☩ 天七 ズキッに隠れた想い ☩
私と彼女は隣同士の席になっていた。席替えがあったのだ。
私に「日狩さんはどこでした?」そう聞いてきた。彼女に、「え?まだ見てないんだね(席替えの順番が紙で貼ってあった) 君の隣が私で、不思議なことに私の隣も君なんだよね」
そう言ってあげたら、愛らしい二重の目を更に見開いて、「本当なんですか?マジですか?」
素の彼女が顔を覗かせている事に気付いていない、心からの嬉しそうな顔が、今でも脳に焼きついて離れないでいる。
相変わらず、手すり椅子定例会議をしながら、隣の席で「この書類はどう解釈したらいいんですかね?」そう言って書類が苦手な私を悩ませたり「この文章言葉おかしくありません?」など、事務処理が苦手な私に苦痛を与えてくる。
もちろん仕事も素晴らしくできる。
私と二人でやるときはほとんど話さなくても、お互いが相手の動きを見て、相互に補填し合うということができるので、スムーズに進む。
俗に言う阿吽の呼吸である。彼女は私の手順書に従ってやっているので、合うのは当然なんだが、それ以上の空気感を感じる事があり、それが彼女にとっても嬉しかったのか、二人で(目と目で通じ合う生き生き仕事)を楽しんでいた。
そんなある日の事だった。
突然の降って湧いたような猛烈な違和感だった。
私と彼女が話していると、遮るように上司が割り込んでくる。それが仕事の話であったとしてもだ。
私達からしてみれば「ちょっと待ってくださいよ。今大事な話をしてるんですけれど」そういうこともあった。
要は妨害をしに来ているのだ。だが、相手は上司なので、私は黙って引き下がるしかなかった。
何度かそういうことがあったので、私は「やはりそういうことか」全てを理解した。
彼女は怪訝そうな顔をしていたが、私との話を切り上げるしかなかった。
私たちは周りの空気感を感じるのが苦手な特性だが、経験の多さという意味では、私が理解できている部分を多分彼女は理解できていなかっただろう。
私と彼女の関係が会社内で噂になっている事は明白だった。
二人は独身だから、やましいことも何もない。ただ私たちはお互いの凸凹を補い合うために引き合っている。
それを他人の目で見たとき、嫉妬や妬み、興味の対象となり、私たちをよく思っていない人間の側からすれば、恰好の攻撃材料になるのは火を見るよりも明らかだった。
その考えに至った私は、彼女が傷つく (年齢が離れている男とできていると見られる)事があってはいけないと考えた私は、少しずつ彼女と距離を置くことに決めた。
彼女との年齢差を気にする私の心は、彼女と出会ってから常に、壊れた天枠のように右に左に最大幅で揺れ続けていた。
自分の心の棘とモヤを消せなくなった私は、それを消化しきれずに、時に彼女に辛く当たってしまっていた。
その嫌悪感と後悔が、さらに私の中によりはっきりとした黒いものを生み出した。「嫉妬心、独占欲」と言われる、時に醜いけれど、人間の中にある必要な部分。それが私を蝕んでジワジワと広がっていた。
彼女を助けたい。自分も助かりたい。楽になりたい。と思うその心が、ドス黒いモノをさらに大きく強く広げていった。
結果、彼女にソレをぶつけてしまうことが多くなっていった。
私は彼女が徐々にしおれていく姿を横目で見て早足で通り過ぎる事しか出来なくなっていた。
物理的な距離を取ることにより、次第に心も離れていくのがわかった。
彼女と言葉を交わすことも少なくなっていた。彼女から笑顔が消えていくのを感じながら、それでも私は距離を取るしかなかった。
私の中にあった彼女を(スキ)だと言う思いは、私自身が撒き散らした心の濁り(濁点)により、とてつもなく重い【ズキ】に変わってしまった。
彼女が他の同僚と話をしている時も【ズキズキ】と私を締め付ける。
だから彼女がそばに来たら席を外し、その場からも彼女からも逃げ出した。
私は人を羨ましいと思う気持ちが薄い。お金にもあまり興味がない。ただ好きな人に対する嫉妬心や独占欲が、人よりもかなり強い事は経験から理解していた。
そんな暗闇の日々の中、仲の良い同僚が、
「鷲尾さん、最近元気がなくて心配だね」
そう私に言ってきた。
「そうなんですよね」軽く流すような返事しかできなかった。
同僚は、私たちが受けた妨害行為の事は知らないだろう。
単純に彼女のことを心配して(声をかけてあげてくださいよ。君にしかできないよ) そう私に言いたかったのだと思う。 同僚は優しい人だから、鷲尾さんにいろいろ話しかけてくれていたんだろう。
上司の妨害行為は要は私たちへの警告だ。私たちのどこが場を乱しているのだろう。確かに仲良くしていたが、仮に私たち以外の人に二人の世界ができていたとしても、それを邪魔してやろうなどとは私は思わず、むしろ応援してあげようとする思う。それを嫉妬や、妬みでつぶしてやろう。業務妨害だなんて、ただのやっかみに過ぎないだろう。
彼女が明るく変わり、一生懸命に仕事をしていたのを見ていたはずのあなた方の目はどこを見ているのか!
そう言って怒鳴ってやりたかった。
「彼女から離れることで、自分の心を救いながら、距離を取ることで彼女を傷つけることもない。これでいい」そう自分に言い聞かせながら、ギスギスした暗闇の日々をただただ浪費していった。
たまに一緒に仕事をしても必要以外の話はしなかった。
完全に彼女から笑顔が消えた。
そして一年ほど暗闇から抜け出せずにいた、ある日のことだった。
二階事務所の所長室の前(所長室の扉は常時開けてある。)にあるパソコンに向かって仕事をしていた私に、彼女が話しかけてきた。
「紅まどんなって言う柑橘食べますか?」
私は驚きと意外さで、心臓が「とーーん」と大きく打ったのを覚えている。
私に対して、既に彼女は呆れ果てている。そう思っていただけに、なぜそんなことを言ってきたのだろう。
どういうことなんだ。そんなふうにパニックになっていた。それでも心は嬉し泣きをしていた。
「うん。ありがとう」彼女は続けて、
「毎年父が買ってくるんですけど、今年は少し小さいって言ってました。それでもいいですか?」と聞いてきた。
私は、「高いものなのに、本当にありがとう」そう言うのが精一杯だった。
彼女はあの懐かしい微笑みとともに、
「明日持ってきますね」
そう言って、スタスタと去っていった。
空いたドアの向こうで全てを聞いていたトップは何も言わなかった。




