国王陛下が面接にきたので思わず「はあ?」と言ってしまった(前篇)
異世界ファンタジー。
ゆるいコメディ。
凸凹バディもの。
王都の場末にある万屋兼魔法事務所の看板は、長年の雨風に晒されて随分とくすんでいた。
戸を叩く音が三回、几帳面な間隔をあけて響いた。
「はいはい、開いてますよ。ご依頼なら受話室の丸椅子へどうぞ」
俺――クロードは、カウンターの奥で薬草の粉末を調合する手を止めずに声をかけた。
冒険者組合の登録証を返上し、この小さな事務所を立ち上げてから二年が経つ。以前のような派手な魔物退治ではなく、井戸の水質浄化や屋根裏の小動物除けといった地味な仕事ばかりだが、一人で食っていくには十分な生活だった。責任感だけは人一倍強いと自負している俺にとって、自分の裁量で手堅く完結できる今の稼ぎ方は性に合っていた。
「求人票を見て来た。事務補佐兼、現場作業補助の募集だったな」
聞き覚えがありすぎる凛とした声が、狭い室内を満たした。
俺は思わず手を滑らせ、貴重な銀嶺草の粉末を卓上にぶちまけた。慌てて手拭いを掴み、視線を入口へと向ける。
そこに立っていたのは、つば広の帽子を深めにかぶり、旅用のマントを羽織った美しい女性だった。整った目鼻立ちに、氷のように冷ややかだが澄んだ青い瞳。腰には装飾の削ぎ落とされた実用的な長剣が下げられている。
「……リリス?」
「今はその名で呼んでくれて構わない、クロード」
女性――かつて俺と二人でパーティを組み、大陸中を駆け巡った超一流の女剣士、リリス・アルティエは、微かに口元を緩めた。
だが、彼女の現在の本名はリリス・アルティエ・ヴァルハイト。先月、正式に戴冠式を執り行ったばかりの、このヴァルハイト王国の現第十四代国王陛下その人である。
「……はあ?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
自慢じゃないが、俺は魔法使いとしての観察眼にも、元冒険者としての危機管理能力にも長けているつもりだ。だが、一国の頂点に立つ人間が、平民の個人事務所の時給八百エルドの求人募集に応募してくるという事態は、いかなる魔法理論を用いても解釈の域を超えていた。
「何かおかしなことでも言っただろうか。私は至って大真面目だ。ここに履歴書を持参した」
リリスはマントの隙間から羊皮紙を一枚取り出し、カウンターの上に几帳面な動作で置いた。
そこには綺麗な筆致で『職歴:冒険者(三年)、ヴァルハイト王国国王(一ヶ月)』と書かれていた。
「待て待て待て! 説明しろリリス! いや陛下! なんであんたがこんなところにいるんだ!? 戴冠式が終わったばかりだろ!? 政務はどうした政務は!」
俺は頭を抱え、突っ込みどころが多すぎる履歴書を指さした。
「政務ならすべて終わっている。今日の執務時間は朝の六時から八時までの二時間で終了した」
「二時間!? 一国の王の仕事が二時間で終わるわけないだろ!」
「終わるのだ。先王――私の父上が、生涯をかけて完成させた完璧な官僚機構のおかげでな」
リリスは淡々と語り、室内の丸椅子を引き寄せて優雅に着席した。
彼女の父である先代国王は、歴史に名を残すレベルの希代の名君だった。彼は王家の権力を自ら削ぎ落とし、優秀な官僚たちで構成される内閣と法務院に国政の実権をすべて移譲した。国王の役割を『法案の最終署名』と『儀式への出席』のみという純粋な象徴的存在へと変革したのだ。
「父上の構築した制度は完璧だ。大臣たちは優秀で、書類の精査も抜かりない。私は上がってきた最終書類に王印を押し、外交上の挨拶を交わすだけでいい。今日の署名件数は十二件。八時五分にはすべて完了した。以降、明日の朝まで私の予定は完全に空白だ」
「だからって、なんで万屋のバイトに応募してくるんだよ!」
「暇だからだ」
リリスは一切の迷いがない、氷のように冷徹な瞳で俺を見つめ返した。
「元冒険者として、一日二十二時間の自由時間を部屋で過ごすのは苦痛以外の何物でもない。身体が鈍る。それに、私はお前と組んでいた頃の、あの充実した日々を忘れられない」
「忘れろよ! 王様になったんだから!」
思わず叫んでしまった。
二年前、先王が危篤に陥り、王女であった彼女が王都へ呼び戻された時のことを俺は鮮明に覚えている。
あの時、俺たちはSランク冒険者への昇格試験を間近に控えていた。二人で助け合い、数々の死線をくぐり抜けてきた。俺にとってリリスは最高の相棒であり、背中を任せられる唯一の存在だった。
だが、彼女が王位を継ぐべき身であると知った時、俺は自分からコンビ解消を切り出した。
国家の重責を担う人物を、冒険などという危険な真似に巻き込むわけにはいかない。責任感の強い俺が出した、苦渋の、そして絶対に譲れない決断だった。リリスも最後は納得し、静かに城へと戻っていったはずだったのだ。
「あのな、リリス。王様っていうのは象徴なんだろ? 象徴が街の万屋でドブさらいや薬草採取をしてたら、国民がどう思うか考えたことはあるのか?」
「問題ない。変装は完璧だ。認識阻害の魔道具も所持している。それに……法的な落ち度もない」
リリスは懐から一冊の分厚い革縛りの本を取り出した。ヴァルハイト王国憲章および王家典範の写しだ。
「昨夜、念のために典範を隅々まで読み返した。第百四十二条『国王の兼業および副業に関する規定』だ」
「そんなマニアックな条項があるのか……?」
「そこには『国王が王国の利益に反しない範囲において、私的な労働に従事することを直接禁止する規定はない』と明記されている。父上は官僚制を整えた際、王の私生活を一切束縛しないよう法を設計された。つまり、国王の副業を妨げる法はない」
「法がないからってやっていい理由になるか!」
俺は机を叩いた。
「だいたい、俺が断ったらどうするんだ? 雇い主には選考の自由があるんだぞ」
「不採用にするというのか? クロード」
リリスは少しだけ目を見開き、寂しげな色を瞳に宿した。
「この求人票には『経験者優遇、魔法と剣術の心得がある者』と書かれている。私以上の適任者がこの街にいると思うか?」
「う……それは、そうだけど……」
「私は本気だ。給料も規定通りで構わない。ただ、お前と共に働き、街の人々の役に立ちたいだけだ。……それとも、私の剣はもう、お前の魔法の足手まといにしかならないか?」
ずるい、と俺は心の中で毒づいた。
いつも冷静沈着で、感情を表に出さないこの女が、時折見せるこういう素直な眼差しに俺は昔から弱かったのだ。
それに、責任感という名の俺の悪癖が疼き始めていた。
もしここで彼女を突っぱねて、万が一リリスが他の怪しげな事務所に採用されたらどうする? 国王だとバレて脅迫されたり、政治的トラブルに巻き込まれたりしたら?
(俺の目の届く範囲に置いて、監視兼護衛をした方が安全なんじゃないか……?)
「……はあ」
本日何度目かわからない溜め息が、口から漏れた。
「分かったよ。採用だ。ただし! 条件がある」
「聞こう」
「第一に、仕事中は絶対に『国王』の顔を出すな。お前はただの駆け出し助手のリリスだ。第二に、城の仕事に支障が出そうになったら即座にクビにする。第三に、俺の指示には絶対服従だ。いいな?」
「了解した。雇用契約の成立だな、雇い主」
リリスは満足そうに頷き、整った顔立ちに小さな笑みを浮かべた。
こうして、平民の万屋と現役国王という、世界一歪で奇妙な師弟コンビが結成されてしまったのだった。
最初の数日、俺の心配は杞憂に終わるかと思われた。
リリスの作業効率は、恐ろしいほど高かった。
「クロード、北通りのミセス・ペトラー宅のネズミ駆除と、南街区の倉庫の荷物整理、どちらを優先すべきだ?」
「ペトラーさんの方は急ぎだ。ネズミが魔導具をかじりそうだって言ってたからな」
「承知した。五分で完了させる」
リリスはそう言うと、風のように事務所を飛び出し、本当に五分足らずで戻ってきた。
「完了した。ネズミの侵入経路を塞ぎ、個体は一匹残らず素手で捕獲して遠くの森へ逃がした。ついでに屋根の瓦がズレていたので修繕しておいた」
「完璧すぎるだろ……」
元Sランク級の身体能力と、王族として叩き込まれた完璧な事務処理能力。その二つが組み合わさった結果、彼女は万屋の助手として超一流の働きを見せた。
街の人々も「リリスちゃんは仕事が早くて親切だ」と絶賛し、事務所の評判はウナギ上りだった。
俺も久しぶりにリリスと並んで作業をし、懐かしい感覚に胸が温かくなるのを認めざるを得なかった。二人で協力して仕事を片付け、夕方にお茶を飲みながら反省会をする。冒険者時代に戻ったかのような、穏やかで満たされた時間。
だが、そんな平穏が長く続くはずがなかったのだ。
事件が起きたのは、採用から二週間が経過した、ある嵐の夜のことだった。
事務所のドアが、激しく叩きつけられた。
「頼む! 誰かいてくれ! 救急だ!」
俺が慌ててドアを開けると、全身ずぶ濡れになった若い男が倒れ込むように入ってきた。近隣の農村からやってきたというその男は、青ざめた顔で訴えた。
「村の裏山で土砂崩れが起きて……崩れた古洞窟から、冬眠中だった『岩喰い竜』が目覚めてしまったんだ! 村の警備団じゃ太刀打ちできない! ギルドに救援を頼もうにも、嵐で街道が寸断されていて……!」
岩喰い竜。Bランク以上の冒険者パーティでなければ討伐不可能な、極めて危険な大型魔獣だ。
「村の人たちは!?」
「まだ避難が完了していないんだ! このままだと村が全滅してしまう……! お願いだ、魔法使いの旦那、時間を稼いでくれ!」
俺は即座に壁から杖を取り取った。
「分かった。すぐに行く。リリス、お前は留守番だ。城連絡用の緊急魔導具で、正規の騎士団に救援要請を打て」
「待て、クロード」
リリスが静かに立ち上がった。その瞳には、かつて数々の魔王軍幹部を凍りつかせた凄まじい剣気が宿っていた。
「私も行く」
「バカ言え! 相手はグラン・ガルバだぞ! いくらお前でも、万が一があったらどうする! お前は一国の王なんだぞ!」
「だから行くのだ」
リリスは迷いのない声で言った。
「国民が危機に瀕している。そして、それを救える力が今、ここにある。王として、そしてお前のパートナーとして、見過ごせるはずがないだろう」
「リリス……!」
「騎士団を待っていては村が壊滅する。私とお前で行くのが最速かつ確実に村を守る方法だ。……行くぞ、クロード。私たちの連携なら、あのような蜥蜴一匹、三分で終わる」
俺は彼女の強い瞳を見つめ、深く溜め息をついた。
「……三分じゃない、二分で終わらせるぞ。ついて来い、陛下!」
「ふっ、望むところだ」
俺たちは嵐の夜へと飛び出した。
だが、この時の俺たちはまだ知らなかったのだ。
この救援行動が、先王が遺した『完璧な官僚制』と衝突し、王国全体を揺るがす未曾有の事態へと発展することを。




