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バチカンよりも小さな国(前篇)

現代ファンタジー、ゆるふわコメディ。

「本当に、ここで合っているんだよな……?」


成田から飛行機を乗り継ぎ、ヨーロッパの某国を経由して指定されたバスに揺られること一時間。二十代後半という、社会人として脂が乗り始めた時期に無理やり有給をむしり取ってやってきた男、佐藤大介は、手元のスマホに表示された位置情報と目の前の光景を見比べて深く溜め息をついた。


手元にあるのは、古風で重厚な紙に金箔押しで記された、仰々しい招集状――いや、戴冠式への招待状だ。差出人は、幼馴染である早坂由香留。


由香留とは近所の幼馴染で、昔から何かと縁があった。容姿端麗で仕事もできる常識人なのだが、酒、特にビールが入ると途端に面倒くさくなる癖があった。「ねえ大介、私みたいな美人になんで彼氏ができないと思う? 世界がおかしいんじゃない?」などとくだを巻く彼女に、幾度となく付き合わされてきたものだ。


そんな彼女が数ヶ月前、突然会社を辞めた。「実は私、ヨーロッパの歴史ある王国の血筋を引き継ぐ唯一の末裔だったらしいの」などという、大昔の打ち切り漫画のような捨て台詞を残して。


半信半疑で送られてきた航空券に従って辿り着いたその場所は、鬱蒼と茂る森の中をまっすぐに貫く、一本の舗装道路だった。


「ようこそおいでくださいました、大介様」


呆然と立ち尽くす大介の前に、すっと人影が現れた。寸分の狂いもない見事な礼を捧げたのは、隙のない黒のパンツスーツに身を包んだ美しい女性だった。整った顔立ちには冷徹なまでの知性が漂っており、一目でタダ者ではないとわかる。


「あ、どうも……。あの、ここが……その、王国なんでしょうか? ナビだとこの道路の上を指しているんですが」


大介が恐る恐る尋ねると、女性は深く頷き、胸を張って答えた。


「左様でございます。こここそが、我が『アベニュー・アンペリアル王国』でございます。私は当王国の宰相兼侍従兼外務大臣兼国民の、クララと申します」


「肩書が多すぎる上に、最後にとんでもないパワーワードが混ざりませんでした?」


「気のせいでございます。さあ、国王陛下――失礼、間もなく女王陛下となられる由香留様がお待ちです。こちらへどうぞ」


クララと名乗る女性に促され、大介は道路の脇にぽつんと置かれた折りたたみ式のパイプ椅子と、そこに設置された簡易テントへと向かった。


テントの前に設置されたレッドカーペット(ホームセンターで売っていそうな長尺の赤い絨毯)の上に、豪奢なドレスを着かけた状態の由香留が座り込んでいた。着付けが上手くいかないのか、帯のような装飾と格闘している。


「あ、大介! やっと来た! ちょっとこれ手伝ってよ、背中のファスナーが届かないの!」


「開口一番に頼むことが戴冠式の準備の裏方作業かよ! っていうか由香留、お前本当に女王になるのか? ここ、ただの道だぞ!?」


大介が思わずツッコミを入れると、由香留は涙目になりながら溜め息をついた。


「私だって半信半疑だったわよ! でもこのクララさんが突然家に乗り込んできて、古文書とDNA(ディーエヌエー)鑑定書を見せられて……気付いたら飛行機に乗せられてたの! 断ろうとしたんだけど、『あなたが継がないと我が国の歴史が途絶えます』って泣きつかれて……」


「涙に毒されたか……。で、肝心の領土は?」


大介の問いに、すかさずクララが前に出て、一枚の地図を広げた。


「説明いたしましょう。我が王国の全領土は、この全長約八百メートル、幅五メートルの『市道』部分でございます。総面積は四千平方メートル。世界最小の国と言われるバチカン市国が約四十四万平方メートルですので、我が国はバチカンよりも遥かに小さな国ということになります」


「道しかないじゃねえか! 国というか、ただの交通インフラだろそれ!」


「何を言われますか。この道は中世において、ふたつの大国を結ぶ極めて重要な交易路でした。当時の領主が独立を宣言し、どちらの国にも属さない永世中立地帯として認めさせたのが我が国の始まりです。時代の変遷とともに周囲の土地は隣国に買い取られましたが、この道路の所有権だけは我が王族が頑なに保持し続けたのです」


「頑なに保持した結果がこれかよ! 住宅地すらないじゃないか!」


大介の矢継ぎ早のツッコミにも、クララは眉一つ動かさない。


「国民は私一人。しかし、血統正しき由香留様をお迎えしたことで、我が国は再び息を吹き返すのです」


「国民一人って、お前が国家の全人口かよ! 人口密度どうなってんだ!」


「大介、落ち着いて……私も最初はずっとそうやってツッコんでたんだけど、クララさん、めちゃくちゃ優秀だから全部論理的に返してくるのよ。反論するだけ無駄よ」


由香留が遠い目をして言った。実際、クララの手際と知識、そして立ち振る舞いは完璧であり、この不条理な状況でなければ一流企業の幹部か一国の外交官として大成していたであろう人物だった。そんな優秀な人間が、全力でこの「道路しかない国」を維持しようとしているのだからタチが悪い。


「まあいいわ……来てくれただけで嬉しいよ、大介。はいこれ、私の着付け手伝って」


「なんで俺がドレスのファスナー上げなきゃいけないんだよ……」


文句を言いながらも、大介は幼馴染のドレスの背中を引っ張り、ファスナーを上げてやった。仕立ての良い漆黒と金のドレスを纏った由香留は、悔しいが息をのむほど美しかった。普段の酔っ払いの面影はどこにもない。


昔から、由香留は「将来はお姫様になりたい」と笑っていた。おままごとで遊んでいた幼稚園の頃、大介は木切れの剣を手に「じゃあ俺が騎士になって、由香留姫を守ってやるよ」と誓ったことがある。そんな子供の戯れ言を、大介はふと思い出していた。


「……これでよし。ほら、お土産持ってきたぞ」


大介は持参したバッグから、厳重に梱包された瓶を取り出した。


「これ、地元の青森から買ってきたクラフトビール。『青森エール』だ。お前、ビール好きだろ?」


それを見た由香留の目が、パッと輝いた。


「わあ! 本当!? ありがとう大介! やっぱり持つべきものは気の利く幼馴染ね!」


「戴冠式が終わったら飲もうぜ。冷やしとく場所がないのが難点だが……」


「あ、それならこちらへどうぞ」


クララがスッと差し出したのは、クーラーボックス……ではなく、木箱に入ったヴィンテージ感漂う瓶ビールだった。


「戴冠式のプレ・セレモニーとして、我が国の伝統的なウェルカムドリンクをご用意いたしました。オランダ産の古典的ビール、ハイネケン・オード・ブラインでございます。どうぞお召し上がりください」


「えっ、オード・ブライン!? これ、一度本物の上面発酵のエールを現地近くで吞んでみたかったんだよ!」


大介は思いがけない銘酒の登場に、ツッコミも忘れて目を輝かせた。


クララの手によって手際よくグラスに注がれた褐色の液体を、大介と由香留は掲げた。


「まあ、色々と言いたいことは山ほどあるが……ひとまず、即位おめでとう、由香留女王陛下」


「もう、からかわないでよ。乾杯!」


ふたりはグラスを打ち鳴らし、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。芳醇な麦芽の香りと、ほんのりとした甘み、そして深みのあるコクが口いっぱいに広がる。


「うわ、うまい……! さすが本場ヨーロッパのエールだ……」


「本当、美味しい……生き返るわ……」


一口飲んだ瞬間、由香留の顔から緊張が消え、いつものだらしない(・・・・・)笑みが浮かんだ。


「ふはーっ! やっぱりビールは最高ね!ねえ大介、こんな美人が女王様になるんだよ? 世の中の男は何やってんの? 私を迎えに来る王子様はどこに行ったわけ!?」


「出たよ、いつもの酔っ払い愚痴……! お前、女王になってもそれ言うのかよ!」


「だって悔しいじゃない! 国一つ背負うことになったのに、隣に立つキングがいないのよ!?」


「国民が一人しかいない国でキングも何もないだろ!」


大介の完璧なツッコミが鬱蒼とした森に響き渡った。クララはその光景を、満足そうに温かい目で見つめていた。


「素晴らしい絆でございますね。さて、由香留様、大介様。間もなく、我が『アベニュー・アンペリアル王国』の戴冠式を執り行います」


クララが時計を確認し、恭しく一礼した。


道路の上で執り行われる、世界で最も小さく、世界で最も風変わりな戴冠式が、今まさに始まろうとしていた。

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