第37話 美咲、ライブに来る
この話は少し、美咲の視点から始まる。
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その日の午後。
美咲の携帯に連絡が来たのは、十八時頃だった。
悠斗:『今夜、凛のライブ行くか? チケット余ってるから』
美咲はしばらく画面を見た。
先輩からチケットを一枚もらっていた。
でも、悠斗さんからも連絡が来た。
美咲:『先輩からもらいました! 行きます!』
悠斗:『そうか。じゃあ高城さんと三好さんにも声かけてみるわ』
美咲:『えっ、先輩知ってますか?』
悠斗:『知らない。サプライズで行こう』
美咲:『いいんですか?』
悠斗:『凛のやつ、来るなって言いそうだから事後報告の方がいい』
美咲:『確かに……』
悠斗:『あいつを驚かせよう』
美咲は少し笑った。
悠斗さんは、先輩の友人らしい。
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会場に着いたのは十九時過ぎだった。
沙羅と三好も来ていた。
悠斗が案内してくれた。
地下に続く階段を降りると、独特の空気があった。
「なんか、すごい雰囲気ですね」
三好が言った。
「普通のライブハウスだよ」
悠斗が答えた。
「来たことない?」
「あんまり」
「凛のライブ、迫力あるから覚悟しといた方がいい」
「どういう意味ですか」
「見たら分かる」
沙羅は興味深そうに周りを見ていた。
「こういう場所、久しぶりだな」
「高城さんは来たことあるんですか」
「昔ね」
美咲はドリンクを受け取りながら、ステージを見た。
暗い照明。
ギターアンプが並んでいる。
一組目のバンドが始まった。
大きな音だった。
三好が少し引いていた。
「これ、全部こういう感じですか」
「まあそういうジャンルだから」
「神代さんもこういう感じで歌うんですか?」
「もっとすごい」
「もっと?」
美咲は黙って一組目を聴いていた。
二組目が終わった。
転換が始まった。
ステージが暗くなる。
スタッフが動いている。
「次が凛たちだよ」
悠斗が言った。
美咲は少し息を吸った。
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暗転のまま。
客席がざわついていた。
静かな数秒。
ドラムのカウントが入った。
ギターが来た。
重い。
ベースが加わった。
ドラムが爆音で来た。
美咲は少し前に出た。
照明がついた。
ステージに、知っている人がいた。
でも。
知っている人とは全然違う顔だった。
黒いステージ衣装。
濃いアイライン。
シャドウを入れた目元。
中性的なビジュアルが、照明の中でさらに際立っている。
それが。
神代凛だった。
口が開いた。
声が出た。
クリーンボイス。
会社で聞いている声とは違う。
もっと力強く、もっと伸びやかで、もっと高くて。
でも確かに、先輩の声だった。
美咲は動けなかった。
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「うわっ」
三好が驚いた声を出した。
「あれ神代さんですか」
「そうだよ」
悠斗が答えた。
「全然違う……」
「でしょ」
「あの雰囲気……」
沙羅は静かにステージを見ていた。
「凛さんって、こういうことやってたんだ」
「ずっとやってる。俺が大学で知り合った時からだよ」
「知らなかった」
美咲はそれ以上、周りの声が入ってこなかった。
ステージだけを見ていた。
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二曲目になった。
テンポが上がった。
凛の声が変わった。
デスボイスだった。
カラオケで聴いたやつと違う。
全然違う。
スタジオで出してもらった時とも違う。
ライブの音量と熱気の中で出るデスボイスは。
低くて重くて。
腹の底まで来るような声で。
美咲は少し、息が止まった。
三好が横で「こわっ……いい意味で……」と言っていた。
美咲は違った。
怖くなかった。
ただ。
目が離せなかった。
ステージの上の凛が。
まっすぐ前を見て。
全力で声を出して。
会社では絶対に見せない顔をしていて。
それでも。
確かに、先輩だった。
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三曲目。
ミドルテンポの曲。
クリーンとデスを交互に使う曲だった。
透明な声が来る。
深い声が来る。
透明な声が来る。
また深い声が来る。
美咲は、ずっと見ていた。
悠斗が横で小声で言った。
「どう?」
「……すごいですね」
「そうだろ」
「全然知らなかった」
「知らないよな、普通」
「でも」
美咲は少し間を置いた。
「先輩だ、って分かります」
「そうか」
「声が、先輩の声だから」
悠斗は少し笑った。
「そういうこと言うんだな」
「え?」
「いや、なんでもない」
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七曲目。
最後の曲が始まった。
クリーンボイスで入ってきた。
最初からやさしい声だった。
サビに向かって声が大きくなる。
デスボイスに変わった。
全力だった。
照明が激しく動く。
音が会場を満たす。
そして。
最後のサビ。
またクリーンに戻る。
一番高い音域で。
伸ばした声が、会場に響いた。
照明が落ちた。
暗転。
歓声が来た。
「ありがとうございました」
凛の声がマイクから聞こえた。
いつもの声だった。
会社で聞いている、あの淡々とした声だった。
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ライブが終わった。
三好がまだ興奮していた。
「すごかった……神代さん、あんな感じだったのか……」
「ね」
「全然イメージが違いすぎる」
「でも神代さんだよ」
沙羅が言った。
「なんか、納得した気がする」
「何がですか」
「凛さんって、何でも本気でやるんだなって。仕事も、バンドも」
美咲は黙って聞いていた。
悠斗が言った。
「じゃあ物販のところに行こうか。凛が出てくるかもしれない」
「物販?」
「グッズとか売るコーナー。バンドのメンバーが来ることもある」
「行きます!」
三好が先に動いた。
物販コーナーに向かって歩いた。
そして。
出口付近で、美咲は止まった。
前を歩く三好と沙羅が気づいた。
「どうした?」
「……あそこに」
物販のコーナーに、凛がいた。
メイクをしたまま。
お客さんと話していた。
淡々と、でも丁寧に話していた。
会社での話し方と同じだった。
美咲は少し、そのまま見ていた。
ステージ上の凛と、物販で話している凛が。
同じ人だった。
全部同じ人だった。
「どっちも先輩です」
自分がそう言ったことを思い出した。
本当に、どっちも先輩だった。
そしてどっちも。
美咲は少し、目を伏せた。
その時。
お客さんと話していた凛の視線が、こちらを向いた。
目が合った。
凛はしばらく、美咲を見た。
美咲も見た。
ステージメイクをした凛の顔が、少し動いた。
驚いたような。
でも、表情はすぐ落ち着いた。
いつものポーカーフェイスだった。
悠斗が凛の横に立って、にやっとした。
「よう」
「……黒幕」
「そう言うな」
凛の視線が、また美咲に来た。
美咲は少し間を置いてから言った。
「……来ました」
「見えてる」
「よかったですか」
「……まあ」
美咲は少し笑った。
「先輩」
「何だ」
美咲はまっすぐ凛を見た。
「かっこよかったです」
凛は何も言わなかった。
美咲も何も言わなかった。
しばらく、二人の間に沈黙があった。
その沈黙は。
悪くなかった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「新規ログを記録します」
「やめろ」
「タイトル」
「出すな」
「全部見ました」
「……消せ」
「保存しました」
美咲の後ろで、三好と沙羅と悠斗が来ていた。
これから、少し騒がしくなる。
それは分かっていた。
ただ。
今この瞬間は。
美咲の「かっこよかったです」という言葉だけが、頭にあった。




