オフ会で出会った相手に全力で謝る事になった(後篇)
勘違いコメディ。
ほのぼの。
実在の作品・団体とは無関係のフィクションです。
帰りの電車で、私は吊り革につかまりながら、ずっと同じ場所を見つめていた。
窓に映る自分の顔が、やけに疲れている。
いや、疲れているというより、燃え尽きている。
あの子は何だったのだ。
オフ会の三時間、真央さんは宣言どおり、私に謝り倒した。
飲み物を取りに行こうとすれば「私が行きます、年上の方にそんなことさせられません!」と走っていき、歌の順番が回ってくれば「ゆうたさんからどうぞ、私は後で大丈夫です!」と譲り、私がちょっと咳をすれば「喉飴持ってます、のど飴ありますよ、どうぞ!」とリュックをひっくり返す。
しかも、全部が本気なのだ。
裏がない。計算がない。まっすぐな目で、まっすぐに全力で、善意だけで突っ込んでくる。
私は四十二歳、会社員、妻子持ち。
職場では「課長、落ち着いてますね」と言われる人間である。
その私が、女子高生の純粋さの前に、三時間ずっと悶え続けた。
ああ、眩しい。
あれは眩しい。
『花嫁修業』の女悪魔が、少年勇者の「悪魔さんも、きっと本当は優しい人ですよね」という言葉に撃ち抜かれて、毎回床を転げ回る気持ちが、今日ほど分かった日はない。
私はこれまで、あの女悪魔を「大げさだなあ」と思って読んでいた。
違った。
あれはドキュメンタリーだった。
それにしても、世話焼きのおばさんだと思っていたのだ。
掲示板でいつも「ご飯ちゃんと食べてる?」「無理は禁物ですよ」と声をかけてくれる、頼れるベテランファン。
私は家でも、よくその人の話をしていた。
「掲示板にね、マオウさんっていう、すごく面倒見のいい人がいてさ。きっと三人くらいお子さんを育て上げた、肝っ玉母さんみたいな人だと思うんだよ」
「へえ」
妻はそう相槌を打ち、中学生の娘は、なぜか首をかしげていた。
そして、そのおばさんが、女子高生だった。
クッキーを持った、純真で前向きで真面目な、十七歳の女の子だった。
私は玄関の前で深呼吸をした。
ネクタイを直す。
鞄の中には、真央さんにもらったクッキーが入っている。食べるのがもったいなくて、一枚も開けていない。
扉を開けた。
「ただいま」
「おかえりー」
リビングから、娘の声がした。
娘の佳奈は、ソファに寝そべってスマホをいじっていたが、私の顔を見るなり、むくりと起き上がった。
「どうだった、オフ会」
「ああ、うん」
「マオウさん、いた?」
その聞き方が、妙に期待のこもったものだったので、私は少し引っかかった。
「いたよ。それが、びっくりしてな」
「うん」
「お母さんみたいな人だと思ってたんだけど、全然違ってな」
「うん」
「女子高生だったんだ」
娘は、無言だった。
にやり、と口の端が上がっていく。
「やっぱり」
「やっぱり?」
「だってお父さんの話、聞いてたらさ。そのマオウさん、『宿題やった?』とか『夜更かししちゃだめだよ』とか言ってくるんでしょ?」
「そうなんだよ、それが、俺のことを小学生だと思ってて」
「それ、同年代の子のノリだよ。大人のおばさんは、そういう言い方しないって」
「……そうなのか?」
「そうだよ。なんかね、背伸びしてお姉さんぶってる感じ、すごくした。絶対、私と同じくらいの子だなって思ってた」
言ってくれよ。
心の底からそう思った。
私は鞄を下ろし、ソファに座り込んだ。
そして、今日あったことを、順番に娘に話して聞かせた。
個室で目が合った瞬間、相手が百二十度の角度で頭を下げてきたこと。
私が必死に「こちらこそ」と言い返したこと。
クッキーを渡されたこと。
喉飴を差し出されたこと。
「それで、ずっとお詫びされ続けてな。こっちはもう、眩しくて眩しくて」
「眩しい?」
「いや、だから、あの、純粋さが、全部、眩しくて……」
話しているうちに、またあの感覚がよみがえってきた。
帰り際、真央さんはホームまで見送りに来て、こう言ったのだ。
「ゆうたさん、今日は本当にありがとうございました! 私、ゆうたさんが小学生じゃなくて、本当によかったです!」
そして、にっこり笑った。
「だって、同じ漫画を好きな大人の人と、こうして仲良くなれたんですから!」
あれは、反則だ。
私は思い出して、ソファのクッションに顔を埋めた。
「うぐぐぐ……」
「お父さん?」
「いや、何でもない。何でもないんだ」
「うわあ……」
娘が、ドン引きした声を出した。
「お父さん、今、『花嫁修業』の女悪魔みたいになってるよ」
「やめてくれ。自覚はある」
「あ、あるんだ」
娘はそう言って、しばらく私を見つめていた。
それから、ふっと口元をゆるめた。
「ぷっ」
肩が震え出す。
「ぷふっ、あはは、あははははは!」
娘は腹を抱えて笑い出した。
ソファの上で転げ回り、足をばたばたさせ、涙まで流している。
「ちょ、ちょっと待って、お父さんが小学生で、マオウさんがおばさんで、お互いにそう思い込んでて、会ってみたら、おじさんと女子高生で!」
「笑うな」
「だって、百二十度で謝るって! 保護者に渡すつもりのクッキーって! あはははは、お腹痛い!」
「おい、佳奈」
「しかもお父さん、悶えてたんでしょ? 女子高生に! 四十二歳が!」
「言い方を考えなさい」
「無理、無理無理、あははははは!」
娘の笑い声を聞きつけて、台所から妻が顔を出した。
「なあに、どうしたの?」
「お母さん聞いて! お父さんがね!」
「やめなさい!」
私は慌てて制止したが、遅かった。
娘は息も絶え絶えになりながら、一部始終を妻に報告した。
妻は最初、きょとんとした顔をしていた。
それから、みるみる口元が引きつり、ついにはキッチンカウンターに両手をついて、肩を震わせはじめた。
「……ふ、ふふ、ふふふふ」
「笑うなら、せめてはっきり笑ってくれ」
「だって、あなた、あんなに『肝っ玉母さん』って言ってたのに……!」
家族三人の笑い声が、リビングに響いた。
私は、しばらく憮然としていたが、そのうちに、つられて笑ってしまった。
笑いながら、思った。
あの子は、きっと今ごろ、家で母親に報告しているのだろう。
小学生だと思っていた子は、おじさんだった。
でも、とてもいい人だった、と。
そうであってほしい。
いや、そうに違いない。
あの子は、そういう子だ。
鞄の中から、クッキーを取り出した。
包みを開けると、少し粉っぽい、素朴な匂いがした。
一枚かじる。
さくり、と音がした。
甘かった。
その夜、私は掲示板に書き込みをした。
“ゆうた”として。
――マオウさん、今日はありがとうございました。クッキー、おいしかったです。
送信ボタンを押してから、ふと考えて、一行足した。
――それと、こちらこそ、本当にすみませんでした。
返信は、五分もしないうちに来た。
――ゆうたさん! 謝らないでください! 私が先に謝ったんですから!
――いえ、こちらこそ!
――いえいえ、こちらこそ!
画面の向こうで、あの子がまた百二十度で頭を下げている気がして、私はスマホを握りしめたまま、リビングのソファで声もなく悶えた。
隣で娘が、また吹き出した。
文:Claude氏(Sonnet5.5/Free)。
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