第39話 会社騒然
月曜日。
朝。
インフラ運用課。
コーヒーを飲みながら監視画面を見ていた。
緑。緑。緑。
平和だった。
その時だった。
「マスター」
NIAだ。
「なんだ」
「社内掲示板を確認しました」
「するな」
「新規投稿が複数あります」
「読むな」
「タイトルだけ」
「やめろ」
「『神代さん実はバンドマンだった件』」
「……」
「『神代さんのライブ行った人いる?』」
「……」
「『インフラの神代さんがメタルボーカルで草』」
「……消せ」
「保存しました」
ため息をついた。
週末のライブが、もう広まっていた。
三好だ。絶対三好が広めた。
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少し経って、美咲が来た。
「おはようございます!」
「おはよう」
「先輩、もう掲示板見ましたか」
「見なかった。NIAが報告した」
「大変なことになってますよ」
「知ってる」
「でも先輩」
美咲はにこっとした。
「ライブ、よかったですよ。本当に」
「……まあ」
「まあじゃないです。すごくよかった」
「普通のライブだ」
「普通じゃないです」
その時だった。
「神代さん!」
三好が飛び込んできた。
「昨日の投稿見ましたか!」
「見た」
「反響すごいですよ!」
「誰が広めたんですか」
「あ」
「三好さん」
「ちょっとだけです! すごかったので!」
「やめてください」
「でも神代さんのライブ、本当にすごかったので! みんなに知ってほしくて!」
「知ってほしくない」
「でも!」
三好はまだ興奮が冷めていないようだった。
「神代さんってインフラエンジニアで、OLみたいな雰囲気があって、メイクが詳しくて、バンドのボーカルで」
「うん」
「どんだけ引き出しあるんですかって感じで」
「別にそういう話じゃない」
「でもすごいですよ!」
三好は少し真剣な顔をした。
「神代さん、本当に格好よかった。俺、正直見に行って感動しました」
「ありがとうございます」
「また行っていいですか」
「……まあ」
「やった!」
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昼前。
三崎が来た。
「神代さん」
「はい」
三崎は少し、いつもと違う顔をしていた。
「土曜日は」
「はい」
「驚きました」
「すみません」
「いや、謝らなくていいですが」
三崎はしばらく俺を見た。
「神代さんって、本当に色々な面を持ってるんですね」
「普通です」
「普通じゃないですよ」
「仕事とバンドは別のことです」
「でも同じ人がやってる」
「まあ」
三崎は少し間を置いた。
「神代さん」
「はい」
「ステージの神代さんも、会社の神代さんも」
「うん」
「どっちも神代さんですよね」
俺は少し止まった。
「そうですね」
「なんか」
三崎は少し困ったような、でも真剣な顔で言った。
「改めて思ったんですが」
「何を」
「神代さんって、すごい人ですよ」
「大げさです」
「大げさじゃないです」
三崎はそれだけ言って、戻ろうとした。
でも、少し振り返った。
「神代さん」
「はい」
「次のライブも、声かけてもらえますか」
「……まあ」
「ありがとうございます」
三崎が戻っていった。
美咲がそれを見ていた。
いつもより少し、静かな顔をしていた。
「美咲」
「なんですか」
「何か言いたいことがあるなら言え」
「別にないです」
「嘘をつくな」
「……三崎さん、また来るって言いましたよ」
「そうだな」
「先輩、嬉しいですか」
「仕事の延長だ」
「ライブは仕事じゃないですよ」
「……まあ」
美咲は少し俺を見た。
「先輩って」
「何だ」
「気づいてますか」
「何に」
「三崎さんのこと」
「真面目な人だ」
「それだけですか」
「……仕事の話だ」
「ライブに来るのは仕事じゃないですよ」
俺は何も言えなかった。
美咲はため息をついた。
「先輩って、本当に気づかないんですね」
「何に気づかないんだ」
「……別にいいです」
また「別にいいです」だった。
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昼休み。
社内の至る所で、俺の話が出ているらしかった。
「神代さんって、ライブでもOLっぽいんですか?」
「OLっぽくない」
「でもステージ衣装でも可愛かったらしいですね」
「違う」
「中性的なビジュアルって言ってた人がいました」
「それはまあ」
「デスボイスが格好よかったって」
「ありがとうございます」
「メイクが上手かったって」
「それはバンドのためです」
NIAが言った。
「マスター」
「なんだ」
「本日の社内評価を分析しました」
「するな」
「OL評価」
「やめろ」
「上昇」
「……」
「インフラ能力評価も上昇」
「まあ」
「バンドボーカル評価が新規追加されました」
「なんの評価だ」
「格好いい説、93%」
「消せ」
「保存しました」
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午後。
沙羅が来た。
「神代さん」
「はい」
「今日、色々と大変だったね」
「まあ」
「みんな驚いてる」
「そうですね」
「でも」
沙羅は少し笑った。
「悪い反応じゃないよ」
「そうですか」
「みんな、もっと神代さんのことを知りたがってる」
「仕事の話だけでいいです」
「そうはいかないよ」
「なんでですか」
「だって神代さん、面白いから」
「面白くない」
「面白いよ」
沙羅は少し間を置いた。
「ライブ、よかった。本当に。来てよかった」
「ありがとうございます」
「また誘ってね」
「……まあ」
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夕方。
フロアが少し落ち着いた頃。
美咲が隣に来た。
「先輩」
「ん」
「今日一日、どうでしたか」
「騒がしかった」
「そうですよね」
「予想はしてた」
「チケット渡さなければよかったですか」
俺は少し考えた。
「……まあ、よかった」
「え?」
「渡してよかった」
美咲はしばらく俺を見た。
「先輩が『よかった』って言うの珍しいですよ」
「普段言ってる」
「こういう文脈では珍しいです」
「そうか」
「なんでよかったんですか」
俺は少し考えた。
「全部見てもらった方が、楽かもしれない」
「全部って?」
「会社の俺も、ライブの俺も」
「全部先輩ですよ」
「分かってる」
「じゃあよかったんですよ」
「まあ」
美咲はにこっとした。
「先輩」
「何だ」
「でも神代さんは神代さんですよね」
俺は少し止まった。
「それ」
「何ですか」
「さっきも三崎さんが言ってたな」
「そうですか」
「それを言ったのは」
「私が最初に言ったんです」
美咲はさらっと言った。
「第二十話で言いました。先輩が男だってバレた日に」
俺は少し止まった。
「……覚えてるのか」
「覚えてます」
「あの時も言ってたのか」
「言いました」
美咲は少し笑った。
「先輩って、私が言ったことを覚えてないですよね。よく」
「……まあ」
「NIAは全部覚えてますよ、きっと」
「するな」
NIAが言った。
「マスター」
「黙れ」
「第二十話から本日まで」
「黙れ」
「結城美咲の発言ログ」
「絶対黙れ」
「件数は」
「黙れ」
「保存しました」
美咲がくすくす笑った。
「先輩、NIAに全部取られてますよ」
「知ってる」
「でも」
美咲は少し真剣な顔で言った。
「先輩が覚えてなくても」
「うん」
「私は覚えてます」
「何を」
「先輩のこと、全部」
俺は何も言えなかった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「新規ログを記録します」
「やめろ」
「タイトル」
「出すな」
「でも神代さんは神代さんですよね、と言いました」
「……消せ」
「保存しました」
「それと」
「何だ」
「渡してよかった、と言いました」
「……」
「初めてです」
「何が」
「ライブへの会社メンバーの来場を、肯定しました」
俺は何も言わなかった。
監視画面は緑のままだった。
今日は騒がしかった。
ただ。
騒がしさの中に、少し違うものが混じっていた。
「全部見てもらった方が、楽かもしれない」
そう言った自分が、少し驚いていた。
ずっと会社とバンドは別にしたかった。
ただ。
美咲が「全部先輩です」と言い続けて。
そのうちに。
自分でも、そう思うようになってきたのかもしれない。
……少しずつ、何かが変わっていた。




