☩ 天 奈落のソコにあるモノ☩
(ピーヒョロロロ〜)見上げると、顔なじみの鳶が、私の頭の上を追いかけてきて、私の手からパンをくすねていった。
なぜだかわからないが、こいつは初めて会ったときに私のことを恐れなかった。学校帰りに友達が食べれなかった給食のパンをもらって食べながら帰っていると、突然私の右手をかすめるように黒い塊が通り過ぎた。その瞬間、右手に持っていたパンは消えていた。
私はとっさに首をすくめたが、私の体のどこにも触ることなく、通り過ぎたときに右頬に感じた風のみがその存在を証明していた。
それから私は給食のパンを半分だけ残して、帰り道に右手を上に上げると急降下したあいつがパンをくすねていくのを楽しみに学校から帰るようになった。
ある日を境にあいつは姿を消した。私は何日も残ったパンを握りしめたまま帰宅して、庭の池で飼っているフナやコイにそれを与えた。
母と弟たちがいなくなってからかなりの月日が経過した。
私の同級生は、弟たちがどうしたのかを聞いてきたが、「親戚の家に行っている」と祖母に言われた通りのことを言っていた。
私は変わらず、祖父母と一緒に母屋で暮らしていた。
父は私の前には一切、姿を現さなかった。
朝、仕事に出かけるとき、そして仕事を終えて帰宅したときの、バイクの(ヴォンヴォンドルルル~・・・カチャ)というエンジン音だけが、父の存在のすべてだった。
あれから八ヶ月ほど経った頃だろうか。
私が学校から帰ると、そこには母と弟たちの姿があった。
その姿を見た私は、なぜか無性に照れ臭くて、すぐに母屋の二階にある自分の部屋へと上がり息を殺していた。
(トントントン)階段を上ってくる足音。 「母かもしれない」私は布団を頭から被り、さらに身を硬くして息を殺した。
「光輝、お母さんが帰っとるよ」
祖母だった。
私は布団から顔を出して「ふーん」とだけ言い、さっきまで見ていた『紅はこべ』という物語の何周目かの続きをただ読んでいた。
母が帰ったにもかかわらず、普段と同じく祖父母とご飯を食べた。
祖母は「お母さんに会わんでもいいんか?」そう言いながら、私にご飯をよそってくれた。祖父はいつも通り、アルミのチロリで熱燗を飲んでいた。
私は無言のまま、ただ箸を進めた。
何日経っても、私の心は曇ったままだった。
私をほったらかしてどこかへ行ったあの人たちは、もう私とは関係のない人たちなのだと思っていた。
祖母は、いつまで経っても変わらない私を心配したのだろう。事あるごとに「二階でご飯食べたら?」そう言ってきたが、私は「いやだ」とだけ言って、いつものごとく黙々とご飯を食べては、自分の部屋で過ごしていた。
私は、あの人たちと会わないように、徹底して避けていた。
もちろん、弟たちとも学校で会って話すことなどしなかった。話しかけられても、すべて無視した。
この辺りから、私の記憶は曖昧になっている。
完全に心を閉ざして、現実を見ないようにしていたからだろう。
ぼんやりと覚えているのは、会いたくもない母に突然会ったとき、母が「光輝、ごめんね」と言っていたような気がするくらいだが、それすらも定かではない。
とにかく私にとって嫌な人たちなので、一切関わりたくないと思っていたような気がする。
それからも、母と何回か会ったときに何か私に言っていたような気がするけれど、よく覚えていない。
私の特性である「カメラアイ」のレンズには、自分自身で黒いガムテープでも貼っていたのだろう。
元凶である父にも会ったような気がするが、これも覚えていない。そんな風にして日々を過ごしていた。
ある日、父が「なんでお母さんと話せんと無視するんだ?」そう、私に怒ったような声で言ってきた。
そのセリフだけは、今でも鮮明に覚えている。
今の私なら、「この騒動の元凶であるあなたが、どの口でほざきますか」とそのように呆れ果てながら、一撃を食らわせてあげるのだが、そんな風に言われた当時の私は、ただ困惑するしかなかった。
僕はずっと一人で、気にもかけてもらえなかった。
それなのに、なんでこの人はこんなことを言うのだろう。
理不尽を絵に描いたようなそんな生活の中、父への憎しみにも似た感情は、拭い去れないものになっていた。もう、話をしたくないんだ。『でも、母がかわいそうかも』僕が話せばいいのか?『本当は、話したい』僕が話さないからいけないんだ。 そう思ったのだろう。
いつの間にか、普通に話すようになっていった。
そして、今でも強烈に覚えている。
私が物置から何かを取り出そうとしたとき、一番楽しかった、父とアイナメを釣ったときのリールが、ちょうど私の目線と同じ棚の高さに置いてあった。
「あいつがいなくなれば、このリールは僕のものになるのに」十歳の私が、本気でそう思っていたという事を。




