おまえら舌が肥えてて損してるなあ私は舌が瘦せてるからごはんが美味しいぞ!(前篇)
終末世界もの。日常系。
静かで孤独。
飲酒描写あり。
私は、だいたいのものを美味しいと思う。
これは長所だ。
少なくとも、私はそう思っている。
大学に入ってからというもの、周囲の人間は何かにつけて私に言った。
「それ、本当に美味しい?」
美味しい。
「この店、もっといいところあるよ」
知らん。
「その服、よくない?」
服なんて着られればいい。
「運動くらいしたら?」
疲れる。
「料理ぐらいできないと困るよ」
困っている。
ものすごく困っている。
しかし、困っているからといって、できるようになるわけではない。
私は勉強ができない。
運動もできない。
おしゃれもできない。
友達付き合いも苦手だ。
そして料理もできない。
包丁を持たせれば妙なところを切るし、火を使えば焦がすし、電子レンジを使えばなぜか爆発させる。
爆発させたのは一度だけだ。
だから私の中では「なぜか」というほどでもない。
大学では、そういう私を見て笑う人間がいた。
「ほんと何にもできないよね」
「こんなこともできないの?」
「えー、料理しないの? 女子なのに?」
女子なのに。
その言葉は、なかなか便利な凶器だった。
女子なのに料理ができない。
女子なのにおしゃれじゃない。
女子なのに愛想がない。
女子なのに友達が少ない。
女子なのに。
女子なのに。
女子なのに。
うるさい。
私は女子なのだ。
それだけで十分だろう。
そもそも私は、食べ物の味がよく分からない。
高い肉も安い肉も、腹が減っていれば美味しい。
高級なチョコレートも、スーパーの特売品のチョコレートも美味しい。
コンビニのおにぎりも美味しい。
百円くらいの菓子パンも美味しい。
冷蔵庫に何もないときに食べるカップ麺など、ほとんど神の食べ物だ。
だから私は、料理番組が嫌いだった。
「ここでオリーブオイルを――」
知らん。
「この香りを立たせるために――」
知らん。
「素材の持ち味を最大限に――」
知らん。
グルメ漫画も嫌いだった。
「この味は!」
「まるで大地の恵みが舌の上で――」
知らん。
食べ物を食べるだけなのに、どうしてそんなに大騒ぎしなければならないのか。
腹が減った。
食べた。
美味かった。
それでいいじゃないか。
私はそう思っていた。
そんな私が、ある朝、目を覚ました。
静かだった。
妙に静かだった。
いつもなら、外から車の音がする。
誰かの話し声がする。
新聞配達の音がする。
近所の犬が鳴く。
スマートフォンには、寝ている間に届いた通知がいくつかある。
そういうものが、全部なかった。
最初は、休日だからだと思った。
私は大学生だが、曜日の感覚はかなり怪しい。
だから布団の中でしばらくぼんやりしていた。
しかし、昼になっても静かだった。
コンビニに行っても店員がいなかった。
駅へ行っても誰もいなかった。
大学へ行っても、誰もいなかった。
最初は、妙に面白かった。
授業がない。
人がいない。
誰にも話しかけられない。
誰にも笑われない。
誰にも「こんなこともできないの?」と言われない。
最高じゃないか。
私はそう思った。
しかし、三日経っても誰もいなかった。
一週間経っても誰もいなかった。
電話をしても、誰も出なかった。
テレビをつけても、番組は流れなかった。
インターネットも、やがて何も更新されなくなった。
私は人を探した。
郊外の町を歩いた。
駅を歩いた。
隣町まで行った。
そして、私は大都市へ向かった。
昔から憧れていた場所だった。
高いビル。
大勢の人。
おしゃれな店。
きれいなカフェ。
テレビで見る都会。
私は、そこなら誰かいると思っていた。
しかし、誰もいなかった。
交差点には信号だけが残っていた。
ビルは立っていた。
店も残っていた。
服も靴も化粧品も、いくらでもあった。
なのに、人だけがいなかった。
私はそこで、ようやく理解した。
私以外の人間は、いなくなったのだ。
理由は分からない。
どこへ行ったのかも分からない。
戻ってくるのかも分からない。
ただ、いない。
私は何日も歩き回ったあと、とうとう諦めた。
世界の終わりというものは、もっと派手に来るものだと思っていた。
空から何かが落ちてくるとか。
大地が割れるとか。
怪物が現れるとか。
そういうものではなかった。
ただ、みんないなくなった。
それだけだった。
そして私は、一人になった。
……いや。
正確には、一人になったというより、最初から一人だったのかもしれない。
私は昔から、周囲に馴染めなかった。
友達も少なかった。
大学でも、いつも誰かの輪の外にいた。
だから、世界中から人がいなくなっても、最初のうちはそれほど困らなかった。
困ったのは、少しあとだった。
寂しい。
そう思った。
けれど、それを認めるのは嫌だった。
私は、みんないなくなればいいと思っていたからだ。
大学で笑われたとき。
料理ができないと馬鹿にされたとき。
服が変だと言われたとき。
友達がいないことを笑われたとき。
私は布団の中で、何度も思った。
みんないなくなればいい。
みんな消えてしまえばいい。
そうすれば私は、誰にも馬鹿にされない。
誰にも比べられない。
誰にも嫌われない。
誰にも、好かれなくてもいい。
そう思った。
そして、本当にいなくなった。
私は笑った。
笑ってしまった。
「……私、すごいな」
誰もいない大都市の真ん中で、私は一人で言った。
「願いが叶ったじゃん」
返事はなかった。
当然だった。
私はその日から、食べ物を集め始めた。
料理はできない。
だから、料理をしなくても食べられるものを探した。
缶詰。
レトルト食品。
カップ麺。
クラッカー。
乾パン。
お菓子。
保存水。
インスタントのお茶。
電気が必要なものは、できるだけ後回しにした。
私は馬鹿だったが、それくらいは分かった。
電気がいつまで使えるのか分からない。
水道だっていつまで出るか分からない。
だから、最初のうちは食べられるものを片っ端から集めた。
ある日、私は高級そうな食品売り場で、缶詰を大量に見つけた。
値札を見る。
高い。
しかし今となっては金など何の意味もない。
私はその中から、牛肉の煮込みらしい缶詰を一つ取った。
そして、近くの店で見つけた白いご飯のパックと一緒に持ち帰った。
ご飯は温めなくても食べられる。
缶詰もそのまま食べられる。
完璧だ。
私はテーブルにそれらを並べた。
缶詰を開ける。
甘辛い匂いがした。
私は鼻を近づける。
美味しそうだ。
白いご飯を皿に盛る。
もちろん冷たい。
それでもいい。
私は牛肉を乗せた。
それだけだった。
「いただきます」
ひと口食べた。
美味い。
思わず笑った。
「美味いじゃん」
誰もいない部屋で、私は言った。
「こんなに美味いのに」
牛肉は柔らかかった。
味は濃かった。
ご飯によく合った。
私は夢中で食べた。
「おまえら、舌が肥えてて損してるなあ」
誰もいない。
それでも私は喋った。
「私は舌が瘦せてるから、ごはんが美味しいぞ!」
自分で言って、自分で笑った。
昔、誰かが言っていた。
舌が肥えてる人は、安いものを美味しいと思えないらしい。
それなら私は得だ。
私は何を食べても美味しい。
こんなに素晴らしい才能はない。
「高級料理とか、もういらないんだよ」
私は牛肉を頬張った。
「どうせ味なんて分からないんだから」
冷たいご飯。
缶詰の牛肉。
インスタントの味噌汁。
それだけ。
でも、美味しい。
私は満足だった。
少なくとも、その瞬間だけは。
食べ終わるころには、少しだけ胸が痛くなっていた。
なぜなのかは考えなかった。
考えたら、たぶん寂しくなる。
だから私は、空になった皿を見て笑った。
「料理できなくても、生きていけるじゃん」
返事はなかった。
私はそのことに気づかないふりをした。




