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身体描写の変化に関する討論(前篇)

学園コメディ。

くだらない議題を馬鹿真面目にする。

アニメの女性キャラの体形に関する議論もの。

 放課後の教室には、西日が斜めに差し込んでいた。


 僕が帰り支度をしていると、隣の席の椅子が重々しく引かれた。振り向くと、女友達の三島(みしま)が、いつにも増して難しい顔で座っていた。


「少し、いいか」


「いいけど。また何か持ってきたな」


 僕は鞄を机に置き直した。彼女が妙に改まった顔をするときは、たいてい碌でもない議題が控えている。先月は「川口元郷駅と西川口駅が人間だった場合にお互いどんな感情を抱くか」だった。あれは二時間かかった。その前の「男性固有の股間の痛みと女性固有の月一度の苦しみを言語化して異性に伝える方法」は、互いに真剣すぎて途中から妙な沈黙が降りた。


 三島はクリアファイルから二枚の紙を取り出し、僕の机に並べた。


 どちらもアニメの女性キャラクターのイラストだった。左は、ここ数年放送されている作品の主人公格の少女。右は、およそ三十年前の作品のヒロインらしい。画風の古さが一目でわかる。


「見てくれ」


 三島は低い声で言った。


「そして、考えてくれ」


「何を」


「増えたと思わないか」


 重い。あまりにも重い切り出しだった。法廷で証拠物件を提示する検事のようだ。


 僕は二枚のイラストを見比べた。そして、彼女の言う「増えた」が何を指すのか、おそらく正しく理解した。僕は険しい表情を作って、慎重に尋ねた。


「もしや、ちち・しり・ふとももの事か」


「然り」


 三島は深くうなずいた。


「お前ならわかると思っていた」


「わかりたくなかったけどな」


 教室にはまだ数人の生徒が残っていた。僕は声を落とした。三島は気にした様子もなく、右のイラストを指でとんとんと叩いた。


「三十年前のヒロインだ。見ろ。細い。胸も、腰回りも、脚も、全体に線が控えめだ」


「まあ、そうだな。全体に細くて直線的だ」


「対して、左だ」


 彼女は左のイラストに指を滑らせた。


「胸部には明確な量感がある。臀部には丸みがある。そして太もも。絵の中で、太ももが堂々と存在している」


「堂々と」


「ああ。昔のキャラクターの脚は、棒だった。いまは違う。太ももは肉感を主張している。私はこれを、キャラクターデザインの重要な変遷だと考える」


 真面目だ。変にまじめだ。この友人は、冗談を言っているつもりが一切ない。そこがいつも僕を苦笑させる。


「で、何を討論するんだ。『最近のキャラは肉感が増しました』で終わる話じゃないのか」


「終わらない。問題は、増えたものと、増えていないものだ」


 三島は鞄から、今度は無地のノートを取り出した。几帳面な字で、すでに箇条書きが並んでいる。準備がいい。いつも準備がいい。


「増えたのは、ちち、しり、ふとももの三点だ。これは認めよう。しかし、変わっていない点がある」


「聞こう」


「第一に、肩幅だ。狭い。昔も今も、女性キャラクターの肩幅は狭いままだ」


 僕は左右のイラストを見比べた。確かに、どちらも肩は華奢に描かれている。胸は増えても、肩が張ることはない。


「言われてみれば、そうだな」


「第二に、腰だ。細い。胸と尻が増えたのに、その間の腰は細いままだ。むしろ、対比のために以前より細くなっているとすら言える」


「ウエストの絞りは変わらないどころか強調されてるな」


「第三に、ふくらはぎだ」


 三島は声に力を込めた。


「ふくらはぎが、太くならない」


「ああ……」


 僕は思わず唸った。


「ふとももは堂々と増えたのに、ふくらはぎはすっと細いまま、足首へ向かって締まっていく。これは、現実の人体としては、かなり特異な設計だ」


「特異というか、理想の集積だな」


「そうだ。私はここに、描き手の意志を感じる。増やしたい部分は増やす。増やしたくない部分は、断固として増やさない。この取捨選択の基準は何か。これが今日の議題だ」


 三島はノートを閉じ、真っ直ぐに僕を見た。


「身体描写の変化に関する討論を、始めたい」


 僕は小さく息を吐いて、それから笑ってしまった。


「お前、毎回それを真顔で言うよな」


「真顔以外の顔を、この議題に対して持ち合わせていない」


「わかった。やろう。付き合うよ」


 諦めではなく、半分は本心だった。この手の討論は、始まってしまえば案外面白いのだ。


「まず、肩幅から行こう」


 僕は椅子に座り直した。


「肩が狭いままなのは、たぶん『守ってあげたい感』とか『華奢さ』の記号だからだと思う。肩幅が広くなると、一気に骨格が強く見えるだろ。男性的というか、アスリート的というか」


「なるほど。肩は、可憐さの旗印というわけだな」


「旗印は大げさだけど、そうだな。胸や尻の量感を増やしても、肩を広げたら『女性らしい柔らかさ』の方向から外れる。だから肩は固定して、他を動かす」


「興味深い。では腰は」


「腰は、さっきお前が言った通りで、対比のためだと思う。胸と尻を大きく描くなら、間が細いほど曲線が際立つ。腰を太くしたら、全体が寸胴に見えて、せっかくの量感が活きない」


 三島は感心したように何度もうなずき、ペンを走らせた。


「つまり、増やす部位は、増やさない部位との落差で価値を得る。そういう理解でいいか」


「いいと思う。強調ってのは、基本的に対比だからな」


「では、本題に入ろう。ふくらはぎだ」


 彼女は、ペン先で机をこつんと叩いた。


「ふとももが肉感を主張するなら、ふくらはぎも多少は太くなるのが自然ではないのか。現実の人間の脚は、ふとももが太い人はふくらはぎも太い傾向にある、と私は認識している」


「だいたいそうだな」


「それなのに、絵の中のふくらはぎは頑なに細い。なぜだ。何が彼らを、そうさせるのだ」


 彼女の目が、あまりに真剣だった。僕は吹き出しそうになるのをこらえて、記憶を探った。


「ちょっと待ってくれ。そういえば、どこかで見た覚えがあるんだ」


「何をだ」


「ふとももが太くても、ふくらはぎが細いと、脚全体が太く見えにくい、って説」


 三島の動きが止まった。


「……詳しく」


「いや、詳しくは覚えてないんだ。どこかのまとめ記事か、動画か何かで見ただけで。ただ、脚の太さの印象って、一番太い部分だけじゃなくて、締まっている部分との比で決まるらしくて」


「比で」


「そう。ふくらはぎと足首が細く締まっていると、そこが基準になって、ふとももが相対的にそこまで太く見えない、みたいな話だった気がする」


 三島はペンを持つ手を震わせていた。彼女がこういう反応をするのは、何かが腑に落ちた時だ。


「それは、先ほどの『対比』の理論と、完全に整合する」


「だろ。ついでに思い出したんだけど、たしかその話、ふとももをスカートで覆った場合の話だったかもしれない」


「スカート」


 三島の目が、かっと見開かれた。


「どういうことだ」


「いや、あやふやなんだけど。ふともも自体がスカートで隠れて見えない場合に、膝下だけで脚の印象が決まるから、ふくらはぎが細いと全体が細く見える、とかそういう文脈だった気がする。ごめん、自信ない」


「いや、十分だ」


 三島は立ち上がりかけ、勢いよく座り直した。


「つまり、こういうことか。ふともものボリュームを描き込みつつ、スカートによって視覚的に覆い、見える膝下を極限まで細く保つ。それによって、肉感と華奢さという相反する要素を、一枚の絵の中で両立させている」


「そう考えると、説明がつく部分は多いな」


「恐ろしい発見だ」


「発見ってほどじゃないけどな」


 三島は、窓の外の夕焼けを見つめて、しばらく黙った。僕はその横顔を眺めながら、今日もまた付き合わされているな、と思った。そして、悪い気はしていない自分に、少しだけ首をかしげた。


「しかし、まだ解けていない問題がある」


 やがて彼女は、静かに言った。


「何だ」


「その説が正しいなら、スカートを穿かないキャラクターはどうなる。ショートパンツや、水着や、あるいはもっと露出の多い服装の場合だ。ふとももが丸見えの状態で、なおかつふくらはぎが細い場合、バランスはどう評価される」


「それは、また別の議題になりそうだな」


「いや、ここで決着をつけたい。明日も続きをやるぞ。もう一人、証人を呼ぼう」


「証人?」


 嫌な予感がした。


「お前の友人の、あの背の高い男だ。彼にも意見を聞きたい」


「あいつを巻き込むのか」


 僕は、本当に申し訳ない気持ちになって、天井を仰いだ。

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