貴族令嬢に異世界転生したら出会ったイケメンから嫌な顔されました何でやねん!(前篇)
異世界転生もの。
貴族令嬢×美青年の会話中心。
コメディあり、シリアスあり。
文学作品がモチーフ。
人生とは、何が起こるかわからない。
それは前世で三十年近く生きた私が、死ぬ直前までに学んだ数少ない真理の一つだった。
ただし。
「……ほんまに何が起こるかわからんなあ」
鏡の前に立つ私は、鏡の中の美少女を見つめながら呟いた。
腰まで届く淡い栗色の髪。
大きな灰色の瞳。
雪のような肌。
そして、明らかに庶民ではない上等なドレス。
私は異世界転生していた。
しかも貴族令嬢に。
前世では大阪で働いていた、ごく普通の会社員だった。
それが事故に遭い、気がつけばこの世界で十六歳の伯爵令嬢になっていたのである。
最初は混乱した。
次に泣いた。
そのあと三日ほど寝込んだ。
そして四日目。
「……せっかくやし、楽しんだろ」
そう思った。
幸い、この世界には魔法もあるし、貴族社会もある。
前世で読んだ異世界転生ものの知識が多少は役に立つ。
ただし、私には一つだけ大きな問題があった。
元の人格としての記憶がほとんど残っていない。
自分が何という家の令嬢だったのか。
どんな友人がいたのか。
どんな婚約者がいたのか。
そういう記憶は、断片的にしか思い出せなかった。
それでも、今の私はこの世界で生きていくしかない。
幸い、身体は勝手に礼儀作法を覚えていた。
食事のときには自然とナイフとフォークを使える。
貴族に会えば自然と微笑める。
侍女には自然と優しく接することができる。
口調も、
「まあ、それは素敵ですわね」
と、いかにも令嬢らしいものになる。
なのに感情が高ぶると、
「なんでやねん!」
と、素の関西弁が飛び出す。
侍女たちは最初こそ驚いたが、最近ではすっかり慣れてしまった。
そんな生活を始めて半年。
私はある人物と出会った。
王都でも有名な美青年だった。
金髪。
碧眼。
整った鼻筋。
陶器のように滑らかな肌。
そして、何よりも人目を引く、奇妙なほど完璧な美貌。
彼の名はドリアン。
名家の出身で、現在は王都の社交界に顔を出しているらしい。
初めて見た瞬間、私は思った。
――うわあ。
めちゃくちゃイケメンや。
前世でも美形俳優を見れば喜んでいた私である。
当然、目で追ってしまった。
ところが。
向こうもこちらを見た。
そして。
ものすごく嫌そうな顔をした。
「……え?」
私は固まった。
ドリアンは、私を見て露骨に眉をひそめている。
まるで、道端に落ちている何かを見つけたような顔だった。
「初めまして。わたくし、エレノア・アシュフォードと申します」
私は令嬢らしく挨拶した。
「……ドリアン・グレイです」
彼は最低限の礼儀だけ返した。
目は笑っていない。
というか、明らかに私を警戒している。
なぜだ。
私はまだ何もしていない。
「以前から、あなたのお噂は伺っておりますわ」
「そうですか」
「ええ。とても美しい方だと」
ドリアンの顔が、さらに嫌そうになった。
私は首を傾げた。
「……何か?」
「いえ」
「では、なぜそのようなお顔を?」
「どのような顔です?」
「その……わたくしが嫌いな人を見るようなお顔ですわ」
「気のせいでしょう」
即答だった。
絶対に気のせいではない。
私は前世の関西人魂が刺激された。
「いや、気のせいやないやろ」
「……?」
「いえ、何でもありませんわ」
危ない。
素が出るところだった。
それからというもの、私とドリアンは何度か顔を合わせることになった。
そして会うたびに。
彼は私を見て、嫌な顔をした。
私はだんだん腹が立ってきた。
別に好かれたいわけではない。
ただ、理由がわからないのが気に入らない。
ある日、庭園で二人きりになったとき、私はついに尋ねた。
「ドリアン様」
「何でしょう」
「わたくし、何かいたしました?」
「……いいえ」
「では、なぜわたくしをご覧になるたびに、そのようなお顔を?」
ドリアンは黙った。
しばらくして、ため息をつく。
「あなたを見ると、嫌な予感がするんです」
「嫌な予感?」
「理由はわかりません」
彼は困ったように眉を寄せた。
「ただ……あなたは、僕が知っている誰かに似ている」
「誰にですの?」
「それもわからない」
その言葉に、私は少しだけ興味を持った。
「それなら、わたくしがその方に似ているだけでは?」
「そうかもしれません」
「では、その方とは?」
「……シビル」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が妙にざわついた。
「シビル?」
「女性です」
ドリアンは遠くを見るような目をした。
「僕にとって、とても大切だった人です」
その表情には、怒りとも悲しみともつかないものがあった。
「彼女は舞台女優でした。美しい声を持っていて……僕は、彼女を愛していた」
「……愛していた?」
「ええ」
過去形。
私は何も言えなかった。
ドリアンは続ける。
「けれど、ある日、彼女は舞台の上で芝居ができなくなった。演技を失ったんです。僕は……ひどいことを言った」
「ひどいこと?」
「彼女の夢を、彼女自身を否定するようなことを」
彼は苦しそうに目を伏せた。
「そのあと、彼女は死にました」
私は息を呑んだ。
「……お気の毒に」
「僕が殺したようなものです」
その言葉は重かった。
私は、何と言えばいいかわからなかった。
だから、黙っていた。
ドリアンはそんな私を見た。
そして、ほんの少しだけ目を細める。
「やはり似ています」
「どこがですの?」
「あなたの目が」
「目?」
「彼女と同じような目をする」
私は自分の目を触った。
そんなことを言われても困る。
しかし、そのときだった。
頭の中に、前世の記憶が唐突によみがえった。
金髪の青年。
美しい肖像画。
若さを失わない男。
そして、彼の代わりに醜く老いていく肖像。
私は文学好きというほどではなかった。
けれど、有名な小説のあらすじなら知っている。
高校時代、授業か何かで聞いた。
美しい青年。
芸術家の描いた肖像画。
青年は永遠の若さを望む。
その代わりに、罪や堕落は肖像画に刻まれていく。
そして最後に、自分の肖像を壊そうとして――。
私は、ドリアンの顔を見た。
金髪。
碧眼。
完璧な美貌。
シビルという女性。
そして、本人が語った過去。
「……まさか」
「何です?」
ドリアンが怪訝そうに私を見る。
私は青ざめた。
前世の記憶が、一本につながった。
そうだ。
知っている。
私はこの男を知っている。
名前まで。
この世で最も有名な、美貌ゆえに破滅した青年。
私は思わず口にした。
「……ドリアン・グレイ」
彼の顔から、表情が消えた。
そして私は確信した。
目の前にいるこの男こそ。
あの『ドリアン・グレイの肖像』の主人公なのだ。




