二人の愚将は未来に期待して杯を交わす(前篇)
異世界戦記ファンタジー。魔法兵器の存在する世界。
会話劇中心。シリアス系。
戦わない選択を模索する物語。
戦争が始まってから、今年で九十七年になる。
もっとも、最初の戦争が始まった年を正確に知っている者は、今ではほとんどいない。
東の帝国と西の王国は、互いの領土を奪い合ってきた。国境の砦が落ち、奪い返され、村が焼かれ、別の村が築かれた。王が死に、皇帝が死に、将軍が死に、兵士が死んだ。そのたびに和平の使者が行き交い、条約が結ばれ、条約が破られ、戦争が再開された。
百年近く続いた戦争といっても、毎日休まず戦っていたわけではない。双方が疲弊して兵を引いた年もあれば、疫病や飢饉のために戦う余裕すらなかった年もある。
それでも戦争は終わらなかった。
誰もが戦争の終わりを望んでいた。
ただし、戦争を終わらせるために何をすべきかという問いに対しては、誰もが自分の国に都合のよい答えを用意していた。
そのため、戦争は続いていた。
そんな両国にも、一つだけ共通の習慣がある。
年に一度、二日間だけ設けられる、死者を弔うための休戦である。
この二日間、国境付近では原則として一切の戦闘行為が禁じられる。敵味方の区別なく死者を弔い、遺体を引き渡し、墓を整え、祈りを捧げる。
いつ、誰が始めたのかは定かではない。
古い記録には、かつて一人の兵士が敵兵の遺体を故郷へ届けたことが始まりだったと書かれている。一方、別の記録では、両軍の指揮官が疫病の蔓延を防ぐために設けた一時的な取り決めだったとされている。
どちらが正しいのかは、もはや誰にも分からない。
ただ、休戦の日だけは戦争が止まる。
それだけは確かだった。
*
東軍総司令官、レオンハルト・ヴァイスは、天幕の中で報告書を読んでいた。
四十歳。貴族の家に生まれ、幼いころから戦術と政略を学び、数々の戦いで勝利を収めた男である。
彼は知将と呼ばれていた。
敵の補給路を断ち、地形を利用して少ない兵力で大軍を退け、必要ならば一歩も戦わずに敵の作戦を潰す。その指揮は精密であり、無駄がなかった。
もっとも、本人はその評価を聞くたびに、内心では首をかしげていた。
勝つために必要なことを考え、実行しているだけだ。
それを知将と呼ぶのなら、世の中には知将がずいぶん少ないらしい。
彼は報告書を机に置いた。
内容は、来年度の兵站計画についてだった。
小麦の調達量。馬の補充数。矢の生産数。負傷兵の後送費用。新兵の訓練に必要な予算。
どれも必要な項目である。
そして、どれも毎年見ている項目だった。
「閣下。来年度の予算案について、ご相談がございます」
副官のグスタフが声をかけた。
五十代の男で、長年レオンハルトを補佐している。厳格で、口数は少なく、何よりも規則を重んじる人物だった。
「聞こう」
「兵站費が、また増額されております」
「戦争をしているのだから当然だろう」
「その通りでございます。ですが、軍務省の見積もりでは、来年度も大規模な戦闘が発生するものとして計算されております」
「軍務省の仕事は、戦争が起きたときに備えることだ」
「はい。では、再来年度も、その次の年度も同様でございますな」
「おそらくは」
「五年後も、十年後も?」
「グスタフ」
「はい」
「私は君に、未来を予言しろと命じた覚えはない」
「失礼いたしました」
グスタフは頭を下げた。
レオンハルトは椅子の背にもたれ、天幕の天井を見上げた。
「だが、君の言いたいことは分かる」
分かっている。
彼もまた、同じことを考えていた。
来年も戦争が続くだろう。
その次の年も続くだろう。
自分が死ぬまで続くかもしれない。
あるいは、自分の子供が生まれ、その子供が軍服を着る年齢になっても、まだ続いているかもしれない。
そう考えると、胸の奥に妙な空虚さが広がった。
「グスタフ」
「はい」
「君は、この戦争が終わると思うか」
副官はすぐには答えなかった。
「終わるべきものだとは思います」
「そうではない。終わると思うか、と聞いている」
「……私には分かりかねます」
「正直でよろしい」
レオンハルトは笑った。
「私も分からん」
知将と呼ばれる男は、未来を予測することに長けていた。
しかし、百年近く続いた戦争がいつ終わるのかについては、まるで見当がつかなかった。
敵国が滅びれば終わるのか。
自国が滅びれば終わるのか。
両国が疲れ果てれば終わるのか。
どれもありそうで、どれも望ましくなかった。
そして、敵国を滅ぼすことが可能だったとしても、その後に何が起こるかを考えると、簡単には実行できなかった。
滅ぼした国の領土を統治するには人員が要る。反乱を抑えるには兵力が要る。荒廃した土地を復興するには金が要る。
戦争に勝ったところで、得られるものより失うもののほうが多くなる可能性すらある。
それは、勝利を追求する軍人としては、ひどく不愉快な計算だった。
しかし、不愉快だからといって計算を無視するわけにはいかない。
「閣下。そろそろ、休戦の準備を始める時刻です」
「ああ、そうだったな」
レオンハルトは立ち上がった。
「今年も、墓地の整備と遺体の引き渡しを行う。負傷兵の交換も忘れるな」
「承知しております」
「それから、敵軍の指揮官に書簡を送る」
「書簡、でございますか」
「酒宴の招待状だ」
グスタフは、珍しく露骨に顔をしかめた。
「……閣下。何とおっしゃいましたか」
「酒宴だ。酒を飲み、食事をし、互いに死者を弔う。なかなか悪くない案だと思うが」
「敵軍の総司令官と、でございますか」
「ほかに誰がいる」
「いえ、その……」
グスタフは言葉を選んでいるようだった。
「休戦の日に敵将と酒を飲むというのは、前例がございません」
「休戦の日に敵将と酒を飲んではならないという前例もないだろう」
「しかし、警備上の問題が」
「料理人と警護人は双方から同じ人数を出す。食材も酒も、事前に互いの確認を受ける。武器の持ち込みは双方とも制限する。場所は国境の中立地帯だ」
「それでも危険はございます」
「もちろんだ」
レオンハルトは、まったく悪びれずに答えた。
「だからこそ、危険を管理するのだ」
グスタフは深く息を吐いた。
この男は、こういうところがあった。
慎重で、計算高く、危険を嫌う。にもかかわらず、ときおり、周囲の人間が想像もしないことを平然と提案する。
「お相手が承諾されるとは思えません」
「ならば断られるだけだ」
「……閣下は、何をお考えなのですか」
「戦争に飽きた」
レオンハルトは、まるで明日の天気でも話すように言った。
「私も、あちらの指揮官も、職務には忠実だ。必要ならば互いに兵を殺す。だが、だからといって、休戦の日まで敵同士でなければならん理由はない」
「それは……」
「戦争を終わらせるための会談ではない。まずは、一度酒を飲んでみようというだけだ」
グスタフは、しばらく沈黙していた。
やがて、諦めたように頭を下げた。
「承知いたしました。書簡を用意いたします」
「ありがとう。君も来るか?」
「私は警護の指揮を執ります」
「そうか。では、君の分の酒も用意しておこう」
「お気遣いなく」
「遠慮するな。休戦の日くらい、少しは気を抜いてもよい」
「閣下がそれをおっしゃいますか」
レオンハルトは笑った。
グスタフは、今度こそ何も言わなかった。
*
西軍総司令官、セレスティア・フォン・アルトベルクは、届いた書簡を三度読み返した。
三十七歳。
冷静沈着にして堅実な指揮で知られ、無謀な突撃を嫌い、勝ち目のない戦いを避け、必要な勝利を確実に積み重ねる女である。
彼女の軍では、敵に大きな損害を与えることよりも、自軍の損害を抑えることが重視されていた。
そのため、彼女が指揮官に就任してから、西軍の兵士が生きて帰る確率は目に見えて高くなった。
軍上層部の一部は、彼女のことを慎重すぎると批判した。
しかし、慎重であることを理由に彼女を更迭しようとした将軍たちは、彼女の作戦によって何度も窮地を救われたため、今ではあまり大きな声を出さなくなっている。
セレスティアは書簡を机に置いた。
「閣下。いかがなさいますか」
副官のマルタが尋ねた。
四十代の女性で、軍歴は長い。若いころは騎兵隊に所属し、今では総司令官の補佐を務めている。
セレスティアは、しばらく考えた。
「面白い提案ね」
「お断りになるものとばかり思っておりました」
「どうして?」
「東軍の総司令官といえば、知謀に長けた人物です。何を企んでいるか分かりません」
「それは私も同じでしょう」
「閣下は、そのようにお考えなのですか」
「ええ。レオンハルト・ヴァイスは有能な指揮官よ。人格についても、悪い噂はあまり聞かない。敵兵の遺体を丁重に扱うことでも知られているわ」
「はい」
「ただし、彼は必要だと判断すれば、どんな手段でも使うでしょうね」
セレスティアは窓の外を眺めた。
国境の向こうには、東軍の陣地が広がっている。
敵の天幕。敵の砲台。敵の兵士たち。
そして、彼らの中にも、自分たちと同じように家族を持ち、帰るべき家を持ち、明日の食事を心配する者がいる。
それを理解していることと、彼らを殺さずに済むことは、まったく別の話だった。
「マルタ。あなたは、この戦争がいつ終わると思う?」
「……分かりません」
「そうでしょうね」
セレスティアは微笑んだ。
「私も分からないわ」
彼女は、机の上の書簡を指で叩いた。
「酒宴を開きましょう」
「閣下!」
「警護人と料理人は双方から同じ人数。食材と酒は相互に確認。武器の持ち込みは制限し、双方の陣地から十分に離れた場所を使う。警備計画は両軍が共同で作成する」
「それでも危険はございます」
「もちろん」
セレスティアは、レオンハルトと同じことを言った。
「だからこそ、危険を管理するのよ」
マルタは額に手を当てた。
「……閣下は、何をお考えなのですか」
「戦争に飽きたの」
「それは、先ほども聞いたような気がいたします」
「気のせいよ」
「そうですか」
マルタは諦めた。
「承知いたしました。準備を進めます」
「ありがとう。あなたも来る?」
「私は警護の指揮を執ります」
「そう。では、あなたの分の酒も用意しておくわ」
「お気遣いなく」
「遠慮しないで。休戦の日くらい、少しは気を抜いてもよいでしょう」
「閣下がそれをおっしゃいますか」
セレスティアは笑った。
マルタは、ため息をついた。
*
酒宴は、意外なほど簡単に実現した。
双方の警護人は二十名ずつ。料理人も五名ずつ。酒と食材は、互いの検査を受けたものだけが会場に運び込まれた。
会場は、国境を流れる川のほとりにある古い石造りの建物だった。
かつては交易所として使われていたらしい。戦争が始まってからは放置されていたが、休戦の日には死者を弔う者たちが集まる場所として利用されていた。
建物の周囲には、両軍の警護人が等間隔に配置されている。
それぞれが相手側の警護人を監視し、相手側もまた同じようにこちらを監視していた。
料理人たちは、互いに手順を確認しながら料理を作った。
酒は一方の国のものだけでなく、双方のものが並べられた。
東軍からは香草を使った肉料理が、西軍からは魚と豆を煮込んだ料理が出された。
双方の料理人は、相手の料理を見て、少しだけ感心した。
戦争をしていても、料理の腕は衰えないらしい。
日が暮れるころ、二人の総司令官は同じ卓についた。
「初めまして、というべきかしら」
セレスティアが言った。
「何度か遠くからお見かけしたことはあるが、こうして話すのは初めてだな」
レオンハルトは杯を掲げた。
「東軍総司令官、レオンハルト・ヴァイスだ」
「西軍総司令官、セレスティア・フォン・アルトベルクよ」
二人は杯を合わせた。
乾いた音が、静かな建物の中に響いた。
「では、死者に」
「死者に」
二人は酒を飲んだ。
しばらくの間、二人は料理について話した。
東軍の肉料理は香草の使い方が巧みで、西軍の煮込み料理は塩加減が絶妙だった。
どちらも相手を褒めたが、どちらも相手の料理を自分の国へ持ち帰りたいとは言わなかった。
料理の話を終えると、話題は自然に戦争へ移った。
「あなたの指揮は、ずいぶん堅実だと聞いている」
レオンハルトが言った。
「あなたの指揮は、ずいぶん厄介だと聞いているわ」
「それは光栄だ」
「褒めているのよ」
「私も褒めている」
セレスティアは笑った。
「あなたは、無駄な戦いをしない。敵の弱点を見つけても、それを突くことが自軍に大きな損害をもたらすなら、あえて見送ることがある。そう聞いているわ」
「そのようなこともある」
「それは、なかなか難しい判断でしょうね」
「君こそ、勝てる戦いでも損害が大きくなるなら、勝利を譲ることがあるそうだな」
「必要ならね。勝利のために兵士を使い潰すのは、簡単なことよ。でも、それでは次の戦いに勝てなくなる」
「まったく同感だ」
レオンハルトは杯を傾けた。
「君は有能な指揮官だ。私は君を尊敬している」
「私もあなたを評価しているわ」
「ありがたいことだ」
「ただし」
セレスティアは杯を置いた。
「あなたは必要だと判断すれば、こちらにとって最悪の手段を選ぶでしょうね」
「当然だ。君もそうだろう」
「ええ。私は必要とあらば、敵軍の補給路を断つし、偽情報も流す。こちらの勝利に有効なら、ためらうつもりはないわ」
「私も同じだ」
二人は顔を見合わせた。
それから、ほとんど同時に笑った。
「なるほど。私たちは、互いに信用しているわけではないらしい」
「信用していないわけでもないでしょう」
セレスティアが言った。
「あなたが約束を守る人物であることは信じている。あなたが必要なら約束の外側を利用する人物であることも信じているわ」
「実に正確な評価だ」
「あなたも、私を同じように見ているのでしょう?」
「その通りだ」
レオンハルトは、もう一度杯を掲げた。
「有能な敵に」
「そして、厄介な敵に」
二人は杯を合わせた。
酒宴は、静かに続いていた。
しかし、二人とも気づいていた。
この場にいる者たちの誰もが、完全には気を許していないことに。
それは当然だった。
彼らは敵同士であり、明後日には再び戦う可能性がある。
だからこそ、二人はこの夜を、ただの親睦会で終わらせるつもりはなかった。




