総統閣下は物まね芸人にお怒りのようです(前篇)
現代コメディ・歴史パロディ。
軽めのシリアス要素。
「総統閣下シリーズ」などのネットミームが題材。
軽いファンタジー要素があります。
この作品はフィクションです。
「違う……違うんだよなぁ」
六畳一間のアパートに、怒鳴り声が響いた。
鏡の前で腕を振り上げ、眉をつり上げる。動画サイトで何百回も見た演説の身振りを真似し、腹の底から声を出す。
「諸君!」
勢いよく叫んだ瞬間、自分で吹き出した。
「うーん、似てるのは顔芸だけか……」
俺――三流芸人の神崎修は、売れない芸人だった。
唯一の持ちネタは、アドルフ・ヒトラーの物まねである。
もちろん政治ではない。演説の抑揚や、あの猛烈な勢いを誇張したコントだ。
きっかけは映画『ヒトラー 最期の12日間』だった。そこから派生した日本語圏の「総統閣下シリーズ」や海外の"Downfall parodies"を見て、「これ、日本人が生でやったら面白いんじゃないか」と思っただけだった。
結果は散々。
劇場では三十人中二人だけ爆笑し、残りは「誰?」という顔をした。
ところが動画サイトでは、一部の歴史マニアと映画ファンに妙に刺さった。
「演説の間が上手い」 「怒鳴り方だけ完成度高い」
そんなコメントだけが増えていく。
「でも上辺なんだよな……」
俺はため息をついた。
形は真似できる。声も寄せられる。
けれど、何か決定的に薄い。
その時、チャイムが鳴った。
「はーい」
ドアを開けると、金髪の青年と黒いシェパードが立っていた。
青年は二十代半ばほど。整った顔立ちで、人懐っこい笑顔を浮かべている。
「神崎修さんですか?」
流ちょうな日本語だった。
「えっ、日本語うまっ」
「ありがとうございます。動画を見て来ました」
「ファンですか?」
「ええ。かなり」
犬がこちらを見上げる。
「かわいいですね。名前は?」
「ブロンディです」
「……珍しい名前ですね」
青年は少しだけ照れたように笑った。
「歴史上の犬からいただきました」
俺は深く考えず、「へえ」とだけ返した。
部屋へ招くと、青年は本棚より先に、パソコンの横へ積まれた資料へ目を留めた。
「演説の速記録……写真集……発声の本まで」
「中途半端に凝っちゃって」
「真面目ですね」
その一言が少し嬉しかった。
青年は俺の動画を開いた。
「これ、もう一度やっていただけますか?」
「今?」
「観客は私一人です」
芸人なら断る理由はない。
俺はいつものネタを始めた。
机を演壇に見立て、怒鳴り、拳を振り上げる。
五分後。
青年は静かに拍手した。
「面白いです」
「でも?」
「惜しいです」
やっぱり来た。
「どこです?」
「あなたは言葉を怒っています」
「……え?」
「本当は、人に話しかけなければいけません」
青年は立ち上がった。
「少し失礼します」
彼は演壇もない部屋の中央へ立つ。
背筋だけが変わった。
「皆さん」
たった一言。
それだけで空気が変わった。
怒鳴っていない。
むしろ穏やかだった。
けれど自然と耳が向く。
「演説は最初に音量ではなく、『聞いてくれる』という期待を置くんです」
彼は俺を見る。
「あなた一人に話しています」
本当に俺だけへ向けられている感覚があった。
「次に、少し人数を増やします」
視線が壁、窓、天井へ流れる。
急に部屋が満員になった気がした。
「そして熱量を上げる」
声が大きくなる。
しかし怒鳴っている印象はない。
「相手の反応を拾い続ける。それが生の演説です」
鳥肌が立った。
「すげぇ……!」
「映画では叫ぶ場面ばかり印象に残りますが、実際は静かな入りも多いんですよ」
俺は夢中でメモを取った。
「なんでそんな詳しいんです?」
青年は笑う。
「昔から、大好きなんです」
その笑顔は少年みたいだった。
それから毎日のように彼は部屋へ来た。
発声。
間。
視線。
拳を振る角度まで直された。
「観客を笑わせたいなら、観客を見てください」
「はい!」
「鏡ではなく」
「はい!」
ブロンディはそのたび退屈そうに寝ていた。
ある夕方、練習後に俺は弱音を吐いた。
「どうしても上辺だけなんですよ」
青年は首を振る。
「それでいいんです」
「え?」
「心は真似てはいけない」
静かな声だった。
「形、技術、話術は学べます。でも心まで真似たら、あなたはヒトラーになってしまう」
俺は息をのんだ。
「あなたはヒトラーになってはいけない」
その言葉だけは、不思議なくらい重かった。
「……ありがとうございます」
自然と頭が下がる。
青年は照れくさそうに笑った。
そして俺は勢い余って叫んでしまった。
「ありがとうございます! 我が指導者!」
青年が目を丸くした。
「演説の指導者?」
一秒の沈黙。
次の瞬間、二人とも腹を抱えて笑った。
「その訳は初めて聞きました!」
「いや、違うんですけど、もうそれでいいです!」
笑いすぎて涙が出た。
その時だった。
俺は思いついてしまった。
「一緒に劇場、出ません?」
青年は首をかしげる。
「共演?」
「俺がいつもの物まねをやってるところへ、本物っぽい『総統閣下』が出てきて、『違う!』って駄目出しするんです!」
青年はしばらく黙った。
そして、子供みたいな笑顔でうなずいた。
「それは……面白そうですね」




