☩ せぶン規律の刃は手順書でポキッ ☩
暑い!とにかく暑い!朝7時台から29℃なんて正気の沙汰じゃない。シャワーを浴びてスッキリしたかと思いきや、ものの5分、着替えをしてお弁当を保冷バッグに詰めただけで既に汗だくになっている。本日は、都会の砂漠で、高齢者と若い人が手と手を取り合って車で遊んでいる。それを、さっき見つけたオアシスで冷たい水に足を浸し、かき氷を食べながら応援する――そんな日であるはずもなかった。
私の愛車のターボエンジンも暑すぎて熱ダレを起こしている。いわば夏バテ状態だ。
夏になれば冬を恋しがり、冬になれば夏を恋しがる。理論的に分析すれば、春と秋だけ活動し、夏眠と冬眠でエネルギーを温存するのが、最も私にふさわしい生き方のような気がしてならないのだ。
夏バテ状態の愛車を夏眠希望の私がゴロゴロところがし、会社の駐車場にバックで入れたところ、少し斜めに入った。
誰も見ていないので、そのままにして、33度になっている外気温をインタークーラ
ーの無い肺に取り込みながら、熱ダレした体をクーラーの効いている二階事務所に照準を合わせて黙々と進撃していった。
扉を開けると、オアシスはそこにあった。
トロピカルジュースこそなかったが、
昨日忘れて帰ったキャプテンスタッグのステンレス水筒を振ってみると、(カラカラッ)と、氷の音がする。
この水筒は本当にすごい。
5年以上も使用しているのに、ゴムパッキンすら劣化していない。昨日の朝から今朝まで丸一日経過しているのに、氷がまだまだ残っているのだ。
私は昨日の朝の麦茶で喉の渇きをいやした。パックを入れたまま、24時間放置プレイでお茶を濁された麦茶の濃度が、私に本物の渋さとは何かを訴えかける。
私は、その渋みの増したハード(ボールド)頭部で、私の言うことを聞いてくれないパソコンを覗き込んだ。
その日の個人の予定がわかりやすく表示してあり、それを自分のノートに書き込み、仕事の流れを把握しておくという手順を踏んでいる。そうすることで、急な予定変更にも即座に対応できる『余裕』が生まれるからだ。
私はその予定表を確認をしながら思わず呟いた。
「うわあぁ・・・・・気まずいな、これは・・・」
いつか来るとは思っていたが、こんなに早く来るとは。
今日は鷲尾さんと仲良くペアで仕事だ。
私はどんな顔をして、彼女と会えばいいのか分からずにいた。
たとえ正論であっても、彼女の「ハイソウデスネ」は、脳に深いダメージを与えたことを如実に表している。
謝るにせよ、何に対して謝ったらいいのかも曖昧だ。私は助けた側である事は明白だ。しかし、彼女の特性に気がついたので謝りたいなどと口が裂けても言えない。一番波風立たないのは、きつく言ったことに対しての謝罪しか思い浮かばない。
気持ちを尽くしても、許してもらえず、無視で通されたら私は・・。
「ブルッ」
寒気が背中を下から上へ通り抜けていく。
考えただけでも恐ろしい。
女性から無視されたり、氷よりも冷たい目を向けられたりすることは、男性諸君にとって上空一万メートルからバンジージャンプをするより辛い(かもしれない)最悪のイベントである。
その可能性と確率は考えれば考えるほど、天井知らずに上昇していく気がする。
「キンコンカンコン」
始まりのチャイムが鳴る。
「はぁぁぁぁ~・・・・・・」
気を練っているわけじゃ無い。
気が滅入っているだけである。
このプレッシャーから逃げ出すように、私は一度トイレへと旅立った。そして、重い足取りで教室に向かう。
さて、皆さん。私たちがペアになって行う仕事って何でしたか?
アレですよ、アレ。
モンスター高齢者(現役の先輩)の方々の、運転技能試験です。
今日も全国から六名の、眼光鋭い先輩方が
が腕組みをして、目をつぶって待機しておられます。
頼むぞ、親友サイバスティアニ号機
今日は特に、私が「模範走行」をするのは絶対に、い、や、だ。嫌すぎる!
なぜなら、鷲尾さんとの気まずさ一万パーセントな上に、模範走行が当たってしまったら・・・
墓場コースにて厳つい車輪をつけた派手な棺桶に乗って、地獄への直通ラインを全速力で走る元エリートには絶対になりたくない。
どうか当たりませんように。私は神に祈った。
その時、パソコン画面が一瞬ピカッと光り、そこには・・・・・・他の同僚の誉れ高き名前がピカピカと点滅していた。
渦中の同僚の背中に哀愁が漂ったかと思うと、右手の壁までフラフラと歩いて行き、右半身を壁に預けて、壁に頭を(コンコン)と小さく打ちつけている。
私は心の中で、(壁コン頭)に心からの感謝とエールを送った。
(よっしゃあ!ありがとう!ありがとう!君の勇姿は忘れないよ!君なら、壁を壊すような熱い走りができるよ。ふふふ・・・・・・)
その壁を壊す同僚の名前がパソコンに出た瞬間に、私の斜め前にいた鷲尾さんは、ビクッとしてその両肩を強張らせた後、安心したように肩から力が抜けていった。
モンスター高齢者が厳しい視線を向ける中、模範走行を行っていた勇者壁コンは、本当に素晴らしい走りで皆を魅了したのだ。
勇者の凱旋だ。彼は過酷な気温の中、自分の壁を突破し、限界まで出し切ったのだ。
顔を真っ赤に上気させて、部屋に戻ってきた勇者に、「さすが、大したものだ。素晴らしかった!次からは君がすべて担当したらいいと思う。そうだろう?な?な?」と、みんなの気持ちを代表して私が話しかけると、「勘弁してください・・水・・」だけ言い残し、砂漠を何日もさまよった遭難者のように水を求めて自動販売機コーナーへ消えていった。
模範走行後に、私たちは部屋の移動を開始した。
鷲尾さんの背中から三メートルほど空けた位置を歩きながら背中で揺れるポニーテールを見つめながら、私の緊張は高まっていった。まるで告白前のような気持ちだ。
少し薄暗い廊下を歩いて行くと、左手に六人ほどが作業できる小部屋が4つある。その中の1つに、彼女がドアを開けて入室した。後を追うような形で入りドアを後ろ手で閉めた。
ここで技能試験の準備をする。
彼女と廊下ですれ違う時に感じる花の香りがする。
薔薇のようでいて、どこか違う。
私の好きな香りだ。
彼女は無言で席につき、準備(書類に受験者の情報を書き込む作業)を始めた。
私も彼女の向かいの席につき、同じように準備を始めた。
二人とも無言だ。
時が凍りついたような長い沈黙の後、私が口火を切った。
「この間の件だけど・・・・・・」
と言いかけた瞬間に、私の言葉に被せるように、
「先日は、迷惑をかけてしまって、すいませんでした」彼女は謝ってきた。
私は咄嗟に、
「もう、お互い気にしないようにしようね。それでね、君に使って貰えたらと思って、簡単な手抜き手順書を作ってきたんだよね。私がやっている事と、ほとんど一緒だけど、鷲尾さん用に分かりやすくアレンジしてみたから、やってみない?」
そう言って、ポケットから一枚の紙を出し、彼女の目の前にひらりと置いた。
簡単とはいっても、言葉では分かりづらい要点を図解と色分けにより、審査するべきポイント、重要度別で視覚的に表示してあり判断の速度が上がる。
私のその他の手順書の基本となるべきものだ。そうすることでパニックを起こさず、冷静に対処できるようになる。
多少の慣れは必要だが。
彼女はそれを手に取り、びっくりしたような目で私を見つめ、すぐに手順の確認を始めた。その内容のいくつかと、考え方を説明して理解してもらった後、私はそっと部屋を出た。
私は、自分の仕事をしながら、彼女の様子をフォローしていた。いつも以上に真剣な彼女の横顔を見ながら(頑張れよ!)と、応援していた。彼女のいつものタイミングより格段に早く仕事が進んでいるのを確認してから自分の仕事に集中した。
結果として、彼女は私よりも少し早いタイミングで仕事を終えていた。
私が、自販機に向かって廊下を歩いていると背後から(パタパタ・・)と,聞き覚えのある軽い足音が近づいてきた。
振り向いた私の目の前に、一生懸命に仕事をしたのが一目で分かる。顔を上気させて額が少し汗ばんでいる美しい彼女が笑顔で立っていた。「手順、ありがとうございます。ちゃんと時間内で出来ました!」と少しお辞儀をした後、
大輪の花が咲き誇ったような鮮やかな笑顔を、今度こそお礼と一緒に忘れずに私に向けてくれた。
そして、嬉しそうにパタパタと去っていく
彼女の背中で弾むように揺れるポニーテールを見えなくなるまで眺めていた。




