魔法使わないさん(前篇)
異世界ファンタジー。
ゆるいノリ。コメディ。
街道から外れた林の入り口で、少女が三人の山賊に囲まれていた。
背負っているのは、旅人にしても大きすぎる荷物だ。少女はそれを抱え込み、背中を木の幹に押しつけている。
「その荷物を置いていけ。そうすりゃ命までは取らねえ」
髭面の男が短刀を指先で回しながら言った。
「……これは、置けません」
「だったら、置きたくなるようにしてやろうか」
残る二人が下卑た声で笑う。
その笑い声の隙間に、のんびりした足音が割り込んできた。
四人が同時に振り向く。街道を、灰色のローブを着た若い男が歩いてくるところだった。肩に担いでいるのは、節くれ立った古い木の杖。
山賊たちの顔色が変わった。
「おい、ローブに杖だぞ」
「魔法使いか……」
「詠唱させるな。囲め、囲め」
髭面が短刀を構え直す。魔法使いは、呪文を唱え終わる前に叩けば怖くない。だが唱え終わったあとは、山賊が三人いようが十人いようが関係ない。彼らはそれを経験で知っていた。
男は足を止め、三人と少女を順に眺めた。
「取り込み中か」
「見りゃ分かるだろ。あんた、魔法使いだな。悪いことは言わねえ、見なかったことにして通り過ぎな」
「魔法使いだ。自称だがな」
男は肩から杖を下ろし、両手で握った。その握り方は、どう見ても呪文を唱える者のそれではない。素振りをする棍棒使いの握りだった。
そして男は、心底うれしそうに笑った。
「ちょうど退屈してたところだ」
次の瞬間、男の姿が消えた。
山賊たちが理解するより早く、一人目の顎に杖が横から入っていた。鈍い音とともに、大の男が木の葉のように吹き飛ぶ。
「な、なんで杖で殴るんだよ!」
「殴った方が早い」
男は答えながら、二人目の脛を払った。悲鳴とともに、山賊が地面を転がる。
三人目は仲間が倒れるのを見て、一目散に林の奥へ走り出した。男が「あ」と声を漏らす。
男は転がった二人目の頭へもう一発入れようと、杖を振り下ろした。その途中、杖の先端がふっと淡く光った。
地面から緑の蔦が跳ね上がり、逃げる男の足首に絡みついて引き倒す。同時に振り下ろされた杖が、二人目の額にごつんと入った。
林に静寂が戻った。
男は手の中の杖を見下ろした。
「おい。今、俺の魔力を持っていったな」
「少し借りた。逃がすと面倒だった」
答えたのは男ではなかった。しゃがれた、乾いた声だった。少女が目を丸くする。
「杖が、喋った……?」
「喋る。それより今の蔦は何という魔法だ」
「知らないのか」
「知らん」
「この男はそういう男だ」
杖は淡々と、少女に向かってそう言った。
助けてもらった礼を言うべきか、今のやり取りに突っ込むべきか。少女の中で二つの気持ちがしばらく争い、突っ込みが勝った。
「あの、助けていただいてありがとうございます。ええと、魔法使いさん……なんですよね?」
「そうだ」
「今、思いきり殴りましたよね」
「殴ったな」
「魔法使いなのに」
「魔法使いだからといって、魔法を使わなきゃならん決まりはない。詠唱は長いし、魔力は減るし、当たるとも限らん。殴れば当たる」
「当たる前提がおかしいんです」
少女はリゼと名乗った。男は名乗らなかった。
「魔法学院には行かなかったんですか。普通、魔法使いなら」
「三日で追い出された。初級の火球を出したら、講堂の屋根が溶けてな」
「それ、落第じゃなくて退学では」
「落第だ。追試を受けさせてもらえなかっただけで」
「同じです」
男は肩をすくめ、山賊たちを彼ら自身のベルトで縛り上げた。街道を巡回する衛兵が、そのうち拾っていくだろう。
行き先は、どちらも同じ町だった。三日の道のりを、なりゆきで一緒に歩くことになった。
歩きながら、リゼは男の手の中の杖をちらちらと見ていた。
「その杖、どこで手に入れたんですか。ただの杖じゃないですよね」
「市場の骨董屋だ。傘立ての隅に刺さってた。銅貨三枚」
「三枚!?」
「折れない杖は貴重だ。どれだけ殴っても曲がらん。おかげで買い替えずに済んでる」
「傘立ては初めてだった」
杖がぼそりと言った。
「昔は、折られそうになったものだ。何度もな。危険すぎる、というのが理由だった」
「危険……?」
「気にするな。俺が持ってる分には、殴りやすいただの棒だ」
「この男はそういう男だ」
杖はもう一度、淡々と言った。
リゼが荷物を抱え直したとき、金属の重たい音がした。杖が一瞬だけ黙る。
「重そうな荷物だな」
「い、家の道具です」
リゼは目をそらした。
夜、街道脇の窪地で火を焚いた。
「魔法使いさん、って呼ぶの、やっぱり違う気がします。魔法、使ってませんし」
「じゃあ何と呼ぶ」
「……魔法使わないさん」
「悪くない」
「気に入ったらしい」
杖が言った。
その夜更け、水を汲みに小川へ出たリゼは、帰り道で足を止めた。
闇の中で、何かが動いた。
月明かりに浮かんだのは、鉄のような鱗に覆われた、馬ほどもある大蜥蜴だった。魔物だ。金色の目が、まっすぐリゼを見ている。
悲鳴が出るより先に、背後から影が飛び込んだ。
「下がれ」
魔法使わないさんの杖が、蜥蜴の顎を横から打ち抜いた。
しかし、鈍い音がしただけだった。蜥蜴は首をわずかに傾けただけで、金色の目をぎょろりと男へ向ける。
「硬いな」
「鉄鱗蜥蜴だ。刃も打撃も通らん」
「なら、二百発殴る」
「二百発の間に、こちらが食われる」
言い終わる前に、太い尻尾が唸りを上げた。男は杖で受けたが、体ごと弾き飛ばされ、木に叩きつけられる。
「魔法使わないさん!」
「大丈夫だ、かすり傷……いや、ちょっと痛い」
男は起き上がり、額の血を袖で拭った。蜥蜴がゆっくりと二人に向き直る。
「魔法を使ってください! 魔法使いなんでしょう!」
「使い方を知らん」
「そろそろ、私の出番だな」
杖が言った。
「勝手に撃つな。お前が撃つと」
「山が一つ減る。分かっている。だから、加減して借りる」
「その加減を信用したことは、一度もない」
杖の先端で、白金色の光が渦を巻きはじめた。
リゼは息を呑んだ。その光を、彼女は知っていた。




