺だった。男だと分かったら、違った。それだけのことだ」


「それだけのことじゃないです」


「美咲」


「先輩が傷ついたのに、それだけのことじゃないですよ」


俺は少し止まった。


「……まあ」


「怒っていいですよ、そういう時は」


「怒っていない」


「先輩はいつもそう言いますよね」


「事実だからだ」


「でも」


美咲は少し俯いた。


「……私は怒ってます」


「お前が怒ることじゃない」


「怒ってます」


「……まあ」


---


しばらく黙って食べていた。


美咲が静かに言った。


「先輩、その後どうしましたか」


「何が」


「その経験の後」


「……OL扱いされている俺への好意は、俺への好意じゃないと思うようになった」


「そうですか」


「女性だと思って近づいてきた人間の好意は、受け取れない。受け取ったところで、男だと告げたら変わる」


「……そう思ったんですね」


「まあ」


「だから」


俺は少し間を置いた。


「……誰かが近づいてくるたびに、少し身構えるようになった」


「身構える」


「これはいつか変わる好意だ、と思うようになった」


美咲は静かに聞いていた。


「先輩」


「ん」


「私が近づいてくる時も、身構えてましたか」


俺は少し止まった。


「……最初は、まあ」


「最初は、ですか」


「最初はそうだった。距離が近い後輩だと思っていた。でもいつか変わると思っていた」


「変わりましたか、私」


「……変わらなかった」


「いつから変わらないと思いましたか」


「……配属初日から変わらなかった。男だと告げたその日から、距離が同じだった」


「そうですね」


「だから」


一拍。


「……怖くなくなった」


美咲はしばらく俺を見ていた。


「先輩」


「ん」


「二つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「一つ目。術前の話も、術後の話も、私に初めて話してくれましたよね」


「……まあ、そうだな」


「なんで私に話してくれたんですか」


俺は少し考えた。


「……お前だからだ」


「お前だから、というのは」


「……お前が変わらなかったからだ。声が変わる前の話も、変わってからの話も、お前は同じ顔で聞いていた」


「……そうですか」


「変わらない人間には、話せる」


美咲は少し目を伏せた。


それから、また顔を上げた。


「二つ目」


「何だ」


「その人のことは、今でも怒ってますか」


「怒っていない」


「本当に」


「本当だ。悪い人間じゃなかった」


「でも先輩」


美咲は真剣な顔で言った。


「先輩が傷ついたのは事実じゃないですか」


「……まあ」


「先輩の声が変わったのは、バンドのためだって言ってましたよね」


「まあ」


「でも根っこには、声が原因で傷ついた経験があって」


「……まあ」


「それで、OL扱いの好意を受け取れなくなって」


「……まあ」


「先輩、ずっと一人で抱えてきたんですね」


俺は何も言えなかった。


「私は」


美咲は静かに言った。


「先輩が何でも、ずっと同じです」


「……まあ」


「術前の声も知らないし、OL扱いが始まった最初も知らないけど」


「うん」


「先輩が先輩だから、ずっと同じです」


「……まあ」


「声が変わっても、変わらなくても」


「……まあ」


「男でも、女でも」


「……まあ」


「ずっと同じです」


俺は少し間を置いた。


「……そうか」


「そうです」


「……ありがとう」


「別にです」


「別にじゃない」


「……ありがとうございます」


NIAが静かに言った。


「マスター」


「なんだ」


「本日の会話を記録しました」


「するな」


「術後のトラウマを話しました」


「……まあ」


「それが聞きたかったんですよね、ずっと」


「何が」


「ずっと同じです、という言葉が」


「……消せ」


「保存しました」


「それと」


「何だ」


「お前だからだ、と言いました」


「……まあ」


「術前のトラウマも、術後のトラウマも、美咲に話した理由です」


「……まあ」


「どちらも、お前だからだ、ですね」


「……消せ」


「保存しました」


---


昼休みが終わった。


仕事に戻った。


監視画面は緑のままだった。


術前のトラウマ。


術後のトラウマ。


どちらも、美咲に話した。


どちらも「お前だからだ」という理由だった。


美咲は変わらなかった。


声が笑われた話を聞いても。


告げたら変わった相手の話を聞いても。


同じ顔で、同じ距離で、「ずっと同じです」と言った。


……それが。


全部の答えだった。


ただ言葉にするのには、まだ少し時間がいる。


でも。


もう、遠くない。


本当に、遠くない。

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