おしゃれ好きのドラゴン(前篇)
異世界召喚ファンタジー。
人間と竜のコメディ。
服飾描写多め。
針を通すたびに、布地が小さく吐息をつくような音がする。
千石真一の趣味であり特技は、自分で着る服を自分の手で縫い上げることだった。型紙を起こし、生地を選び、ひと針ひと針に意図を込める。量販店の服では決して味わえない、自分の身体だけに吸い付くようなフィット感。それこそが真一にとっての至福であり、日常の静かな誇りでもあった。
その日の夜も、真一は自室の作業台でミシンと手縫い針を使い分け、新作のジャケットの襟ぐりを整えていた。
だが、手元を照らすスタンドの明かりが、突如として不気味な紫色に揺らぎ始めた。
地震ではない。部屋全体が歪むような感覚とともに、足元のフローリングが消失し、真一は底のない闇へと放り出された。
手にはしっかりと、愛用の裁縫道具箱と裁ちバサミを握りしめたままであった。
視界が戻ったとき、真一が立っていたのは畳の部屋でも自分のアパートでもなかった。
見上げるほど高い天井、巨大な石造りの柱、そして足元に広がる、怪しく輝く魔法陣のような刺繍模様。
そして何より、真一の目前に鎮座する「それ」の存在が、彼の思考を完全にフリーズさせた。
「……あ、悪魔……いや、黙示録の……」
真一の口から漏れたのは、幼い頃に図鑑や宗教画で見た凄惨な記述だった。
目の前にいるのは、巨大な赤い竜だった。しかし普通の竜ではない。その首は途中で枝分かれし、なんと七つもの頭部が並んでいた。そして頭上には誇り高く天を突く、あわせて十本の力強い角。全身を覆う鱗は、まるで磨き上げられたルビーのように艶やかに光り輝いている。
『ヨハネの黙示録』第十二章。そこに記された、七つの頭と十本の角を持つ赤い大龍。全人類を惑わし、滅びをもたらすという最悪の存在。
(終わった……。俺は異世界の邪神か悪魔に召喚されて、生贄にされるんだ……!)
真一の膝がガクガクと震え、裁ちバサミを落としそうになる。まさに運命のいたずらだった。平穏な服飾オタクの日常から、世界の終末を司る魔獣の目の前へと一瞬で引きずり降ろされたのだから。
恐れおののく真一に向かって、七つの頭のうち、中央のひときわ凛とした頭がゆっくりと口を開いた。
「——異界の仕立て人よ。よくぞ我が呼び出しに応じた」
響き渡ったのは、地響きのような恐ろしい声……ではなく、鈴を転がすような、驚くほど艶やかで気品に満ちた女性の声だった。
「……え?」
真一が間抜けな声を漏らすと、左から二番目の頭が少し恥ずかしそうに揺れ、右から三番目の頭がフンと鼻を鳴らした。
「言葉が通じぬか? 安心するがよい。翻訳の術はすでに施してある。我はルブラ。この竜界において、最も美しき者と讃えられる存在である」
そう語る彼女——七頭の赤竜ルブラは、自慢の長い首をしなやかにくねらせて見せた。確かにその佇まいには、恐ろしさを超越した威厳と、息をのむような美しさが同居していた。
「あ、あの……黙示録の竜様……私を食べに来たのではないのですか……?」
「もくしろく? 何を言っておるのだ。我がそなたを召喚したのは他でもない。腕の良い『仕立て人』が必要だったからだ」
ルブラの七つの頭が、一斉に真一をじっと見つめてくる。十四の瞳が、切実な色を帯びて輝いていた。
「召喚の陣には『最高の服作りの技と情熱を持つ者』という条件を込めた。そなた、手にあるその道具……服を縫う者であろう?」
「は、はい……服を作るのは好きですが……仕立て屋というか、ただの趣味で自分の服を……」
「ならば問題ない! 我が求めるのは、型にはまった職人ではなく、真に服を愛し、服に魂を込められる者なのだからな!」
ルブラは嬉しそうに尾を揺らした。その衝撃で大理石の床がミリミリと音を立てる。
「実はな、近々、竜族の最高峰が集う大社交界が開かれるのだ。そこに我が着ていくドレスが……どうしても決まらぬのだよ!」
世界を滅ぼす邪竜どころか、彼女はただの「重大なパーティの着ていく服に悩むおしゃれ女子」だった。
真一の緊張が、一気に脱力感へと変わっていく。
「ど、ドレス……ですか? ドラゴンが……着る……?」
「当たり前であろう! 竜界の社交界において、身だしなみは尊厳そのもの。特に我は『竜界一の美貌』と称される身。半端な装いで出席などしてみろ、ライバルの青竜や金竜どもに嘲笑されてしまうわ!」
ルブラは七つの頭をいっせいに下げ、真一の目の前まで顔を近づけた。七つの鼻先から吐き出される温かい息が、真一の髪を揺らす。
「頼む、異界の仕立て人よ。我が美しさを最大限に引き立てる、至高のドレスを仕立ててくれぬか? 報酬ならば、望むだけの金銀財宝、あるいは元の世界への安全な帰還を約束しよう」
真一はゴクリと唾をのみ込んだ。
目の前にいるのは、世界を滅ぼす悪魔ではない。しかし、規格外に巨大で、七つの頭と十本の角を持つ、あまりにも規格外な「顧客」だ。
自分の普段着しか作ったことがない自分が、巨大なドラゴンのドレスを仕立てる? そんなこと、できるはずがない——そう思って断ろうとした。
だが、真一の服飾バカとしての血が、かすかに騒ぎ始めていた。
七つの首の曲線。ルビーのように輝く美しい鱗。十本の角の力強いシルエット。この壮大な造形美を、服というキャンバスでさらに輝かせることができたなら?
「……わかりました。お受けします」
真一は裁縫道具箱を握り直し、意を決してルブラを見上げた。
「ただし、条件があります。私は妥協した服作りはしたくありません。私の採寸とフィッティングに、最後まで付き合っていただきますよ」
「もちろんだ! さすがは我が選んだ仕立て人、頼もしいぞ!」
ルブラの七つの頭が、一斉に歓喜の笑みを浮かべた。こうして、日本人服飾オタクと、七頭の美竜による、前代未聞のドレス作りが始まったのだった。




