妹を救うため仕方なくメシの写真を送り付ける(前篇)
兄と妹のほのぼの日常。
飯テロコメディ。
妹が一人暮らしを始めてから、俺には一つ、週に何度か行う仕事が増えた。
料理を作ることでもない。
掃除でもない。
妹の安否確認でもない。
写真を撮ることだ。
しかも、ただの写真ではない。
できるだけ美味しそうに見える写真を撮って、妹のスマートフォンへ送り付ける。
「……我ながら、性格が悪いな」
土曜日の昼。
俺は自分の部屋のテーブルに並べた料理を眺めながら、スマートフォンを構えていた。
今日の昼飯は、鯖の味噌煮だった。
脂の乗った鯖を、味噌と酒とみりん、生姜でじっくり煮込んだ。煮汁はとろりとしていて、箸を入れると身がほろりと崩れる。
白いご飯。
豆腐とわかめの味噌汁。
ほうれん草のおひたし。
そして、薄く切った大根を添えた。
派手さはない。
だが、こういう料理は強い。
湯気の向こうで味噌の甘辛い香りが立ち上り、鯖の皮には煮汁が艶やかに絡んでいる。箸で身を割れば、脂がじわりとにじむ。
俺は少しだけご飯をよそい直した。
鯖の位置を変える。
味噌汁の椀を少し奥へ。
大根を手前に。
窓から入る光の角度を確認する。
「……完璧」
写真を撮る。
画面を見る。
うん。
腹が減る。
俺自身が腹が減った。
そして、これを見れば妹も少しは腹が減るだろう。
そう期待して、メッセージを添える。
『俺もやりたくないんだが、仕方ないので飯の写真を送ります』
送信。
三十秒もしないうちに返信が来た。
『朝から何も食べてない人間にそれ送るな』
俺は笑った。
『だから送ってる』
『悪魔』
『褒め言葉として受け取っておく』
既読。
しばらくして、また返信が来た。
『……鯖味噌?』
『そう』
『おいしそう』
『だろ?』
『むかつく』
俺は思わず声を出して笑った。
妹は昔からそうだった。
趣味に没頭すると、食事を忘れる。
子供の頃から、漫画を読んでいて夕飯を呼ばれても返事をしないことがあった。
高校生になればゲーム。
大学生になれば趣味の創作。
そして一人暮らしを始めてからは、さらに酷くなった。
本人曰く、
「お腹が空いてることには気づいてる。でも今いいところだから」
ということらしい。
俺からすれば意味が分からない。
腹が減ったなら食べればいい。
だが妹にとっては、趣味の途中で食事をすることのほうが面倒らしい。
結果として、一日一食。
ひどいときは菓子だけ。
それを知ったとき、俺はかなり怒った。
「飯くらい食え」
と言った。
妹は、
「食べる時間がもったいない」
と言った。
俺は、
「食べないほうが後でもっと時間を無駄にするぞ」
と言った。
妹は、
「兄ちゃん、説教が長い」
と言った。
だから俺は考えた。
説教では駄目なら、食わせればいい。
そこで始めたのが、飯の写真だった。
最初は普通に、
『今日はちゃんと食べろよ』
くらいだった。
それでは妹は動かなかった。
次に、
『夕飯食べたか?』
と聞いた。
『まだ』
で終わった。
ならば、視覚に訴えるしかない。
俺が作った料理を写真に撮り、送る。
ただし、妹が本当に食べたくなるような写真にする。
これが案外、効果があった。
写真を送ると、妹は文句を言う。
怒る。
俺を罵る。
だが、その数十分後には、
『なんか腹減った』
と連絡が来る。
そして、何か食べる。
つまり成功だ。
問題は、妹が写真を見て腹を空かせるたびに、俺へ文句を言ってくることだった。
『飯テロやめろ』
『健康のためだ』
『やり方が悪い』
『他に方法がない』
『あるだろ』
『何が?』
『普通に言えばいいじゃん。食べろって』
『それで食べなかっただろ』
『……』
『はい論破』
『うざい』
そんなやり取りを、もう半年ほど続けている。
俺は台所へ戻った。
午後からは妹の家へ行く予定だった。
週末には、保存のきく料理をいくつか作って持っていく。
今日はひじきの煮物と、鶏そぼろ。
それから、きのこのマリネ。
冷蔵庫に入れておけば数日は食べられる。
妹は料理をしないわけではない。
できないわけでもない。
ただ、面倒なのだ。
だから俺は、作ってしまう。
鶏そぼろは、生姜を効かせて甘辛く。
ひき肉にしっかり味を含ませる。
白いご飯に乗せれば、それだけで一杯食べられるようにする。
ひじきの煮物には、人参と油揚げを入れる。
きのこのマリネは、しめじ、舞茸、エリンギを焼いてから、オリーブオイルと酢、塩で和える。
料理をしていると、スマートフォンが鳴った。
『兄ちゃん』
妹からだ。
『何だ』
『今日来るんでしょ』
『行く』
『じゃあ写真送らなくてよくない?』
俺は少し考えた。
『それとこれとは別』
『なんで?』
『写真は写真だ』
『意味が分からない』
俺は笑いながら、鶏そぼろの鍋を撮影した。
つやつやした肉が、醤油の色をまとっている。
生姜の香りが鼻をくすぐる。
そのままでは地味なので、白い小鉢に盛って、上に刻み海苔を少し散らした。
撮影。
送信。
『俺もやりたくないんだが』
『嘘つけ』
『辛いのを我慢して送っている』
『絶対楽しんでるだろ』
『そんなわけない』
『写真の構図が毎回妙に上手い』
『気のせいだ』
『今、絶対ニヤニヤしてる』
俺はスマートフォンを置いた。
そして、ニヤニヤした。
その日の夕方。
妹の部屋へ行くと、妹はソファに座っていた。
「兄ちゃん、来たの」
「来たぞ」
「ご飯は?」
「持ってきた」
「やった」
妹の顔が少し明るくなる。
それを見ると、やはり持ってきてよかったと思う。
俺は保存容器を冷蔵庫へ入れた。
「鶏そぼろは明日の朝食べろ」
「朝は無理」
「じゃあ昼」
「昼も無理かも」
「食え」
「はいはい」
妹は笑った。
俺は冷蔵庫を閉める。
そのとき、妹が小さな声で言った。
「……ありがと」
「何が?」
「いろいろ」
「別に」
「写真とか」
「それは俺も辛いんだよ」
「まだ言うか」
妹は呆れたように笑った。
俺も笑った。
その日は、それで終わると思っていた。
だが、その夜。
俺は自宅でイタリア料理を作った。
にんにくをオリーブオイルでじっくり炒める。
ベーコンを入れる。
香ばしい匂いが立ち上がる。
そこへトマト缶。
弱火で煮詰め、塩と黒胡椒。
茹で上がったパスタを絡める。
仕上げに粉チーズ。
皿に盛る。
赤いソースに白いチーズ。
黒胡椒がところどころに散り、湯気と一緒にトマトとにんにくの香りが立つ。
時刻は午後十一時半。
俺は時計を見る。
少し迷った。
さすがに遅い。
だが、妹はまだ起きているだろう。
俺は写真を撮った。
そして送った。
『俺もやりたくないんだが、仕方ない』
数秒後。
『兄ちゃん』
『何だ』
『今何時だと思ってる?』
『十一時半』
『こんなの送られたら食べたくなるだろ』
『食べろ』
『太るだろ!』
俺は笑った。
『太れ』
『暴言!』
『お前は少しくらい太れ』
『女の子に言うことじゃない!』
『健康的になれって意味だ』
『言い方!』
俺は笑いながらスマートフォンを置いた。
しばらくして、また通知が鳴る。
『……明日、鶏そぼろ食べる』
俺は小さく息を吐いた。
やっぱり、これでいい。
写真を送る。
飯を食わせる。
それだけだ。
俺はそう思っていた。
ところが翌週。
妹から、珍しく電話がかかってきた。
「兄ちゃん」
「どうした?」
「……最近、写真が来るのが楽しみになってきた」
俺は黙った。
「だから」
妹は少し間を置いてから言った。
「もっと送って」
俺は思わず笑った。
「もちろん」
こうして俺の飯テロは、さらに悪化した。




