オフ会で出会った相手に全力で謝る事になった(前篇)
勘違いコメディ。
ほのぼの。
実在の作品・団体とは無関係のフィクションです。
土曜の午後二時。駅前のカラオケボックスの個室で、私は背筋をぴんと伸ばして座っていた。
今日は、私が大好きな漫画『悪魔の花嫁修業は今日も空回り』のファンが集まるオフ会である。略して『花嫁修業』。純真で前向きで真面目な少年勇者と、彼に近づいたはずがなぜか毎回自分のほうが悶絶してしまう女悪魔の、異世界ラブコメディだ。
参加者は五人。
幹事のサクラさん。主婦っぽいハンドル名の、落ち着いた感じの女性。
大学生っぽい男の人が二人。
それから、私。ハンドル名は“マオウ”。本名の真央から取った。
そして、もう一人。
「……ゆうたです。よろしく、お願いします」
ゆうた。
その名前を聞いた瞬間、私の心臓がどくんと鳴った。
来た。ついに来た。いつも掲示板で一緒に盛り上がっている、あのゆうたくんだ。
私はずっと、ゆうたくんは小学校高学年くらいの男の子だと思っていた。だって文章が丁寧で、遠慮がちで、「勉強になります」とか「ありがとうございます」とか、やたらかしこまった敬語を使うのだ。きっと親のしつけが厳しい、いい子なのだろう。
そう思い込んでいたので、私は家でも母によく話していた。
「ゆうたくんって子がね、すごくいい子なの。この前も、私の考察にちゃんと返事してくれて」
「へえ、小学生? 偉いわねえ」
「たぶん! 今度会えるかもしれないの。お菓子とか持っていったほうがいいかな」
「ちゃんと保護者の方に挨拶するのよ」
そう。私は今日、ゆうたくんの保護者の方にも挨拶する気満々で来たのだ。リュックの中には、個包装のクッキーが五つ入っている。
ところが。
目の前に座っているのは、小学生ではなかった。
スーツ姿の、おじさんだった。
ネクタイは少し緩んでいて、髪にはうっすら白いものが混じっている。どう見ても四十代だ。顔は引きつっていて、なぜか私と目が合うたびに、びくっと肩を跳ねさせる。
私は固まった。
頭の中で、これまでのやり取りが走馬灯のように流れた。
――ゆうたくん、宿題は終わったの? 夜更かししちゃだめだよ。
――ゆうたくんは偉いねえ。お母さんにもよろしくね。
――今度、お姉さんがおすすめの巻から読ませてあげる!
お姉さん。
私は、このおじさんに、お姉さんぶっていたのか。
「あ、あの」
私が声を出すと、おじさん――ゆうたさんは、またびくっとした。
「は、はい」
「マオウです。真央です。よろしくお願いします」
言いながら、私は頭の中で必死に計算した。
この人は四十代。私は十七歳。親子ほど年が離れている。いや、親子どころか、下手をしたら私の父より年上かもしれない。
それなのに私は、宿題をやれだの夜更かしするなだのと言っていたのだ。
謝らなきゃ。
今すぐ。全力で。
私は椅子から立ち上がった。
「ゆうたさん!」
「は、はいっ」
「今まで本当に、すみませんでしたっ!」
私は九十度どころか、百二十度くらいの角度で頭を下げた。額がテーブルに当たりそうになる。
個室が静まり返った。
「え?」
「私、ゆうたさんのこと、小学生の男の子だと思い込んでいて! 宿題はやったかとか、早く寝なさいとか、お母さんによろしくとか、失礼なことをたくさん言ってしまって! 本当に、本当に申し訳ありませんでしたっ!」
顔を上げられない。耳が熱い。
向かいの席から、変な音がした。
ぐ、とか、ひ、とか、そういう音だ。
恐る恐る顔を上げると、ゆうたさんは両手で顔を覆って、のけぞっていた。
「ま、眩しい……」
「え?」
「いえ、あの、違うんです、こちらこそ……いや、こちらこそというか……」
ゆうたさんは何か言いかけて、ごほごほとむせた。
それから、震える声で言った。
「こちらも、その、あなたのことを、勘違いしていて」
「勘違い?」
「世話焼きの、おばさんだと……」
今度は私が固まる番だった。
「おばさん」
「はい。その、いつも『ちゃんとご飯食べてる?』とか『無理しちゃだめよ』とか書いてくださるので、てっきり、面倒見のいいベテランの方だとばかり……すみません!」
ゆうたさんも立ち上がり、深々と頭を下げた。
個室の中で、女子高生とスーツのおじさんが、向かい合って頭を下げ合っている。
幹事のサクラさんが、口元を押さえて肩を震わせていた。
大学生の二人は、飲み物のストローを咥えたまま固まっている。
「いえ、私のほうこそ! 小学生だなんて、失礼なことを!」
「いえいえ、こちらこそ、おばさんだなんて!」
「謝らないでください、私が先に謝ったんですから!」
「いや、でも、こっちのほうが年上ですから、私が先に」
「年上の方に謝らせるわけにはいきません!」
「謝らせるって何ですか!」
もう何が何だか分からなかった。
とにかく私は、この人に謝り倒さなければならない。それだけは確かだった。
私はリュックを引き寄せ、中からクッキーを取り出した。
「これ、お詫びです!」
「えっ」
「保護者の方に渡すつもりで持ってきたんですけど、本人に渡します! 受け取ってください!」
「保護者……」
ゆうたさんは、差し出されたクッキーを両手で受け取った。
その手が、小刻みに震えている。
「……ありがとう、ございます」
声まで震えていた。
「あの、大丈夫ですか? 具合が悪いんですか?」
「い、いえ。大丈夫です。ただ、ちょっと、眩しくて」
「照明、暗くしましょうか?」
「そういう意味じゃないんです……」
ゆうたさんは、クッキーを胸に抱えたまま、天井を仰いだ。
その姿は、なぜか『花嫁修業』の第三巻で、少年勇者の純粋な笑顔に撃ち抜かれた女悪魔にそっくりだった。
私はまだ、それが何を意味するのか分からないまま、首をかしげていた。
ただ一つ、確かなことがある。
この人、悪い人ではない。
そして、私はまだ謝り足りない。
「ゆうたさん! 今日一日、全力でお詫びさせてください!」
「やめてください、本当に、死んでしまいます!」
オフ会は、始まったばかりだった。
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