第38話 OLの正体
物販コーナーの端に、少し広めのスペースがあった。
お客さんが引けてきた頃。
悠斗が会社メンバーを連れてきた。
沙羅、三好、美咲。
全員がメイクをしたままの俺を見ていた。
「……神代さん」
三好が言った。
「はい」
「あれが、神代さんですよね」
「そうです」
「さっきステージで歌ってた」
「そうです」
三好はしばらく俺を見た。
「全然違いますよ……」
「メイクしてるからだ」
「メイクだけじゃないですよ……なんか、雰囲気が……」
「ライブ用だ」
三好はまだ固まっていた。
「デスボイス……あれ、神代さんだったんですね……」
「そうです」
「会社で聞いてた声と全然違った……」
「技術だ」
「怖かった……いい意味で……」
「怖くない」
「いや怖かったですよ……でも格好よかった……でも怖かった……」
三好はしばらくその場でぐるぐるしていた。
沙羅が静かに言った。
「凛さん」
「はい」
「ライブ、よかった」
「ありがとう」
「前から薄々思ってたけど」
「何を」
「凛さんって、何かある人だなと思ってた」
「何かとは」
「上手く言えないけど」
沙羅は少し笑った。
「なるほどね、って感じがした」
「そうですか」
「インフラで仕事が速くて、メイクが詳しくて、バンドのボーカルで」
「全部バラバラだ」
「でも全部凛さんだよね」
俺は少し止まった。
「……そうですね」
「よかった、見に来て」
「驚かせてすみません」
「驚いたけど、いい驚きだった」
その時だった。
「神代さん!」
聞き覚えのない声。
振り向くと、そこに三崎がいた。
三崎恒一。
情シスの三崎さんだった。
「……三崎さん?」
「来てたんです」
「なんで」
「あの、実は」
三崎は少し照れた顔をした。
「チケットが余ってると聞いて」
「誰から」
三崎は少し視線を逸らした。
「……黒川さんから」
悠斗だった。
完全に黒幕だった。
悠斗はにやっとしていた。
「よかれと思って」
「余計なことを」
「まあまあ」
三崎はまだメイクをした俺を見ていた。
しばらく固まっていた。
「神代さん……デスボイス……」
「はい」
「あれが神代さんだったんですね」
「そうです」
「信じられない……」
「本人です」
「神代さんって、こういうことも……」
「趣味です」
「趣味……」
三崎はしばらく何かを言いかけていたが、言葉が出てこないようだった。
ただ。
俺を見る目が、少し変わっていた。
仕事上で見ていた目とは違う。
より、真剣な目だった。
美咲がそれを横で見ていた。
表情が、少し固かった。
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しばらくして。
涼と真と剛も物販の片付けを終えて来た。
悠斗が紹介した。
「こっちが凛の会社の人たち」
「よう」
「よろしくです」
「こっちがバンドメンバー。ギターの涼、ベースの真、ドラムの剛」
「はじめまして!」
三好が元気よく頭を下げた。
「すごかったです!」
「ありがとう」
「神代さんって、会社ではOLみたいな感じなんですけど」
「聞いてる」
真がにやっとした。
「そうそう、結城って後輩の子」
「はい?」
美咲が反応した。
「凛からよく聞いてるよ」
「え」
「グループチャットでよく話してた」
「……先輩が、私の話を?」
「そう。なんかよく報告してた」
美咲は少し、俺を見た。
「先輩」
「……別にそういう意味じゃない」
「どういう意味ですか」
「教育担当だから」
「でも報告してたんですよね」
「……まあ」
真がにやにやしている。
「凛って後輩の話になると少し違うんだよな」
「違わない」
「声のトーンが変わる」
「変わらない」
「NIAに確認する?」
「しなくていい」
NIAがイヤホンから言った。
「マスター」
「黙れ」
「声のトーン分析の結果を」
「黙れ」
「保存しました」
美咲がくすっと笑った。
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少し経って。
お客さんがほとんどいなくなった。
片付けが始まった。
涼と真と剛はバンドメンバーとして引き上げていった。
「また来てよ」
「ありがとう」
「凛、よかったぞ」
「ありがとう」
悠斗が言った。
「俺も帰るわ」
「黒幕のくせに」
「いいことしたろ」
「余計なことを」
「そうは思ってないくせに」
悠斗はにやっと笑って先に出ていった。
三好と沙羅もそろそろ帰ると言った。
「神代さん、今日はよかったです」
「ありがとう」
「また来ていいですか」
「……まあ」
「やった」
「でもサプライズはやめてください」
「善処します」
三好と沙羅が帰った。
三崎も帰った。
三崎は帰り際に、もう一度俺を見た。
「神代さん」
「はい」
「今日のこと、改めて」
「改めて?」
「また話を聞かせてください」
「仕事の話ですか」
三崎は少し間を置いた。
「……まあ、そういうことにしておきます」
静かに去っていった。
美咲がそれを見送った。
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残ったのは俺と美咲だけになった。
ライブハウスのスタッフが片付けをしている。
二人で少し、立っていた。
「先輩」
「ん」
「三崎さん、また来ますよ」
「仕事の話だろ」
「……そうですかね」
美咲は少し考えるような顔をした。
それから、俺を見た。
「先輩」
「何だ」
「今日のライブ」
「うん」
「全部見ました」
「そうか」
「ステージも、物販も、今も」
「そうか」
美咲はしばらく俺を見ていた。
ステージメイクをした俺を。
まっすぐ見ていた。
「怖くなかったか」
「全然」
「本当に」
「先輩だから」
また、その言葉だった。
「先輩だから」
「そうだ」
「怖くならないのか」
「なりません」
美咲は少し笑った。
「先輩って」
「何だ」
「まだ信じてないんですか」
「何を」
「私が引かないって」
「……引かないとは思ってる」
「じゃあいいじゃないですか」
「まあ」
美咲はまた俺を見た。
今度は少し、真剣な顔だった。
「先輩」
「ん」
「全部見た上で言いますけど」
「何だ」
「先輩のこと、好きです」
俺は少し止まった。
「仕事の話ですか」
美咲は少し笑った。
「半分くらいは」
「半分か」
「はい」
「残り半分は」
「……また今度」
また今度だった。
でも今度の「また今度」は、少し違う温度があった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「新規ログを記録します」
「やめろ」
「タイトル」
「出すな」
「全部見た上で、好きです」
「……消せ」
「保存しました」
「それと」
「何だ」
「半分」
「うん」
「26話と同じ言葉です」
「……知ってる」
「残り半分は、増えていますか」
俺は何も言わなかった。
美咲はもう歩き出していた。
「先輩、帰りましょう」
「……そうだな」
二人でライブハウスを出た。
夜の下北沢。
空気が冷たかった。
「全部見た上で、好きです」
26話の時は「半分くらいは仕事の話」だった。
今日は「半分くらい」だった。
仕事の話、という言葉がなかった。
……少し、増えているのかもしれない。
それが何を意味するか。
俺には、もう分かっていた。
ただ。
言葉にするのには。
もう少しだけ、時間がいる。




