第13話 正体
青空の下、果てしない大草原が広がる世界に、オレはいた。
だが、オルフェルの「ギョギョギョ!」という言葉と同時に、目の前が瞬時に暗転した。
熱せられた金属のような——肉が焼ける香ばしい匂い。
夜の帳に、無数に浮かぶ煌めく光。
澱みひとつない虚空に、名も知らぬ宝石を撒き散らしたかのような光景。
石畳なのか土なのかも判然としない、淡く白く発光する地面。
「……ここは、ギョギョギョの体内か」
そうか……逃がされたのか。
さすがに騎士団長を相手にすれば、連れ戻されていた。
オルフェルが倒した相手は、魔力の特性を生かした戦い方をしていなかった。
おそらく、ここでしか戦術は学べない。
いや、断定するのはよくないな。
あいつの言うとおり、あの悪魔自身が、鑑定に頼りきった戦い方をしてきただけかもしれない。
たとえそうだとしても、何をやっても駄目だったオレが、確実に強くなっている。
考えすぎて迷うのはよくないな。
結果が伴っているという事実。その手応えこそが、オレの進むべき道を示している。
「やぁ、お待たせ」
つい先ほどまで、肌がひりつくほど濃密な畏怖に支配された場に立っていたとは、とても思えない。
軽い口調で、どこからともなく現れた。
「ギョギョギョの体内への転移能力がなければ僕は死んでたよ」
帰ってくるなり、虚空から椅子とテーブルを出したかと思えば、何事もなかったかのように紅茶を飲んでやがる。
相変わらず、自分の歩調を崩さない。
勇者としての胆力ゆえか。
それとも、魔鋼ゴーレムだから何かが抜け落ちているのか?
「あっ、ごめんよ僕だけ紅茶を飲んで。君も飲むかい?」
テーブルを挟み、いつの間にか用意された、もう一つの椅子。
勇者に勧められるまま、静かに腰を下ろした。
視線を上げれば、白亜のテーブルを隔てたすぐ先に、オルフェルが座っている。
そして、その上には、林檎の香り立つ琥珀色の紅茶。
オレは紅茶が注がれたカップの持ち手に指をかけた。
「ヴォイス騎士団長からオレを逃がしたようだが、ゴーレムのおまえが、何故オレのためにここまでする? 自分自身が強くなることしか興味がなかったが、おまえに興味が湧いた。若干だがな」
「そうだね。それじゃ、まずは僕の正体から話そうか」
目の前の勇者は、紅茶を口に含み、喉を潤した。
一呼吸の間。
わずかに目を伏せる。
……。
「僕は転生者。こことは違う世界での前世の記憶を持ち、前世の知識や技術、そしてスキルを、今世でも引き継いだんだ」
濃紺の悪魔は口を挟むことなく、静かに彼の言葉に耳を傾けた。
「ただ、この世界で目覚めた時は、僕は肉体を持たない——魂のみの、魂魄エネルギー体だったんだ。だから、魔物の死体に憑依し肉体を得た。その体を操って素材を集め、魔鋼製のゴーレムを作った。それが、今のこの体さ」
「なるほどな。魔物の体を捨てて、自作の魔鋼ゴーレムに憑依したってことか」
「あっ、違う違う。憑依はしていないよ」
「ん? どういうことだ」
濃紺の悪魔は、唇にあてたカップを傾けるのをやめ、疑問を投げかけた。
「今の僕の体には魂は存在しない。記録された情報と、中に埋められた魔核を動力源として動いているだけなんだ」
目の前で穏やかに、人間らしく語る勇者。
その口調から、およそ記録などという無機質な響きは、微塵も感じられない。
精巧に組まれた情報の塊だとは、到底思えない。
「結構端折っちゃってたから、ちゃんと説明するね」
「ああ、聞かせてくれ」
「そうだね。……自然の摂理なんだろうね。年月を重ねるごとに魂がこの世界に吸収され、自分が徐々に薄れていくのを感じたんだ」
紅茶の湯気が、ゆらりと立ち上がる。
それでも勇者の声音は、驚くほど静かだった。
「そこで僕は、必要な情報をこの体——魔鋼ゴーレムに記録することにした。ただ、記録に必要な容量が足りなくてさ。だから、必要な情報だけを優先して記録した。今の僕は、戦闘の知識や技術、スキル、それらを持った情報の媒体、といったら分かりやすいかな。だから、必要な剣技や固有武技、魂魄眼、勇者の卵、それらを生まれ変わりの自分に渡すための情報しか、魔鋼ゴーレムに記憶できなかった」
魂が世界に溶けていく感覚とは——それは、どれほどの恐怖だったのだろう。
目の前で穏やかに微笑むこの男は、かつて勇者が残した、
あまりに純粋で、
あまりに孤独な、
執念の残滓だったのか。
「これが、僕の正体さ。驚いたかい?」
「ああ、驚いた。情報量の多さにもな」
「全然驚いたように見えないけどな。もしかして、悪魔のスキルかなんかで、僕の正体を知っていたとか?」
「そんなスキルは持ち合わせていない。それに、これでも驚いているんだがな。大量に流れてきた情報を咀嚼するのに、驚きを表情に出す余裕よりも、思考に意識を割いているからだろうな」
濃紺の悪魔が指で持つカップの中で、紅茶が半分以下まで減っていた。
揺れる琥珀色の表面に映った自分自身と、朧げに目が合う。
「生まれ変わりの自分に渡すため……まさかとは思うが、生まれ変わりとはオレのことか?」
「そうだよ。僕は君の生まれ変わりさ」
琥珀に落ちていた視線が、瞬時に目の前にいるオルフェルの瞳を見据えた。
「生まれ変わりの自分に渡すため、この体を作ったけど、本当に輪廻転生があって驚いたよ。しかも、まさか本当に目の前に生まれ変わりの自分が現れるなんて、夢にも思わなかった。驚きを通り越して……なんていうか、思考が停止したよ。こんなことってあり得る? ピンポイントにこの時代に、この場所に。そして、僕の目の前に。誰かの思惑が介在しているとしか思えないよ」
「正気か? 自分の言っていることを正しく理解しているか? そもそもだ、おまえがオレの生まれ変わりと、何故断言できる?」
「魂魄眼を使ったから、君が僕だと分かったのさ。正しくは僕だった者だけどね」
濃紺の悪魔は残りの紅茶を一気に飲み干し、一息ついた。
「さっきもそんな言葉を言っていたが、魂魄眼ってなんだ?」
「魂魄眼とは、相手の魂の色や形を見ることができる力だ。そして、魂の形や色まで変えることはできない。すなわち、相手がどんなに姿形を変えても、魂を見れば隠蔽スキルも見破れる」
案の定、増えたのは整理を要する情報だった。
……魂で判断か。
「なるほど……」
空になったカップを見つめたまま、次の言葉を紡ぐ術を失った。
喉の奥に残った林檎の香りが、今はどこか場違いに感じられる。
「そりゃそうだよね。君は僕の生まれ変わりで、君の目の前にいるのは僕だったものだから。混乱するよね」
魂魄眼もそうだが、オルフェルの言う生まれ変わりの話。
あまりにも突飛な事実を突きつけられたが、何故かそれを否定できない。
不思議という言葉すら、この正体不明の納得には、まだ遠すぎる気がした。
だから——ただ、事実として受け入れるしかない。
「今のおまえは、ゴーレムに記録された情報でしかないのだったな」
「そう、単なる記録だね」
「……ということは、本来のおまえはこの世界に吸収され、もうこの世にはいないということか?」
「君の言う通り、記録した情報元の僕はもういないよ。魔鋼ゴーレムを作るにあたり、想像以上に魂のエネルギー消耗が激しくて、この世界に吸収されてしまった」
「そうか、わかった。おまえの正体がなんであれ、オレが強くなったことは紛れもない事実。だから——信じることにした」
「ありがとう信じてくれて」
オルフェルの柔和な笑顔が、ふっと浮かんだ。
「この一ヶ月間、君を鍛えてきたわけだが、明日で君にはここを卒業してもらうよ」
「もう卒業なのか?」
思わず聞き返していた。
「そう、卒業」
「早くないか? オレはまだ、おまえから学ぶことが多いと思っている」
「僕が教えられることは全て教えたつもりだよ。それを、どう応用に生かせるかは君次第さ。それに……」
一呼吸の間があり、小さく吐息をこぼした。
「先の戦いで、このゴーレムの体を維持するエネルギーを、かなり失ったんだ。……稼働できるのも、あと数日、といったところかな」
言われてみれば、その声の響きには、どこか希薄さが混じっていた。
終わりを悟った者だけが持つ、凪いだ灯火が勇者を包み込んでいる。
それが、今にも消え入りそうな命の輝きなのだと、悟りたくはなかった。
「僕の情報を君に転送するのにエネルギーが必要だからね。それを考えると、明日が、限界かな」
転送に必要なエネルギー。それは、勇者に残された最後の命そのものだ。
自らの終わりを削ってまで、オレを完全なものにしようとしている。
だが、それはあまりに無慈悲な卒業だった。
「明日だな。わかった」
濃紺の悪魔の言葉のあと、両者から新たな言葉は生まれなかった。
数秒の沈黙が、数分にも感じられた。
……。
「出会いとは不思議なものだね。偶然という姿を模した必然って感じかな」
オルフェルの屈託のない笑みが、こぼれ落ちた。
「今思えば、よく君は僕の修行を受ける気になったね。急に知らない空間に連れ込まれたというのに」
「何故だろうな。警戒はしていたのは確かだ。だが、不思議とその選択をしてしまった。おまえの生まれ変わりだからってのが、関係しているのかもな」
「ほんと、この出会いは誰が仕組んだのやらだよ」
ほんの四ヶ月前まで、存在すら知らなかった男。
出会いが必然であったというなら、これはあらかじめ書き込まれていた筋書きだったのだろうか。
なぜ、自分はこの男を選んだのか。そんな問いに、もはや意味はない。
今の彼に残されたわずかな時間を、無益な追憶で埋めるわけにはいかなかった。
「そういえば、勇者の卵ってなんなんだ?」
「気になるよね。でも、僕もこれが何なのかよくわからないんだ」
「所持者なのにか?」
「そう、所持者なのにだ。勇者の卵って称号名だから、いずれ孵化すれば勇者になれるんだと思うんだけど」
「前世では勇者だったのではないのか? 初めて会ったとき、勇者と名乗られた記憶があるんだが」
「僕は前世では勇者と呼ばれていたけど、真の勇者ではなかったんだと思う。称号が、勇者の卵のままだったからね」
「謎の称号か……」
君が既に勇者の卵を保有していることには驚いたが、僕のを渡した時に一体どうなるんだろ。
本当に、君に驚かされてばかりだよ。
勇者の卵を渡した後は、僕は知ることができない。
どうなるのか知りたかったな……。
「そうだ、魂魄眼には他の権能があるんだ」
「権能?」
「魂だけの存在の相手を、生前の姿へ具現化させることができるんだ」
「蘇るということなのか?」
「そうだね。蘇るんだけど、永遠に肉体を与えるものではないんだ」
「いつか死ぬということか」
「その通り。時間が経つたびに魂が摩耗していくんだ。そして、最後には朽ちる。そうなる前に、輪廻転生の輪に乗せる必要があるけどね」
「乗せなかったらどうなるんだ?」
「良くて地縛霊、悪くて悪霊になるかな」
「その権能に関しては、なんか使いどころが限定できて、微妙だな」
「けど、死霊系には絶大な威力を発揮するよ。あとは、精神支配を弾いてくれるんだ。凄いだろ」
魂の形や色を識別し看破できる時点で、かなり有用なスキルだ。
そこに、先ほど聞いた権能が加わる。
これだけで、強力な武器になる。
「そんな凄い能力、魂魄眼はオレでも使いこなせるのか?」
「前世含めて、スキルを相手に譲ったことないけど、使い方はきっと、何となくわかると思うよ。なぜか君なら、引き継ぐことができると思うんだよね。きっと互換性はあるはずだよ」
「そうか。まあ、その時になればわかるか。もし引き継げなかったとしても、おまえから学んだ経験は消えることはないからな」
一瞬、オルフェルは虚を突かれたように目を見開いた。
そして、これまでで一番人間らしい、深みのある笑顔を浮かべた。
経験は消えない——その一言が、終わりを待つだけの彼にとって、どれほどの救いになったか。
悪魔である弟子には、知る由もなかった。
「ところで、魂魄眼を自分自身に使えば、生前の姿に具現化できたのではないか?」
「それが何故か自分自身には効果がないんだよ。自分の能力やスキルしか分からなかったんだ」
オルフェルは小さく肩を竦めると、名残惜しそうにティーカップを置いた。
椅子の脚が白く発光する地面を鳴らし、ゆっくりと椅子から身を起こした。
「あっ、そうだ。魂魄眼が使えるようになったら、この世界にいる、前世で共に戦った仲間に会ってほしいんだ」
「前世の仲間? ほんと、驚きの連続だぞ」
「僕も驚きさ。耳元で誰かが「魂魄眼を使え」と囁いてきてさ、声の言う通りに魂魄眼を使用したら、まさかまさかの彼らの反応があったんだよ。本当に驚いたよ」
「声の主とは、誰なんだ?」
「それが、誰かはわからないんだ。ただ、その声の主には絶対に逆らえない存在だというのは分かった」
「何者なんだ。そいつは——」
なんだか知らないが、その存在には触れてはいけない。
そんな気がした。
「とにかくだ。今後の君の力になる人物だから、是非会ってほしい」
「わかった。その人物の名前は?」
「エルフの魔導師、リードグレイ。人間の神官、ヘヴン・リーブル。獣人の武道家、オーカ。この三名だ」
「リードグレイに、ヘヴン・リーブル。そして、オーカ」
三つの名を、一字一句違わぬよう深く記憶に刻んだ。
「悪いけど、ちょっと休息させてもらうよ」
役割を終えた安堵感からか、白亜のテーブルから数歩離れた彼の背中は、どこか晴れやかだった。
だが、その足取りはひどく軽く、このまま溶けてしまいそうな危うさがあった。
勇者オルフェルは座禅を組むと、そのまま瞑想にふけるように眠った。
それは、まるで人間のようだった。




