第5話 ムードシフター
ダルマイヤックから、荷物が届いた。
拠点の転送装置に、小さな箱が一つ。中には、手のひらサイズのスプレー型デバイスと、説明書が同封されていた。
スプレーのラベルには「ムードシフター」と書かれている。デザインはスタイリッシュで、地球の化粧品に似ている。
通信デバイスが震えた。
「届いたか」
「はい、指導官。これは何ですか?」
「試作ツールだ」
「試作……?」
「我が、ヒーロー・ヒロイントレーナー研修センターをサポートするザイオン・コープが開発した特別なツールだ。アルケオンの技術を応用した、地球でいうアロマ型の気分調整デバイス。対象者に噴霧すると、一時的に性格特性を変化させる」
性格を変化させる?
「これまでも、ヒーローやヒロインたちは、自分たちが局面に立たされた時、自分の内面にある弱点を克服しながら乗り越えていった」
確かに、キュートブリーズもムーンブレイカーズのひかるも、一つずつ壁を乗り越えて、敵に向かっていった。
「このデバイスには、具体的に三種類のモードがある。『勇気』を噴霧すれば臆病な者が大胆になる。『集中』を噴霧すれば散漫な者が緻密になる。『情熱』を噴霧すれば無気力な者がやる気に満ちる」
「それは……便利そうですが」
「便利だろう。候補生の訓練に活用できないか、実地で検証してほしい。それがザイオン・コープからの依頼だ」
「検証、ですか」
「使ってみて、効果と問題点を報告しろ。いいな?」
「了解しました」
「それと、ニャンデーレ君」
「はい」
「効果の持続時間は約一時間だ。それを過ぎると自然に元に戻る。用法・用量は守れよ」
最後の一言が、妙に意味深だった。
放課後。拠点に三人を集めた。
テーブルの上にムードシフターを置き、説明した。性格を一時的に変えるアロマスプレー。三つのモード。効果時間は約一時間。
「すごくない!?」
翔子が真っ先に食いついた。
「性格変わるの? あたしが大人しくなったりすんの?」
「大人しくない自覚があるんですね……。『集中』を使えば、翔子さんの散漫な部分が改善されて——」
「散漫って何!?」
「落ち着きがないということです」
「ひど〜い!」
「おもしろそうやなぁ〜」
睦がスプレーを手に取って眺めている。
「『勇気』ってのを使ったら、うちも強くなれるん〜?」
「性格特性の変化なので、身体能力は変わりません。ただ、臆病さが消えて大胆な行動が取れるように——」
「ボンちゃんには何が合う?」
翔子が梵を見た。
「……別に、私はちゃんと冷静に分析できる」
「ほら、この『情熱』ってどう? いつも冷めた感じのボンちゃんならどうなるんだろ?」
「……想像もつかない」
「まず訓練で使ってみましょう。バーチャル空間なら安全ですし、これによって個人の弱点を克服できるなら実践でも活用できます」
四人でトレーニングルームに移動した。前回の実戦プログラムを簡易版にして使う。
「では、まず翔子さんに『集中』を使います」
「おっけー!」
翔子の顔に向けて、ムードシフターの「集中」をワンプッシュ噴霧した。
淡い青色の霧が翔子を包む。数秒で霧が晴れると——
翔子が、静かに立っていた。
腕組みをして、目を細め、フィールドを見渡している。
「……なるほど。ターゲットの配置は左右非対称。右側に偏重しているから、左ルートで進むのが最適解だな」
声のトーンが違う。低くて、落ち着いている。
「翔子……さん?」
「ん? 何?」
翔子が——いや、集中モードの翔子が、冷静な目でこちらを見た。
「すごい……サル子がまともなこと言ってる……」
「……当然のことを言っただけだが」
だが——? 翔子が「だが」と言った。衝撃だ。
「すごいやん翔子ちゃん〜! かっこいい〜!」
「……騒がしいな、ムツ」
翔子に「騒がしい」と言われた睦が、目を丸くしている。
集中モードの翔子は、フィールドに入ると冷静にターゲットの位置を分析し、最小限の動きで回避しながら前進した。無駄な動きが一切ない。いつものパルクールの動きはあるが、全てが計算されている。
「……左のターゲット、三秒後に動く。睦、バリアを十時方向」
「は、はい〜!」
的確な指示を出す翔子。これは——優秀すぎないか?
しかし、問題が起きた。
集中モードの翔子は、確かに的確だった。だが、仲間への指示が冷たすぎた。
「睦、遅い。あと〇・三秒早くバリアを展開しろ」
「え、ええ〜? そんな細かいこと言われても〜」
「梵、射角が二度ずれている。修正しろ」
「……うるさいな」
梵が不機嫌になった。普段は翔子に指摘する側なのに、冷静な翔子に指摘される側になったことが気に入らないらしい。
「つまらない。次、ムツに『勇気』を使おう」
梵が提案した。
「えっ、うちに〜?」
「控えめで用心深いムツがどうなるか見てみたい」
睦に「勇気」をワンプッシュ。
橙色の霧が睦を包み——
「……よっしゃあ!!」
睦が、拳を突き上げた。
「なんや、やったるで! ターゲット全部ぶっ潰したる!」
声が大きい。目が座っている。おっとりした大阪ことばが、そのまま喧嘩腰の大阪ことばになっている。
「む、睦さん……? 睦さんですよね……!?」
「ミルちゃん! バリアなんかまどろっこしいわ! うち直接殴りに行くで!」
誰ですかこの人は!?
勇気モードの睦が、光線銃を腰から抜き、ターゲットに向かって突進した。バリアではなく、光線銃を乱射しながら。
「待ってください! 睦さん、あなたのポジションはサポートで——」
「知らんわ! うちが全部倒したる!」
睦が叫びながらターゲットを蹴り飛ばしている。大きな胸が激しく揺れている。梵の目がそちらに釘付けになった。
「……揺れてる」
勇気モードの睦は羞恥心も消えているのか。いや、恥ずかしさより攻撃本能が上回っている。
「じゃあ私は『情熱』」
「えっ、梵さん自分で——!?」
梵はすでにムードシフターを手に取り、自分の顔に噴霧していた。遅かった。
ピンクの霧。
「——わぁ!!」
梵が、両手を上げて跳んだ。
「すごい! すごいすごい! なにこれ! めっちゃ楽しいよ!!」
声が高い。表情が変わっている。九歳の、年相応の——いや、年相応以上にはしゃいでいる。
「ねーねーミルティナさん! あのターゲット撃っていいの!? 撃ちた〜い!!」
「ま、待って——」
「撃つよ!」
梵が光線銃を乱射し始めた。しかも笑いながら。あの冷静な梵が、きゃっきゃと笑いながら光線銃を撃っている。
フィールドが滅茶苦茶になった。
集中モードの翔子が冷静に分析した結果を無視して、勇気モードの睦が突進し、情熱モードの梵が笑いながら光線を乱射する。
「やめ——やめなさい全員!」
「ミルティナさん! あっち行こう! ほら、あっちにもターゲットいるよ!」
梵が私の手を引っ張る。九歳の、無邪気な笑顔で。こんな表情を見たのは初めてだ。くぅ~っ可愛い~——けれど、今はそれどころではない。
「ミルちゃん邪魔! うちの前から退きぃ!」
睦が光線銃を振り回しながら迫ってくる。普段のおっとりした睦はどこに行った。
「……予想通りの展開だ」
集中モードの翔子が、腕を組んで壁にもたれかかっている。
「翔子さん! 止めてください! お願いします!」
「無駄だな……あの二人は今、理性のリミッターが外れている。一時間で元に戻るんだ。待つしかないだろう」
冷静すぎる! 冷静すぎて逆に腹が立つ! いつもの翔子なら一緒に暴れているはずなのに! こんなときだけまともにならないでほしい!
仮想空間が破壊の限りを尽くされた。勇気モードの睦がターゲットを素手で殴り飛ばし、情熱モードの梵が拡大光線で仮想オブジェクトを巨大化させてフィールドを埋め尽くし、集中モードの翔子はそれを壁際で冷静に観察してメモを取っていた。
メモ?そこはアナログだな——てか止めろ。
やっぱりこいつら、性格変えてもヒロインじゃない!
——四十五分後。
効果が切れ始めた。
最初に戻ったのは翔子だった。
「——あれ? あたし何してた?」
壁に寄りかかったまま、きょとんとしている。手にメモを持っているが、自分で書いた覚えがないらしい。
「翔子さんは冷静に状況分析をしてメモを取っていました」
「うそ!? あたしが!? メモ!?」
翔子がメモを見て目を丸くした。几帳面な字で、ターゲットの配置図と攻略パターンが記されている。
「字きれい……これあたしの字?」
「残念ながらそうです」
次に睦が戻った。
「……あ、あれ〜? うち何やってたん〜?」
光線銃を握りしめ、フィールドの真ん中に仁王立ちしていた睦が、急にいつもの顔に戻った。周囲の惨状を見渡して——
「ちょ……うちがこれやったん〜!?」
「はい。素手でターゲットを殴り飛ばしていました」
「うそやぁ〜! うちそんなことせぇへんもん〜!」
「していました」
「いやぁ〜〜〜」
睦が顔を両手で覆った。恥ずかしさが戻ってきたらしい。
最後に梵が戻った。
「…………」
梵は、自分が巨大化させた仮想オブジェクトの山の上に座っていた。さっきまでの満面の笑みが消え、いつもの無表情に戻っている。
「……何があったの」
「梵さんは笑いながら光線銃を乱射し、私の手を引っ張って『あっち行こうよ!』と叫んでいました」
「…………」
梵が、無言で目を逸らした。耳の先が、ほんの少しだけ赤い。
「忘れて」
「忘れません」
「……忘れて」
梵の声が、わずかに震えていた。九歳の矜持が崩壊しかけている。
「ミルちゃんはどうなるのかな」
翔子が、ムードシフターを私に噴霧した。ピンクの霧、「情熱」だ。
「いいかてめえら! 訓練というのは己との戦いだ! こんなわけのわからない道具に頼って、己の精神を研ぎ澄ますことはできない!!」
三人がビクッとした。
「いいか!道具は使い方次第で武器にも毒にもなる。ムードシフターは確かにてめえらの性格を変えた! だがな、それは本当の自分ではない。偽物の勇気、偽物の集中、偽物の情熱——そんなもので成果を出しても、意味がないってことだ! わかったか!」
「はいぃぃっ!!」
その後、私は覚えていないが、翔子の話によると、私は一時間みっちり鬼軍曹のようだったらしい。訓練中にミスを犯すと、連帯責任で腕立て伏せを強要し、仮想ターゲットをこれでもかと増やし、三人に突入させ、全滅をするたびに激怒し、喚き散らしていたらしい。
「……私が……そんなことを……?」
効果が切れた時、三人は怯えた目で私を見ていた。心が痛くなった……。というか、穴があったら入りたい。
ムードシフターは、報告書に「実戦投入は推奨しない。副作用として著しい性格変容が起こり、チームワークが崩壊する」と報告するつもりだ。
「一応私が預かって保管します。非常時に使う可能性がゼロとは言い切れませんから」
そんなのは口実で、また私を困らせたら「情熱モードになりますよ」と言ってやろうと思った。
訓練後、私たちは疲れ果て、トレーニングルームから戻った。テーブルを囲んで、睦が持ってきた菓子を食べる。今日はあんこと言われる黒い豆を潰した甘い素材を、しっとりした丸い生地で包み込んだこの国お菓子だった。どら焼きというらしい。「どら」とは何なのだろうか。それにしてもこの星のスイーツというものが好物になった。私はアルケオンのティーを振る舞った。こちらの紅茶によく似ているらしい。
「ねーミルちゃん、ヒロイン候補生ってあたしたちだけなの?」
翔子が、どら焼きを頬張りながら訊ねてきた。
「いえ、一応センターからはあと九名の候補生がいると聞いています」
「え!?九人もいるの〜?」
「はい、みなさんはたまたまこの街にいらっしゃったので、私の拠点もこちらにしました」
「……他の人は近くにはいないってこと?」
「そうですね。センターから情報をもらって捜索するのですが、ちゃんと能力の特性や、適性を吟味して選ばれるはずです」
「ふう〜ん……」
翔子はそう言ったが、秒で飽きてもう一つどら焼きを食べ始めた。やっぱり集中力はない。
「あの〜、ミルちゃん〜」
睦が、もじもじしながら聞いてきた。もう私は情熱モードではないのだが。
「うち……その……さっき、どんな感じやったん〜?」
「なんか突進して、ターゲットを素手で殴り飛ばしていました」
「……それ以外は〜?」
「『うちが全部倒したる!』と叫んでいました」
「あぁぁ〜〜」
睦が机に突っ伏した。
「うちのキャラ崩壊してるやん〜……」
「あのツールは性格を変化させるもので、能力を変えるものではありません。ですから、睦さんの中にあの強さがあるということです。勇気が出せれば」
「……ほんまに〜?」
「本当です」
睦が少しだけ顔を上げた。目が潤んでいる。
「うちにそないな力が……信じられへんわ〜……」
梵はどら焼きを黙々と食べていたが、食べ終わると私の方をじっと見た。
「さっきあと九人いるって——」
「ああ、はい、そう言いました」
「どういう基準で選ばれるかは知らないの?」
「特性や適性については分かりません。ですが、こちらの暦体系、干支というものから選ばれているそうです」
「干支?」
「干支って、ねーうしとらたつみーってやつでしょ〜?」
翔子がまた会話に復活をした。
「私は子年、サル子は申年、ムツは戌年……じゃ、年齢はバラバラってこと」
「はい、例えば丑の年の候補生は十歳かもしれませんし、二十二歳かもしれません」
その時、通信デバイスが震えた。
「ニャンデーレ君」
「はい、指導官。ムードシフターの検証報告ですが——」
「それは後でいい。先に伝えることがある」
ダルマイヤックの声が、いつもよりほんの少しだけ、真剣だった。
「新しい候補生が見つかった」
心臓が跳ねた。
「次の干支は辰。ドラゴンだ」
「ドラゴン……」
「名前は雲龍珠。十三歳の中学生だ。データを端末に送った」
端末を確認する。写真と基本データが表示された。長い髪、どこか怯えたような目をした少女。
「この子が……新しいヒロイン候補」
「ああ。ただし——」
ダルマイヤックが、少し間を置いた。
「少しだけ、注意が必要な子だ」
「注意……?」
「データを見ればわかる。ニャンデーレ君、君のサポート力が試されるぞ」
通信が切れた。
データをスクロールする。性格欄に、こう記されていた。
「極度の臆病。恐怖への耐性:著しく低い」
——ドラゴンなのに?
干支の中で唯一の架空の動物。龍。強さの象徴。なのに——極度の臆病。
不思議に思いながら、珠の写真をもう一度見た。
怯えたような目。どこか、ムーンブレイカーズのひかるに似ている気がした。
臆病で、泣き虫で——
モーニングナイトの台詞が頭をよぎった。
「恐れるな。夜は必ず明ける」
この子の傍に、立てるだろうか。




