魔法使わないさん(後篇)
異世界ファンタジー。
ゆるいノリ。コメディ。
螺旋を描く白金の魔力。家に伝わる古い記録に、絵と文章で残されていた光だ。
まさか、と思うより先に、男が走り出していた。魔法の構えではない。大きく振りかぶる、棍棒の構えだった。
「結局、殴るんですか!」
「殴る。あとはこいつが勝手にやる」
振り下ろされた杖が、蜥蜴の眉間に叩きつけられた。今度は、音が跳ね返らなかった。打撃と同時に、白金の光が鱗の内側へ潜り込んだのだ。
蜥蜴の全身に光の筋が走り、鉄の鱗が内側から砕け散った。衝撃はそれでも収まらず、背後の斜面を駆け上がって、山肌の一部を丸ごとえぐり取った。
土煙が晴れたとき、月の下には、抉れた斜面と灰になった魔物の跡だけが残っていた。
「……山が、減りました」
「減ったな」
「これでも控えめにした」
「どこがだ」
男は杖を肩に担ぎ直し、震えているリゼを振り返った。
「怪我はないか」
「な、ないです。あなたの方が」
「かすり傷だ」
リゼはその場にへたり込んだ。
夜明け。焚き火の残り火を挟んで、リゼは長いこと黙っていた。やがて意を決したように、荷物の口を開いた。
出てきたのは、柄まで鉄でできた大槌だった。表面には古い文字がびっしりと刻まれている。
「……これは、破杖槌といいます」
「物騒な名前だな」
「わたしの家は二百年前から、危険な魔法の杖を折って回る家業をしています。ホルン家です。そして七代前の当主が、どうしても折れなかった杖が一本だけありました」
「ほう」
「折れずの杖。持ち主の魔力を吸って、山を減らす杖。その行方を追って、わたしは家を出たんです」
リゼは、男の手の中の杖を見た。
「……たぶん今、目の前にあります」
沈黙が落ちた。男は杖を見下ろす。
「おい。お前、折れずの杖か」
「そう呼ぶ者もいた」
「有名なのか」
「ホルンの名は覚えている。八代前の当主は、私を鍛冶場の炉に放り込んだ。七代前は、この槌で三日三晩、私を叩いた。折れなかったが、少し痛かった」
「痛かったんですか」
「少しな」
リゼは頭を抱えた。
二百年、一族の誰にも成し遂げられなかったことを、自分の代で終わらせるつもりで旅をしてきた。その杖は銅貨三枚で傘立てに刺さっていて、買った男に殴る道具として使われていて、あげく自分は、その持ち主に命を救われたのだ。
「運命ってのは、つくづく性格が悪い」
男が乾いた声で言った。
「お前の一族が二百年追った杖を、俺は銅貨三枚で買って、傘立て代わりにしてたわけだ。ついでに、その杖を探してた本人を、俺が助けた」
「笑い事じゃありません……」
「折ってみるか」
男は杖を差し出した。
「そのために来たんだろう。やればいい。折るなら殴った方が早いが、お前の槌でやれ」
「え」
「かまわん」
「かまわん、ではない」
杖が言ったが、男は聞いていなかった。
リゼは槌を握った。家宝の重みが、手の中で冷たかった。両手で振りかぶり、杖の中ほどめがけて、渾身の力で振り下ろす。
甲高い音がして、砕け散ったのは槌の方だった。
鉄の破片が朝日の中で飛び散り、リゼの手には、柄の切れ端だけが残った。
「ほらな。頑丈だ」
「二百年分の恨みにしては、軽い音だった」
「わたしの家宝が……」
リゼはその場に座り込み、柄の残骸を見つめた。それから、ゆっくりと顔を上げた。
「あの。教えてください。どうして、その杖は危険だって言われたんですか」
「私は、膨大な魔力を持つ者にしか目覚めない。目覚めた私は、持ち主の魔力を借りて、持ち主の知らない魔法まで使える。過去の持ち主は皆、それを使って街を焼き、国を割った。だから折られそうになった」
「じゃあ、やっぱり危険なんじゃ……」
「だが、この男は使わない」
杖は静かに続けた。
「面倒だ、殴った方が早い、と言って、私の魔法を使おうとしない。私が勝手に借りたときに文句を言うだけだ。私を手にした者の中で、これほど安全な持ち主はいなかった」
「魔法使いなのに、魔法を使わないから……」
「この男はそういう男だ」
「褒めてるのか、それは」
「事実を述べている」
リゼは、柄だけになった槌と、男と、杖を順に見た。そして小さく息を吐くと、立ち上がった。
「決めました。わたしも一緒に行きます」
「は?」
「折れないなら、折ることはできません。でも、危険な杖を見張るのも、ホルン家の家業のうちです。危険じゃなくなるまで、あるいはこの先ずっと、あなたが変なことをしないか見張ります」
「押しかけ監視役か」
「はい。あと、槌が折れたので家にも帰れません」
「それは自業自得だろう」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
リゼの突っ込みが、朝の林に響いた。男は耳をふさぐ真似をして、それから、口の端をわずかに上げた。
「まあいい。運命に文句を言っても始まらん。傘立てに刺さってた杖と、槌を折った女と、魔法を使わない魔法使いだ。似合いの三人だろう」
「三人ではなく、二人と一本だ」
「細かいな」
「まず、その荷物を持ってください。槌の破片が重いです」
「殴った方が早い」
「何を殴るんですか」
三人は、抉れた山を背に、街道を歩き出した。
魔法使わないさんの旅に、槌をなくした連れが一人、増えた。
文:Claude氏(Free)。




