☩えいと ヤミの中を這いずるモノたち ☩
私には、過去の記憶が鮮明によみがえる 「タイムスリップ現象」と、呼ばれる特性があるらしい。目にした光景を写真のように記憶する「カメラアイ」と呼ばれる脳の機能も関係しているという。
過去の強い衝撃やトラウマ体験が引き金となり、当時の五感パーツ(映像、音、臭い、手のぬくもりなど)ごとに自分の意思とは関係なく脳内にそのまま強制出現してしまう、いわば記憶のエラー(フラッシュバック)なのだ。
私の父は世間で言う所のろくでなしだった。私が母のお腹にいるとき、父親はあろうことか私たちをほったらかして、他の女のところに入り浸り、挙句、そのまま戻ってこなかった事があるらしい。父が若いときの写真を見たことがあるが、今流行りの俳優によく似ていた。
母は母で若い頃は大手の銀行に勤めていて、問い聞き(プロポーズの打診)がしょっちゅう来るほどの美人(昔の写真を見ると、確かに美人)で、高校時代には、当時としては珍しいと思われる新体操をしていた。
私のモテ期は小学校四年生がピークで、それから右肩下がりのジェットコースターのように、捻りを加えて急降下した。理由は太ったからである。それまでは、ほぼ毎日女子たちが三人ほど私の家に遊びの誘いに来ていた。
ある日、彼女たちに囲まれて歩く私を、男子たちが『女の中に男が一人』と祭囃子のような調子で囃し立てた。
恥ずかしさのあまり家に帰ろうとする私を、一人の女子が自分の背中に隠して男子たちから守ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
現在は・・・・・・武士の情けじゃ聞かないでおくれよ、なぁおとっつあん!であ
る。
話を戻すと、父はその後、祖父母やその女、私と母の目の前で土下座をし、泣きながら謝ったから仕方なく許したという、非常に香ばしいエピソードが、母の口から語られたことがある。
母からの一方的な話だから、真相は分からないが、その後の父の人生から想像すると、あながち的外れではないようだ。
父は気まぐれで優しいときもあった。
酒を飲まなければ。
私にとって一番大切で一番楽しかった思い出がある。
父と二人で地元の漁港に夜釣りに行き、一本の竿で一緒に魚釣りをした時のことだ。「光輝いくぞ!」父が会社の軽トラの中から大声で呼んだ。
私をわけもわからず、その軽トラの助手席に乗った。足元にはささくれたロープが何本も巻いて置いてあった。その上に足を乗せ、腰につけるタイプのシートベルトをつけた。父が履いている舗装用のごつい安全靴からアスファルトの匂いがしていた。「魚釣り行くぞ。今日は潮がいいんだ」父はマニュアルの軽トラを運転して20分ほど山道を下った先にある漁港と呼ぶには、少し小さめの船着場についた。赤い桟橋の近くの街灯が照らす光の円の内側に車を停めた。そうすると懐中電灯なしでも作業がしやすいからだろう。何かの仕掛けをその光の中で作っている父の姿を見るのが好きだった。仕掛けを作り終えた父は「行くぞ」と私の手を引き、赤い色をしたあんまり明るくない懐中電灯で足元を照らしながら、目的地まで歩いて行った。私もお祭りで買ってもらった自分用の小さいライトを握り締めていろんなところを照らしながら歩いて行くと、コンクリートの壁に海のゴキブリと呼ばれるフナムシが、大小入り混じってたくさん張り付いていて、突然のライトに驚き、逃げ惑うの面白いと思い眺めていた。今は希少になったベンケイガニもたくさんいて、父が「このカニでタコが釣れるんで!」そう言って、大きめのカニを捕まえて、海に放り投げていた。線路に使われる枕木で雑に作られた1メートル幅の狭くて急な道を、時折足を滑らせて尻餅をつく私を、そのたびに繋いだ手を上に引っ張り上げて尻餅をつかないようにしてくれた父の力強い腕を覚えている。下まで降りると、真っ黒な海面に軽トラを照らしている街頭の光が、さざなみを浮かび上がらせていた。大きめの岩がある場所まで来ると「餌をつけてみいや」そう父が言うので、青虫の大きめのやつを口で噛まれないように(油断すると噛み付かれる)気をつけながら、半分位にちぎりそれを2本の針につけた。その間、父がライトで私の手元を照らしてくれていた。仕掛けを投げるのは、私には無理だったので、父が「ちょっと離れとけよ」私が父から離れると(ヒュン!シャーードモン!〈着水音〉カチャッ、チリチリチリチリ)とオリムピックのリール巻き、糸フケを取り大きい岩とその辺にあった石で、竿の根元部分を挟んで倒れないように立てておいた。しばらくして、いきなり竿が(ガタン)と倒れて、何かに引きずられた。
父が慌てて引きづられて行く竿を足で押さえた。「光輝、竿を持て!」そう言って足で踏んでいた竿を手に握らされた。
私の手ごと父の大きな手で握られながら必死になってギシギシ音をたてる竿とリールを二人で巻いていった。その時父が吸っていたチェリーというタバコの匂いを感じた。 ついに釣り上げたのはアイナメだった。多分四+センチ以上はあったかもしれない。
私は小学校一年生かもしくは二年生
(コップを投げつけられる前)だったので、漁港に備え付けられた街灯に照らされる、ぬめり光る魚体とアイナメの柄、大きさがアミメニシキヘビを連想させて怖かったのを覚えている。
私が八歳くらいのとき、友達と家の中で人生ゲームというゲームで遊んでいた。
その時だった。
私たちの声がうるさかったのだろうか。酔っ払った父が怒鳴りながら、今まで飲んでいたであろうコップ酒のコップを私の頭に投げつけた。
その瞬間、痛みというより(ゴギッン) という音と衝撃で、私はとっさに頭を抑えた。コップは割れ、頭を抑えていた指の間から生ぬるいものが頬を伝い、私の白い半袖シャツを真っ赤に染めていった。
怯えた友達は逃げるように勝手口から飛び出していった。
泣き声を聞きつけて駆け込んできた母は、血だらけの私を見た瞬間、金切り声で父を怒鳴りつけた。
私はその声を遠くに聞きながら、ただぼんやりと座り込んでいたのを覚えている。 不思議と痛みは少なかった。
その後、タオルで頭を覆った。その上からまたタオルを被せて二重にして、頭をを抑えながら病院に行き、何針か縫う羽目になった。
傷口を縫うときは、ホッチキスで紙を止めるときの音に似た(カチャン、カチャン)という音がしたのを覚えている。母がその後、病院の先生に理由を聞かれ「転んで頭からガラスにぶつかった」と言っていたのは印象的だった。私は「違うのに」と心の中で思っていたのを覚えている。父は知らん顔だった。




