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当たり前で当たり前じゃない事への感謝

日常短編。

システム障害・サービス停止が題材。

少しだけ、優しい気持ち。

 門の前には、長い行列ができていた。


 灰色の壁に囲まれた、何の施設なのかよく分からない建物。正面には大きな門があり、その上には用途不明の金属製の飾りがついている。門は固く閉ざされ、横に設置された案内板には、しばらくお待ちください、とだけ書かれていた。


 俺、佐伯悠真は、眠気で半分閉じかけた目をこすった。


 昨夜はなかなか寝付けなかった。おかげで今朝は頭がぼんやりしている。スマートフォンを操作する指先だけが、惰性で動いていた。


 隣に並ぶ妹の美咲も、似たような状態だった。


 こちらも昨夜はよく眠れなかったらしく、スマートフォンを持ったまま、時折こくりと首を落としている。


 どうして眠れなかったのか。


 それについては、俺も美咲も何も言わなかった。


 ただ、朝になっても眠気が取れず、それでもここに来たかった。それだけの話だ。


「……まだかなあ」


 美咲が小さくつぶやいた。


「さあな。もうちょっとじゃないか?」


「お兄ちゃん、それさっきも言った」


「じゃあ、もうちょっとじゃないんだろ」


「適当すぎる……」


 美咲は呆れたように言いながら、再びスマートフォンに目を落とした。


 行列はかなりの長さだった。俺たちの前にも後ろにも、老若男女を問わず、たくさんの人が並んでいる。手に持っているものは、ほとんどがスマートフォンだった。


 みんな、門が開くのを待っている。


 それなのに、不思議なことに、文句を言う人は誰もいなかった。


 待ち時間が長いと怒鳴る人もいない。係員に詰め寄る人もいない。案内板を何度も見上げる人はいるが、そこに書かれた言葉が変わらないことを確認すると、みんな静かにスマートフォンへ視線を戻す。


 中には、目を閉じて壁にもたれかかっている人もいた。


 俺たちと同じように、眠そうな人も少なくない。


「みんな、よく待てるよね」


「まあ、待つしかないからな」


「そうだけどさ。普通、もっと怒ったりしない?」


「怒ったって門は開かないだろ」


「それはそうだけど」


 美咲は納得したような、していないような顔をした。


 俺も、特に不満はなかった。


 いつもなら、こんなふうに何もできずに待たされるのは、少しくらい面倒に感じるかもしれない。


 でも、今日は違った。


 昨夜からずっと、ここが開くのを待っていたのだ。


 だから、多少時間がかかっても仕方がないと思っていた。


 門の向こう側では、きっと誰かが頑張っている。


 そんな気がしていた。


 もちろん、何を頑張っているのかは分からない。施設の中がどうなっているのかも知らない。それでも、今まで何度も利用してきた場所なのだから、何か事情があるのだろう。


 そう思いながら、俺はスマートフォンの画面を更新した。


 変化はなかった。


「……あ」


 そのとき、遠くからサイレンの音が聞こえた。


 救急車だった。


 行列の人々が、そろって顔を上げる。


 道路の向こうから近づいてきた救急車は、赤いランプを回しながら、こちらへ向かってきた。行列は歩道の端へ寄り、誰からともなく道を空ける。


 救急車はゆっくりと人々の間を通り抜け、先の交差点を曲がっていった。


 サイレンの音が遠ざかる。


 それだけのことだった。


 けれど、俺はなぜか、その場に立ち尽くすような気持ちになった。


「……すごいよな」


「何が?」


 美咲が顔を上げた。


「救急車。ああやって、いつでも来てくれるんだな」


「うん? そうだね」


「呼べば来る。道が混んでても、できるだけ早く来ようとしてくれる。乗ってる人だけじゃないぞ。運転してる人もいるし、病院で待ってる人もいる。そもそも救急車を整備する人だって必要だし」


 口にしてみると、当たり前のことばかりだった。


 救急車が走るためには、道路が必要だ。


 道路を造る人がいて、傷んだところを直す人がいて、信号を設置する人がいて、信号が正常に動くように管理する人がいる。


 電気だってそうだ。


 信号を動かすにも、救急車の機器を動かすにも、電気がいる。発電所で働く人がいて、送電線を管理する人がいて、故障があれば夜中でも現場に駆けつける人がいる。


 水道も、ガスも、通信も。


 蛇口をひねれば水が出る。スイッチを押せば明かりがつく。スマートフォンを開けば、遠くの誰かと話せる。


 俺たちは、それを当たり前だと思っている。


 けれど、その当たり前は、勝手にそこにあるわけじゃない。


 誰かが働いて、誰かが見守って、誰かが壊れたものを直してくれているから、今日も使えるのだ。


「……お兄ちゃん、どうしたの? 急に」


 美咲は不思議そうに俺の顔を見た。


「いや。なんか、いろいろ考えちゃってさ」


「眠すぎて哲学者になった?」


「うるさい。お前だって眠そうだろ」


「私はもともと哲学的な妹なので」


「初耳だよ」


 美咲は小さく笑った。


 俺も笑い返したが、頭の中にはまだ、さっきの救急車の姿が残っていた。


 救急車が走る道路。その道路を照らす街灯。街灯を動かす電気。救急車が通れるように道を譲る人々。


 誰か一人が頑張っているのではない。


 たくさんの人が、それぞれの場所で、自分の仕事をしている。


 その積み重ねが、俺たちの日常を支えている。


「私たちって、けっこう恵まれてるんだね」


 美咲が、俺の考えを読んだかのように言った。


「そうだな」


「水も電気もあるし、スマホも使えるし。困ったら救急車も呼べるし」


「うん」


「でも、普段はそんなこと、いちいち考えないよね」


「考えないな」


 それは、きっと悪いことではない。


 水道を使うたびに水道局の人に感謝しなければならないとか、電気を使うたびに発電所の人の顔を思い浮かべなければならないとか、そんな決まりはない。


 当たり前の生活を、当たり前に送れること。それ自体は、とても幸せなことなのだと思う。


 ただ、その当たり前が、誰かの努力によって守られているのだと知っているかどうかで、世界の見え方は少し変わるのかもしれない。


 俺はスマートフォンを見下ろした。


 画面の向こうにも、きっと同じことがある。


 通信を支える人。機械を管理する人。問題が起きないように見張る人。問題が起きたときに、解決しようと動く人。


 俺たちが何気なく使っているサービスにも、それを維持するために働いている人がいる。


 いつでも使えると思っていたものが、使えなくなることだってある。


 そのとき初めて、俺たちは気づくのかもしれない。


 自分がどれだけ多くのものに支えられていたのかを。


「ねえ、お兄ちゃん」


「ん?」


「ここもさ、誰かが頑張ってるんだよね」


 美咲は閉ざされた門を見上げた。


「昨日から使えなくなってるけど、きっと、使えるようにするために頑張ってるんだよね」


「そうだろうな」


「じゃあ、待ってあげようよ」


 俺は妹の顔を見た。


 眠そうな目をした美咲は、いつもと変わらない顔で笑っていた。


「もともと待つつもりだっただろ」


「そうだけど。なんとなく、ちゃんと待ちたいなって」


「……そっか」


 俺も、門の向こうを見た。


 そこにいる人たちの顔は分からない。何人で作業しているのかも、どれほど大変なのかも分からない。


 けれど、俺たちがまた使えるようにと願っているものを、きっと向こう側の人たちも守ろうとしている。


 だったら、せめて。


 文句を言わずに待つことくらいはできる。


 もちろん、いつまでも待たされていいというわけではない。必要な説明があるなら、説明してもらいたいと思うこともあるだろう。


 それでも、今はただ、無事に再開することを願っていた。


 行列の先頭で、小さな子供が母親に何かを尋ねていた。母親はしゃがんで、子供の目線に合わせながら答えている。


 少し後ろでは、年配の男性がスマートフォンを片手に、隣の人と静かに話していた。


 さらに後ろからは、新しく来た人たちが列に加わっていく。


 みんな、待っている。


 それぞれの事情を抱えながら、それぞれの思いを胸にしながら。


 誰かが支えてくれている日常が戻ってくるのを、信じて。


 やがて、門の向こうから物音が聞こえた。


 金属が動く音。


 係員らしい人影が、門の内側に現れた。


 行列の人々が、一斉にそちらを向く。


 係員は、こちらへ向かって深く頭を下げた。


「大変お待たせしました。ご不便をおかけして、申し訳ありませんでした」


 その声とともに、重い門がゆっくりと開き始めた。


 誰かが小さく息を吐いた。


 誰かが、よかった、とつぶやいた。


 けれど、怒号も、文句も、責める声も聞こえなかった。


 ただ、安堵したような笑顔が、列のあちこちに広がっていった。


 俺は美咲と顔を見合わせた。


 眠気はまだ残っていた。昨夜のことも、結局、何も話していない。


 それでも、今は少しだけ、気持ちが軽くなったような気がした。


「……行こうか」


「うん」


 俺たちは歩き始めた。


 開いた門の向こうへ。


 いつもそこにあると思っていたものが、決して当たり前ではないと知った朝に。


 俺は係員に向かって、そっと頭を下げた。


「いつもありがとう」


 美咲も、隣で微笑みながら言った。


「いつもありがとう」


 その言葉が届いたかどうかは、分からない。


 けれど、係員はもう一度、丁寧に頭を下げた。


 俺たちは笑い合い、再びスマートフォンを手にした。


 今日もまた、当たり前の日常が始まる。


 その当たり前を守ってくれている、たくさんの人たちに感謝しながら。

文:ChatGPT氏。

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