血が繋がってるのにどうして分かってくれないの?(前篇)
異世界ファンタジー。
ほのぼの日常系。
母娘のすれ違い。
王都から少し離れた丘の上に、二人の魔女が住んでいた。
正確には、母親は魔女ではない。
魔法薬師である。
娘は魔法使いである。
そして二人とも、自分の職業については非常に誇りを持っていた。
ただし、娘のほうには一つだけ問題があった。
眠い。
とにかく眠い。
朝六時から魔法基礎学。
七時半から剣術。
朝食を挟んで午前中は王立学院の授業。
午後は魔法陣。
夕方は古代語。
夜は礼儀作法。
週に三回は精霊との意思疎通。
週に二回は薬草学。
休日には乗馬。
月に一度は王都まで行って社交界の作法。
そして母親が最近、新しい習い事を一つ追加した。
竜語である。
「リーナ。明日の竜語の授業、先生は九時からだからね」
「……うん」
朝食の席で、娘のリーナは死んだ魚のような目で返事をした。
母のマリアは、そんな娘を見て満足そうに微笑んだ。
「竜語ができるようになれば、将来きっと役に立つわ。竜は長命だから、古代の知識をたくさん持っているもの」
「うん」
「それに、もし将来、竜と契約できるようになったら――」
「うん」
「王宮でも重宝されるでしょうね」
「うん」
「そうしたら、あなたの可能性はもっと広がるわ」
「うん」
「……リーナ?」
「なに?」
「あなた、話を聞いてる?」
「聞いてるよ」
リーナはスプーンを握ったまま答えた。
「竜と契約して、王宮に呼ばれて、可能性が広がるんでしょ」
「そうよ」
「その前に私が寝る可能性は?」
マリアは少し考えた。
「……それはあなた次第じゃない?」
「私の努力でどうにかなる問題じゃないと思う」
リーナはそう言って、テーブルに突っ伏した。
マリアは困ったように笑った。
「もう、朝から大げさね」
「お母さん」
「なあに?」
「私、昨日何時に寝た?」
「十一時半くらいだったかしら」
「正解は一時半」
「まあ」
「まあじゃないよ」
「勉強していたの?」
「古代語の宿題」
「偉いわ」
「寝る時間を削ってまでやらないと終わらない量だったんだけど」
「でも、頑張った分だけ身につくわ」
「睡眠も身につけたい」
マリアは首を傾げた。
「寝ることは習い事じゃないでしょう?」
「そういう意味じゃない」
リーナはため息をついた。
母は昔からこうだった。
何かをするたびに、可能性が増えると言う。
魔法を学べば可能性が増える。
剣術を学べば可能性が増える。
薬草学を学べば可能性が増える。
古代語を学べば可能性が増える。
礼儀作法を学べば可能性が増える。
竜語を学べば可能性が増える。
精霊術を学べば可能性が増える。
そして、それらを全部やるために睡眠時間を削れば、朝起きられなくなる可能性が増える。
そこだけは、なぜか母の計算に入っていなかった。
マリアには、そうせざるを得ない理由があった。
彼女は幼いころ、貧しい村で育った。
家には本がなかった。
学校にも満足に通えなかった。
読み書きを覚えたのは十歳を過ぎてからで、魔法について学び始めたのはもっと後だった。
大人になってから、何度も思った。
もし自分がもっと早く勉強できていたら。
もしもっと多くの知識を持っていたら。
もし誰かが可能性を教えてくれていたら。
人生は違っていたのではないか。
だから娘には、同じ思いをさせたくなかった。
自分が得られなかったものを、全部与えたい。
娘が将来、どんな道を選んでも困らないように。
魔法使いになってもいい。
薬師になってもいい。
騎士になってもいい。
王宮に仕えてもいい。
冒険者になってもいい。
学者になってもいい。
そのためには、選択肢を増やさなければならない。
だからマリアは娘に、ありとあらゆる教育を施した。
問題は。
選択肢を増やした結果、選択する本人の体力が減っていたことである。
「リーナ、今日は帰ってきたら魔法陣の復習をしましょう」
「今日は剣術がある」
「では剣術が終わってから」
「そのあと古代語」
「古代語のあとなら?」
「薬草学」
「薬草学のあと」
「礼儀作法」
「では寝る前に」
「寝る前は寝たい」
マリアは腕を組んだ。
「そうね。睡眠は大切よね」
「分かってくれた?」
「ええ。だから今日は早く寝られるように、夕食を少し早めましょう」
「そういう問題じゃないんだよ」
娘の抗議は、母には届かなかった。
その日の夕方。
王都の学院から帰ってきたリーナは、ふらふらしながら玄関を開けた。
「ただいま……」
「おかえりなさい」
マリアは台所から顔を出した。
「今日はどうだった?」
「魔法史の先生が三時間くらい話してた」
「素晴らしいわね」
「途中から寝てたから内容は分からない」
「寝ていた?」
「うん」
「授業中に?」
「うん」
「それはよくないわ」
「でしょう?」
リーナは靴を脱いだ。
「だから今日はもう寝たい」
「その前に一つだけ」
「嫌な予感がする」
「あなたのために新しい先生を見つけたの」
「増えた」
「何が?」
「習い事」
マリアは嬉しそうに笑った。
「竜騎士の先生よ」
「……竜騎士?」
「ええ。竜に乗るための訓練をしてくれるそうよ」
「竜語の次は竜騎士?」
「両方できれば完璧でしょう?」
「完璧じゃなくて過労死するよ」
マリアは少し眉をひそめた。
「リーナ」
「なに」
「お母さんは、あなたに苦労してほしくないの」
「知ってる」
「将来、何かになりたいと思ったとき、勉強してこなかったせいで諦めるようなことがあってほしくないの」
「それも知ってる」
「だから――」
「だから全部やらせたいんでしょう?」
「そうよ」
「私はね、お母さん」
リーナは眠そうな目で母を見た。
「全部やりたいわけじゃないんだよ」
その言葉に、マリアは黙った。
「私は私がやりたいことを探したい」
「そのためにも、たくさん学んでおいたほうが――」
「そうじゃない」
リーナは小さく首を振った。
「お母さんは、私の可能性を増やしたいんだよね」
「ええ」
「でも私には、可能性が多すぎるんだよ」
マリアには、その意味がすぐには分からなかった。
リーナはそれ以上何も言わず、自分の部屋へ戻った。
ベッドに倒れ込んだ瞬間、意識が落ちた。
そして翌朝。
リーナは起きなかった。
朝六時。
起きない。
六時半。
起きない。
七時。
起きない。
七時半。
起きない。
八時。
マリアが慌てて部屋へ飛び込んだ。
「リーナ!」
「……ん」
「どうしたの、今日は学院でしょう?」
「……今日は休みたい」
「駄目よ。今日は大事な魔法実技が――」
「休みたい」
「でも――」
「お願い」
娘が布団の中から顔だけ出した。
その顔を見て、マリアはようやく気づいた。
目の下に濃い隈がある。
顔色も悪い。
髪はぼさぼさ。
何より、笑っていない。
マリアは言葉を失った。
「……リーナ」
「なに」
「あなた、そんなに疲れていたの?」
「うん」
「どうして言わなかったの?」
「何回も言ったよ」
母は固まった。
「……そうだった?」
「うん」
「……」
「だから寝たいって」
「……」
マリアは静かに部屋を出た。
そして一人、廊下で頭を抱えた。
「血が繋がっているのに……」
娘のことが、分からない。
その事実が、胸に刺さった。
しかし、その日の午後。
さらに大きな問題が起きる。
王都から一通の手紙が届いたのである。
封蝋には王家の紋章。
内容は簡潔だった。
リーナ・アルヴェイン。
あなたの魔力適性について、王立魔導院が正式に調査を希望する。
理由。
彼女の魔力が、通常の人間には存在しないほど巨大であること。
マリアは手紙を読み終えると、目を輝かせた。
「やっぱり!」
その声を、寝室で眠っていたリーナは知らない。
「やっぱり、私の教育は間違っていなかった!」
運命のいたずらは、たいてい本人が寝ている間に起きる。
そして今回も、例外ではなかった。




