第45話 奏、登場
日曜日。
昼。
44話の翌日。
部屋で過ごしていた。
昨日決めた。
「言う」と決めた。
ただ「どう言うか」がまだ分からなかった。
どう言うか、というのは言葉の問題だと思っていた。
ただ考えているうちに、言葉よりも先に「いつ言うか」の問題があることに気づいた。
タイミングが分からない。
仕事の話の流れで言うのは違う。
また飲み会の流れで言うのも違う。
日常の中で、自然に言える場面が来るかどうか。
……そんなことを考えていた時だった。
スマホが震えた。
画面を見る。
「奏」と表示されていた。
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白石奏。
幼馴染だ。
小学校から高校まで同じだった。
デザイナーをしている。
27歳。
小柄で、可愛い系の顔をしている。
そして。
俺のことを、ずっと女だと思っている。
手術前から知っている。
声が変わったことも知っている。
それでも。
「凛ちゃん」と呼んで、昔と変わらず接してくる。
訂正したことが何度かあった。
そのたびに「えー、でも凛ちゃんは凛ちゃんだし」と言って、また「凛ちゃん」に戻る。
もう諦めていた。
メッセージを開いた。
奏:『凛ちゃん久しぶり! 今夜暇? 遊びに行っていい?』
俺は少し考えた。
返信した。
『暇』
奏:『やった! 泊まっていい?』
『まあ』
奏:『ありがとー! 夕方行く!』
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夕方。
インターホンが鳴った。
ドアを開けると、奏が立っていた。
「凛ちゃん久しぶり!」
「おう」
「変わらないね〜」
「まあ」
奏は当然のように部屋に入った。
コートを脱ぎながら、部屋を見回した。
「相変わらずすっきりしてるね」
「荷物が少ない」
「インフラエンジニアっぽい部屋」
「インフラエンジニアに部屋の特徴はない」
「でもなんかそんな感じする」
奏は荷物を置いて、ソファに座った。
遠慮がない。
昔からそうだ。
「凛ちゃん、お茶ある?」
「ある」
「入れてー」
「自分で入れろ」
「えー」
結局、俺が入れた。
奏はソファでくつろいでいた。
「ありがとー。凛ちゃん優しい」
「優しくない」
「優しいよ〜」
NIAがイヤホンから言った。
「マスター」
「なんだ」
「白石奏を確認しました」
「するな」
「幼馴染。凛マスターを女性と認識しています」
「知ってる」
「訂正しますか」
「しない」
「了解しました」
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夜。
二人で飯を食った。
奏はよくしゃべった。
仕事の話。
最近見たデザインの話。
共通の知人の話。
「そういえばさ」
奏が言った。
「凛ちゃん、バンドまだやってるの?」
「やってる」
「ライブ行っていい?」
「来月はない。再来月にある」
「行くー! あ、チケット取っといて」
「……まあ」
「凛ちゃんのライブ、好きなんだよね。声が格好いいから」
俺は少し止まった。
「そうか」
「昔の声も好きだったけど、今の声の方が好き」
「……そうか」
「あの時、声気にしてたよね」
「……まあ、少し」
「手術するって聞いた時、びっくりしたけど」
「そうだったな」
「でも凛ちゃんが決めたんだから、それでいいと思って」
「まあ」
「今の声、好きだよ」
俺は少し止まった。
奏の「好き」は友人としての言葉だ。
分かっている。
ただ。
最近、「好き」という言葉に少し敏感になっている自分がいた。
美咲が「好きです」と言った。
「先輩の声、好きです」
「先輩のこと好きです」
「仕事の話です」
「半分くらい」
「全部見た上で好きです」
最近、その言葉を聞く機会が増えた。
だから「好き」という言葉に、少し反応するようになっていた。
「凛ちゃん?」
「何」
「ぼーっとしてた」
「考えてた」
「何を」
「別に」
奏はじっと俺を見た。
「凛ちゃん」
「何」
「最近、誰かのこと考えてる?」
俺は少し止まった。
「なんで」
「なんとなく」
「……考えてない」
「嘘だー」
「嘘じゃない」
「凛ちゃんって嘘つく時、少し間があくんだよね」
「……そんなことはない」
「あるよ。ずっと一緒にいたから知ってる」
俺は何も言えなかった。
奏はにやっとした。
「誰?」
「言わない」
「えー! 教えてよ」
「言わない」
「凛ちゃんに好きな人ができるとは思わなかった」
「できてない」
「嘘だー」
「できてない」
「また間があいた」
俺はため息をついた。
「……仕事の後輩だ」
「へえ!」
「それだけだ」
「それだけじゃないじゃん、絶対」
「それだけだ」
「どんな子?」
「……うるさくて距離が近い」
「凛ちゃんタイプじゃん」
「タイプじゃない」
「でも嫌いじゃないんでしょ」
「……まあ」
「まあって認めてるじゃん!」
奏が声を上げた。
「認めてない」
「認めてるよ! 凛ちゃんが誰かのことで『まあ』って言ったの、初めて見た」
「そんなことはない」
「あるよ! 私が知ってる凛ちゃんは、人のことで『まあ』なんて言わなかった」
俺は何も言えなかった。
奏はしばらく俺を見て、それからにこっとした。
「よかった」
「何が」
「凛ちゃんに、そういう人ができたこと」
「……できてない」
「できてるよ」
「……」
「告白した?」
「してない」
「するの?」
「……する」
言ってしまった。
「おー!」
「うるさい」
「いつ?」
「……分からない」
「でも、するんだ」
「……まあ」
奏は嬉しそうに笑った。
「凛ちゃん、ちゃんと言うんだよ」
「……分かってる」
「言えそう?」
「……まあ」
「絶対言うんだよ」
「分かってる」
「約束ね」
「……まあ」
NIAがイヤホンから静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「白石奏との会話を記録しました」
「するな」
「注目ワード」
「出すな」
「『する』と言いました」
「……消せ」
「保存しました」
「二人目です」
「何が」
「告白する、と宣言した相手が二人になりました」
「……NIA」
「はい」
「二人目、というのはどういう意味だ」
「44話でNIAに向かって『言う』と言いました」
「……まあ」
「今日は奏さんに向かって『する』と言いました」
「……まあ」
「逃げ道が減っています」
「……うるさい」
「保存しました」
奏は部屋を見回しながら言った。
「その後輩の子、いい子なんだろうね」
「まあ」
「凛ちゃんが動くくらいだから」
「……動いてない」
「動いてるよ。凛ちゃんが誰かのことで悩むなんて、昔はなかったから」
「悩んでない」
「悩んでるよ」
奏は少し間を置いてから言った。
「凛ちゃん、変わったね」
「そうか」
「いい方向に」
「……そうか」
「その子のおかげでしょ」
「……まあ」
「まあって言いすぎ」
「……そうかもしれない」
奏は笑った。
俺も、少し笑った。
久しぶりに、少し笑った。
「マスター」
NIAが最後に言った。
「なんだ」
「今夜、口角が上がった回数を記録しました」
「するな」
「白石奏との会話中、3回です」
「……消せ」
「保存しました」
「それと」
「何だ」
「最近では多い方です」
「……知ってる」
「なぜだと思いますか」
「……分からない」
「本当に分かりませんか」
「……まあ」
「保存しました」
夜が更けていった。




