幸運も悪運も神様もいい加減うんざりなんだが(前篇)
現代ファンタジー。
ゆるいコメディ。
交通事故に巻き込まれかけた。
正確には、信号待ちをしていたら大型トラックのタイヤが外れ、こちらへ転がってきたのである。
周囲が悲鳴を上げる中、俺は反射的に飛び退いた。
すると足元が崩れた。
マンホールの蓋が偶然外れており、そのまま下へ落ちる。
死んだ。
そう思った。
だが、下水道工事の最中だったらしく、安全ネットに引っかかった。
助かった。
と思った瞬間、ネットを支える金具が外れて落下。
しかし下には大量の緩衝材。
無事着地。
さらに作業員に救助される。
だが救助の最中に足をひねった。
救急搬送された。
検査の結果、ひねったと思った足から初期の骨腫瘍が発見された。
超早期発見だったため、簡単な治療で完治した。
「相変わらずだな……」
病院の待合室で、俺はため息をついた。
不幸なのか幸運なのか、自分でも分からない。
子供の頃からずっとそうだった。
宝くじで高額当選した翌日に財布を落としたり。
猛吹雪で遭難しかけた結果、偶然未発見だった温泉を見つけたり。
恋人ができた翌日に振られたり。
振られた帰り道で限定一台のゲーム機が当たったり。
極端。
とにかく極端。
人生がジェットコースターすぎる。
病院を出た俺は自動販売機へ向かった。
喉が渇いていた。
財布を開く。
千円札しかない。
釣りが面倒だな、と思いながら投入した。
ガコン。
飲み物が落ちる。
ガコン。
もう一本落ちる。
ガコン。
さらに落ちる。
「……」
十七本落ちてきた。
自販機の故障らしい。
近くにいた学生たちが騒いでいる。
「すげえ!」
「当たりじゃね!?」
俺は缶の山を見下ろした。
直前まで医療費や何やらで散々だったので、まあ収支としてはプラスだろう。
そう思った瞬間だった。
「いいね」
楽しそうな声がした。
振り向く。
銀色に近い金髪。
青い瞳。
どう見ても日本人ではない。
しかもセーラー服。
妙に似合っていた。
「何がだ?」
「そういう顔」
「どういう顔だ」
「ひどい目に遭った直後に幸運が降ってきて、『これでチャラかな』って思ってる顔」
少女はけらけら笑った。
初対面なのに妙に馴れ馴れしい。
「知り合いだったか」
「今なったよ」
「便利な理屈だな」
「でしょ?」
少女は胸を張った。
「私はモイラ!」
「そうか」
「反応薄い!」
「外国人が日本語で突然名乗ったら、まず驚くべきなのか?」
「そこじゃないんだ」
変なやつだ。
だが不思議と嫌な感じはしなかった。
「じゃあ君は?」
「……」
少し考える。
「悠人だ」
「よろしく、悠人!」
モイラは満面の笑みを浮かべた。
翌日。
「私はデキマ!」
「昨日モイラだっただろ」
「今日はデキマ!」
「そうか」
「信じてないね?」
「同一人物なのは認識してる」
放課後の公園で、少女は不満そうに頬を膨らませた。
なぜか毎日現れるのだ。
「明日は違う名前か?」
「もちろん」
「面倒だな」
「面倒かな?」
「面倒だ」
俺が即答すると、少女は大笑いした。
一週間後。
「今日はウルズ!」
「もう好きにしろ」
「やった」
結局、毎日違う名前を名乗る。
モイラ。
デキマ。
ウルズ。
たまに聞いたこともない名前。
同じ人物なのに毎回別人を装っているようだった。
「なあ」
「ん?」
「お前、本名ないのか」
「あるよ?」
「じゃあ名乗れ」
「やだ」
「なぜ」
「秘密だから」
楽しそうである。
俺は疲れた。
「もういい」
少し考える。
そして言った。
「モイラ」
「それ今日の名前じゃないよ?」
「統一する」
「えー」
「文句は受け付けない」
少女はぶーぶー文句を言っていたが、やがて観念した。
「じゃあ悠人専用ってことで」
「なんだそれ」
「君だけが私に付けた名前だから」
少しだけ。
ほんの少しだけ。
彼女は嬉しそうに見えた。
数日後。
俺は神社の石段から転落した。
転がり落ちた先で財布をなくした。
だが石段の下に埋まっていた江戸時代の古銭が発見され、謝礼金が支払われた。
「納得いかない……」
「いいじゃん」
隣でモイラが笑う。
「痛かったんだが」
「でも儲かった」
「そういう問題か?」
「そういう問題」
断言された。
そのときだった。
「あら?」
柔らかな声が響いた。
振り返る。
和服姿の女性が立っていた。
やはり外国人風の容貌。
だが妙に和服が板についている。
「見つけました」
「俺をか?」
「いいえ」
女性は首を振る。
「モイラを」
モイラが固まった。
「げ」
「げ、ではありません」
和服の女性は穏やかに微笑む。
「ずいぶん探したんですよ」
「えへへ」
「反省してください」
「はい」
反省していない返事だった。
それから奇妙な三人で過ごすことが増えた。
和服の女性も自分をモイラと名乗った。
意味が分からない。
「同じ名前なのか」
「そうです」
「違うよ」
「違いません」
「違うもん」
言い争っている。
子供か。
和服の女性はどこか母親のようだった。
ふわふわしているが面倒見がいい。
モイラが無茶をすると止める。
そして大体失敗する。
「そこへ登ってはいけません」
「大丈夫!」
三秒後。
モイラが木から落ちた。
「ほら言ったでしょう」
「痛い!」
「痛かったですね」
優しく頭を撫でていた。
そんな日々がしばらく続いた。
不思議で。
妙に楽しくて。
俺は自分の人生に、少しだけ安定が生まれた気がしていた。
もちろん気のせいだった。
ある夜。
帰宅途中。
横断歩道の前で立ち止まる。
そこに見知らぬ女性がいた。
金髪。
青い瞳。
白いワンピース。
静かな雰囲気。
「こんばんは」
「こんばんは」
自然に挨拶を返す。
「あの」
女性は少し困ったように言った。
「クロートーとラケシスを見ませんでしたか?」
「誰だ」
「姉です」
「知らない」
「そうですか……」
本当に残念そうだった。
信号が変わる。
歩き出そうとした俺へ、女性が言う。
「ところで」
「なんだ」
「私はアトロポスです」
「そうか」
「ギリシア神話の女神です」
「なるほど」
「信じてませんね」
「全然」
当然だった。
すると彼女は小さくため息をついた。
「やっぱり駄目ですか」
「無理がある」
「そうですか……」
ひどくしょんぼりしていた。
だがその名前だけは、なぜか妙に頭に残った。
アトロポス。
そしてギリシア神話の女神。
まるで冗談のような自己紹介だった。
だが、このときの俺はまだ知らなかった。
その言葉が、冗談でも妄想でもなかったことを。




