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こいつらなんかヒロインじゃない!  作者: 文月(あやつき)


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第2話 集まれ、ヒロイン候補生

 放課後の教室、私は二人に残ってもらい、向き合っていた。


 猿渡翔子(さるわたりしょうこ)と、夜摩涅梵(やまねそよぎ)。周りの生徒が出て行ったのを確認して、教室のドアを閉めた。


 昨日からずっと考えていた。候補生にまず真実を告げなければならない。地球のヒロインを育成するには、私が何者であるかを知ってもらう必要がある。嘘のまま進められる任務ではない。


 問題は、どう伝えるか。


 「私は地球人ではありません」——こんなこと真正面から言って、信じてもらえるだろうか。


「……二人に話したいことがあります」


「なになに? この流れは恋バナ? 好きな男子でもできた?」


 翔子が目を輝かせた。なぜそうなる。


「違います」


「じゃあ何?」


「……私は、フィンランド人ではありません。それどころか、地球人でもない」


 翔子が首をかしげた。梵は本から目を上げもしない。


「ここに編入した日にも言いましたが……あれは、ジョークではなく、事実です。私はアルケオン・リングから来ました。地球……この国ではこの銀河を天の川銀河と呼ぶそうですね。地球から見て、この天の川銀河の中心より向こう側にある文明の出身です」


 教室が静かになった。


 翔子がまばたきした。一回。二回。


「……え? 地球人じゃない?」


「信じられないのはわかっています。でも——」


「うんわかってた」


 梵が、ページをめくりながら言った。


「……え? え??」


「最初の自己紹介、嘘をついてる顔じゃなかったから。そのスマホみたいなの、どう見ても地球のものじゃないし」


 この端末、見破られていたのか。いつから!? 最初から!? ずっとわかってて黙ってたの!?


「ボンちゃんすごくない? あたし全然わかんなかった!」


「サル子は何も考えてないだけ」


「ひどーい」


 緊張して損をした。


「でも信じらんなーい!」


 翔子がそう言うのも無理はない。私は鞄からセンター支給の装備を取り出した。変身スーツ——は後回し、まずは小さなものから。


 手のひらサイズの球体。表面に触れると、教室の空間に立体映像が展開された。アルケオン・リングの全景。恒星を囲む巨大な環状構造体が、青白い光を放ちながら回転している。


「うおおおおおお!!」


 翔子が椅子から転げ落ちた。


「なにこれなにこれなにこれ!? SF映画のやつ!? すっげぇ!!」


 立体映像に手を突っ込み、光をかき回している。子供か。


 梵は本を閉じた。初めて、まともにこちらを見ている。


「……これが、あなたの住んでいたところ?」


「はい。アルケオン・リング。恒星を囲むように建造された構造体です。私はここで生まれ、訓練を受けました」


 梵の黒い瞳に、立体映像の光が反射している。九歳の達観した表情が、ほんの一瞬だけ、年相応の好奇心を覗かせた。


「すごい規模……きれい」


 小さな声だった。


 翔子は立体映像の中をくぐり抜けようとして机にぶつかっている。放っておこう。


 ——いや、放っておけなかった。


 翔子の腕を見る。絆創膏、擦り傷、青あざ。いつも傷だらけだ。昨日より増えてないか?

 しかも今も机にぶつけた肘から少し血が滲んでいる。


「翔子さん、ちょっと腕を出して」


「え? なに?」


 鞄からもう一つ、小さな装備を取り出した。ペン型の器具。先端を翔子の腕にかざすと、淡い光が傷口を覆った。


「うおっ、あったかい……って、え!?」


 擦り傷が、みるみるうちに消えていく。絆創膏の下の傷も、青あざも。数秒で、翔子の腕はきれいな肌に戻った。


「……すげぇ」


 翔子が自分の腕をまじまじと見つめた。声が、珍しく静かだった。


「これもセンターの装備です。生体組織の修復を促進する医療デバイスで——」


「すげぇ!!」


 静かだったのは一瞬だけだった。


「ミルちゃん! こっちの膝も! あとここ! ここも!」


 翔子がスカートを捲り上げて膝小僧を見せてきた。スカートの中はスパッツだった。どうやら下着ではなかったらしい。

 それにしても脚は古傷だらけだ。いったい普段どんな生活をしているのか。


 全部治した。


 梵が、治療の一部始終を観察していた。


「……便利」


「はい。ただし、これは応急用です。本来は——」


「ミルティナさん、それ毎日使える?」


「え? まぁ、回数制限はありませんが、重傷度によっては回復し切らないことも……」


 梵が翔子を見た。翔子が梵を見た。二人の間で何かが通じ合ったらしい。


「……サル子、これで毎日のケガ、心配しなくていいね」


「ボンちゃん……あたしのこと心配してくれてたの?」


「ううん。血が制服につくの、見てて汚いから」


「ひどくない!?」


「それで、私が地球に来た理由ですが——」


 ここからが本題だ。私は二人に、候補生の選定、ヒロイン育成の任務、そして変身スーツの存在を説明した。できるだけ簡潔に。できるだけ正確に。


「——というわけで、二人はその候補生なのです」


「……なんのために?」


 梵が静かに聞いた。


「なんのため、とは?」


「ヒロインを育成する目的。わざわざ別の星からトレーナーを送り込んでまで、なぜ地球にヒロインが必要なの?」


 九歳にして、核心を突いてくる。


 正直に言えば、私自身にも確かなことはわからない。センターから詳細な説明は受けていない。だが——。


「……歴史あるセンターが、わざわざトレーナーを派遣するということは、この星が何らかの脅威に晒されている可能性があると、私は考えています。過去にも、外部からの侵略に備えて各惑星にヒロインを育成してきた実績がありますから」


 梵が黙って私を見つめた。その目が何を考えているのか、読み取れない。


「この星にはそれぞれの国に軍事力が存在していますね。しかもまだこんな小さな星の中で、わずかな資源をめぐって争っている」


 梵が小さく頷いた。


「うん……否定はしない」


「この星の危機に、すぐに団結するとは考えられません」


「……ふうん」


 納得したのか、していないのか。梵はそれ以上追及しなかった。


「てことはさぁ、いつか悪いやつが来るかもってこと!?」


 翔子が目を輝かせた。むしろ嬉しそうだ。


「可能性の話です。来ないことが良いことなのでしょうが……」


「来い来い! あたしがぶっ飛ばす!」


 候補生の覚悟というより、ケンカ好きの発想だ。


「翔子さんは、やるということですか?」


「やるやるやるやる!! 変身できる!? ビーム出る!? 空飛べる!?」


「順を追って説明しますから落ち着いて——」


 秒で承諾された。使命の重さとか、覚悟とか、一切関係なかった。


「梵さんは?」


 梵は再び本を開いていた。


「……別にいいけど」


「あの、それは承諾と——」


「暇だし」


 二人目も承諾。それにしても軽すぎる。


 しかし、感謝すべきだ。地球人が異星人の存在をこうもあっさり受け入れるとは、データには載っていなかった。翔子は何も考えていないだけだろうが、梵に関しては——理解した上で、面白がっているのかもしれない。


 通信デバイスが震えた。ダルマイヤック指導官だ。


「二名の承諾を確認した。なかなか見どころあるいい子たちだ」


 聞いていたのか。そうか、候補生と接触中は常にモニタリングされる規定だった。


「ありがとうございます」


「次は戌の候補生だ。乾睦(いぬいむつみ)。データを更新した、確認しろ」


 端末を開く。乾睦のデータが更新されていた。所属大学、通学路、行動パターン。


「この近辺の大学に通っている。今日中に接触できるだろう」


「今日中、ですか?」


「”善は急げ”だ。候補生がそのまま帰ってしまう前にな」


「了解です」


「あと、ニャンデーレ君」


「はい」


「その子の写真、もう見たか?」


「……いえ、まだ詳しくは」


「見ておけ。なかなかの逸材だ」


 通信が切れた。


 逸材? 戦闘能力のことだろうか。データを確認する。身体能力の数値は……特筆すべきものはない。むしろ全体的に低い。知能も平均的。なにが「逸材」なのだろう。


 写真をスクロールする。


 ……胸が大きい……。


 ……………………。


 いや、まさかそれが理由ではないだろう。指導官のことだ。きっと私にはわからない、深い意図があるに違いない。きっと。……きっと。


 翔子と梵を連れて、大学のある地区へ向かった。


「ねーミルちゃん、その子ってどんな子なの?」


「データによると、十九歳の大学一年生。おっとりした性格で——」


「犬なんでしょ?」


 梵が言った。


「干支が戌ということです。犬そのものではありません」


「犬かー! 犬好きー!」


 翔子が両手を上げた。まだ会ってもいないのに好意的すぎる。


 犬。この星の動物の一種だが、正直あまり詳しくない。端末で調べてみる。「犬——イヌ科の哺乳類。人類が最初に家畜化した動物。忠実、嗅覚が鋭い、社会性が高い……」なるほど。悪くない特性だ。


 さらにスクロールすると、気になる言葉が目に入った。


 ——「犬猿の仲」。犬と猿は仲が悪い、という意味のことわざ。


 犬と、猿。


 ちらりと翔子を見た。翔子は干支が猿。そして次に会う睦は犬。


「……大丈夫なのかな?」


「何が?」


「い、いえ。なんでもありません」


 大学の正門が見えてきた。端末のデータによれば、乾睦の講義はこの国の時刻十六時に終わる。ちょうどその時刻を過ぎたところだ。まもなく出てくるはずだ。


「ミルちゃんさぁ、写真とかないの? 顔わかんないと探せなくない?」


「それもそうですね。ありますよ。これです」


 端末に表示した写真を翔子に見せた。ショートカットでメガネの、おっとりとした表情の女性。


「おー! かわいいじゃん! 年上だけど幼い感じ!」


「梵さんも確認を」


 梵が端末をちらりと見た。


「……胸、大きい」


 九歳に言われるとは、よほどなのだろう。


「さて、この正門前で——」


 言いかけたとき、翔子の鼻がひくひくと動いた。


「……あっ。なんかめっちゃいい匂いしない?」


「匂い?」


「甘い! 焼きたて! フィナンシェクッキー!」


 正門の手前に、小さなスイーツのお店があった。新しい店らしく、開店を知らせる幟が出ている。焼きたての甘い匂いが通りに漂っていた。多くの女子学生たちがすでにそのクッキーなるものを購入し、店から出てきている。


「開店記念の限定フィナンシェクッキー、あと一点でーす!」


 店員が店の入り口から呼びかけている。


「行く行く行く!」


「ちょっ、今は任務中——」


 翔子はもう走っていた。ガードレールを飛び越え、人力の二輪の乗り物をスレスレで避け、あっという間に道路の向こう側の店の前で足を止めた。


「あ」


 間一髪、一人の女子学生が翔子より先に店の入り口に立った。


 ショートカット。メガネ。身長は百六十センチほど。鼻をくんくんさせて、財布を片手に立っている。


 ——乾睦だ。


「あ、あなたは!」


「え?」


 睦が、翔子を見た。翔子が、睦を見た。


「……うう……限定クッキ〜……」


 翔子は涙声で訴えた。


「あ……ごめ〜ん」


 そう言って、睦は店へ入っていった。


「翔子さん、お手柄です。乾睦さん見つけましたよ」


 私たちは、店の外で睦を待った。やがて睦は限定クッキーの袋を抱えて出てきた。


「あの……ちょっとお話いいですか?」


 睦に声をかけた。


「限定……クッキー……」


 翔子の目が据わった。


 ——犬猿の仲。端末で見た言葉が脳裏をよぎった。まさか、いきなりこれか。


「ちょ、翔子さん落ち着いて——」


「いっしょに食べる?」


 睦がのんびりした声で言った。


「食べる!!」


 犬猿の仲は、その一言で解消された。


 気がつけば私たちは店先のベンチに並んで座り、睦にクッキーというお菓子を分けてもらって喋っていた。


「みんな高校生? 元気やねぇ」


「サル子って呼んでいいよ! ムッちゃんて呼ぶ!」


「ええよぉ〜、よろしくねぇ」


 出会って三分で打ち解けている。翔子の距離の詰め方は異常だが、睦もまったく抵抗しない。自然に受け入れている。人懐っこさが共鳴しているのか。犬と猿ではなく、犬同士のようだ。


 梵は黙って睦の背後に立った。そして——


「……よいもの」


「え?」


 梵の視線は、睦の胸に固定されていた。


「ちょっ——梵さん!? 何をっ——!」


 私が止める前に、梵は両手を伸ばし、睦の胸を下から持ち上げた。


「ひゃあっ!?」


 睦が素っ頓狂な声を上げた。


「重い」


「な、なに急にっ——」


 梵は持ち上げた胸を離すと、今度は左右に揺らした。


「ひゃっ、ちょ、やめ——!」


 睦の顔が真っ赤に染まった。メガネがずれて、目に涙が浮かんでいる。


「ボンちゃん何してんの!?」


 翔子がクッキーを落としそうになりながら叫んだ。


「……観察」


 梵は満足したように手を引いた。表情は変わらない。九歳の好奇心に恥ずかしさという概念はないらしい。


「こんなに大きいの初めて見た」


「な、なんやのぉ、この子〜……」


 睦がメガネを直しながら、うるうると私を見た。さっき端末で調べた犬の画像と、同じ目をしていた。


「……すみません。私も掴みどころがわかりませんが、とても秀才なんです……」


 フォローになっていない。なっていないが、他に何が言える。私だって今の光景をどう処理すればいいのかわからない。研修で習わなかった。候補生が候補生の胸を揉んだときの対処法なんて、マニュアルのどこにも載っていない。


 気を取り直して、全員でベンチに座った。私と翔子と梵と、なぜか自然に混じっている睦。


「あの、睦さん——」


「は〜い、なあに〜?」


「あなたに大切なお話があるのですが」


「うんうん、なんなん? この子に胸揉まれた理由?」


「それは私にもわかりません。……そうではなく」


 私は覚悟を決めて、翔子と梵に話したのと同じことを伝えた。地球人ではないこと。ヒロイン候補生であること。スーツを着て変身すること。


 睦は——。


「へぇー」


 睦はそう言いながら、ずっとクッキーを頬張っている。


「あの、聞いていますか?」


「聞いてる聞いてる。地球の生まれやないんやろ? ミルちゃんて」


 もうミルちゃんと呼んでいる。


「ヒロインになってほしいて話やんな?」


「はい。そうです——」


「それってさぁ」


 睦の目が、急にきらきらし始めた。


「プリンセスキュートみたいなやつ?」


「……プリンセスキュート?」


「知らんの!? 女の子が変身して悪いやつ倒すアニメ! うちめっちゃ好きやったんよ!」


「あたしも見てた!プリキュー!」


 翔子が食い気味に割り込んだ。


「ムーンブレイカーズも好き! 月の光で変身するやつ!」


「ムーンブレイカーズ! 懐かしいー!」


 二人が共通の話で盛り上がり始めた。アニメ——この星の映像表現技法だ。この国のものは評価が高いとは聞いていたが、こうして彼女たちの生活に浸透しているのを見ると納得できる。


 梵は黙って、睦と私の方を交互に見ている。胸の大きさを比較しているのだろうか。やめてほしい。やめてください。視線だけで私のライフが削れる。


 プリンセスキュート。ムーンブレイカーズ。地球には、ヒロインが変身して戦う物語がすでに存在するのか。これは勉強しなければ。


「——で、やる? やらない?」


 梵が、静かに本題に戻した。


「やるやる! やるに決まっとるやぁん!」


 睦が両手を握りしめた。


「うち、小さい頃からプリンセスキュートになりたかったんよ! 変身できるんやろ? ほんまに?」


「は、はい。変身スーツを——」


「やったぁー!!」


 三人目も承諾。理由がアニメへの憧れ。


「あの、もう少し考えてからでも——」


「なぁなぁ、ミルちゃんの住んでたとこってクッキーとかパンケーキとかあんのぉ?」


 聞いていない。いや、聞いた上で興味がそちらに移ったのか。


「……名前は違いますが、甘くて類似した焼成食品は——」


「へえ〜、食べてみたいなぁ〜……あ、ほらミルちゃん、クッキーまだあるで!」


 睦が紙袋を差し出した。にこにこしながら。


「……いただきます」


 フィナンシェクッキー……温かくて甘い。これが地球の菓子。アルケオンの栄養ブロックとは別の世界の食べ物だ。


 ——美味しい。


「美味しいなぁ、この店ほんま当たりやわ〜」


 睦が嬉しそうに笑った。目が細くなって、ほとんど線になる。


 翔子はすでに二個目に手を伸ばしている。梵は小さな手でクッキーをかじっている。足が地面に届かないベンチの上で、もぐもぐとかじっている姿は、小さい動物のようだった。


 四人になった。


 通信デバイスが震えた。


「ニャンデーレ君、乾睦の承諾を確認した」


「はい、指導官」


「いい人材だ。非常にいい」


 声のトーンがいつもと違う。明らかに上機嫌だ。


「君たちが楽しみにしているスーツだが、デザインは私が直接監修する」


「え? 普通はデザイン部門が——」


「私がやる。異論は認めない」


「は、はぁ……」


 指導官が候補生のスーツを個人的に監修するなど前代未聞だ。よほど期待しているのだろう。まだこの子たちの戦闘適性は低いはずだが、指導官には私にはわからない何かが見えているのかもしれない。


 帰り道、四人で並んで歩いた。


「なぁなぁ、ミルちゃん。変身したらどうなんの〜?」


 睦が隣を歩きながら聞いてきた。距離が近い。しかも腕を組んできたので、彼女の胸が肘に当たる。ものすごい弾力だ。——って、何を冷静に分析しているんだ私は。


「ス、スーツを装着すると、身体能力が大幅に強化されます。防御力、跳躍力、反射速度——」


「お空飛べる?」


「……飛行機能はオプションです」


「えー、飛びたいなぁ」


「あたしも飛びたい!」


 翔子が割り込んできた。


「どうして飛びたいんですか?」


「え!? 楽しそうじゃん」


 この地球の人類は、古くから空を飛ぶことに憧れを抱いているとは聞いていたが……


「翔子さんは危なっかしいです」


「サル子は大丈夫」


 梵が淡々と言った。怪我を恐れない性格であることは理解できる。


 梵がふと、隣を歩く睦を見上げた。正確には、睦の胸を見上げた。歩くたびに揺れている。


「……今度ゆっくり調べさせて」


「な、何をっ!?」


 睦が胸を両腕で隠した。顔が赤い。


「ボンちゃんの新しいおもちゃ見つかったね」


 翔子がにやにやしている。


「おもちゃって言わんといて〜!」


 睦が涙目で抗議したが、梵は無表情のまま、歩くたびに揺れる胸をじっと観察し続けていた。


 夕陽が通学路を橙色に染めている。四人の影が長く伸びていた。


 翔子がくだらないことを言い、睦がからかわれ、梵が静かに不穏な視線を送り、私が嗜める。


 ——なんだろう、これは。


 研修で想定していたヒロイン育成とは、まったく違う光景だ。もっとこう、厳粛で、崇高で、使命感に溢れた——。


「ミルちゃーん、お昼とかどうしてんの〜」


 睦がにこにこ笑っている。


「えっ、あ、センターから支給された栄養ブロックとか飲料を……」


「ええ、味気な〜い。色々美味しいお店連れてってあげるわ〜」


「ムッちゃん!あたしもあたしも!」


「ええよみんなで行こ〜。ボンちゃんもやで〜」


「……別にいいけど」


 梵の「別にいいけど」は、もはや承諾の定型文になりつつある。


 四人になって、まだ二時間も経っていない。


 すでに食事に行こうという約束をしている。


 これは、まるで……ともだち?


 

 候補生三人と別れ、拠点に戻り、一人になった。


 端末を開いて報告書を書く。


『プロジェクト・アース進捗報告。候補生三名の承諾を得た。猿渡翔子、夜摩涅梵、乾睦。明日より、この三名の変身スーツの使用訓練を開始し、サポートする予定。以上』


 報告書を送信した。これで私の仕事は明確だ。トレーナーとして三人を導き、しっかりサポートしていく。


 通信デバイスが鳴った。


「報告書、読んだ」


「はい、指導官。明日から本格的に訓練を開始し——」


「サポート、か」


 ダルマイヤックの声が、妙に含みを持っていた。


「寂しい響きの言葉だね……」


「は?」


「いいかニャンデーレ君。ヒロインとトレーナーは一心同体! 究極のアガペーで結ばれし縁……」


 アガペー? 縁? 何を言い出すのだ、この人は。


「君も一緒にヒロインになるのだ、ニャンデーレ君!」


「……はいっ!?」


 思わず声が裏返った。ヒロイン? 私が? トレーナーが?


「君の分のスーツも手配した。もう端末に届いているはずだ」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 慌てて端末を確認した。確かに、配送通知が来ている。変身スーツ一式。サイズは——私の体型データに合わせてある。カラーはシルバー。モチーフは——猫。猫とは? 端末で調べる。好奇心、警戒心、独立心が強い。う……確かに私のようだ。


「聞いてません! そんな話は一言も——!」


「トレーナーが現場に出ないでどうする。背中を見せてこそ、指導だ」


 言葉だけ聞くとまともだ。しかしこの人の場合、どこまで本気なのか——。


「猫は十二支に入れなかった動物だ。知ってるか? ネズミに騙されて宴に遅れた——この星にはそういう言い伝えがある。面白い立ち位置だと思わないか」


 十二支に入れなかった猫。確かに、候補生たちの干支とは被らない。だが、その意味するものとは——


「それに、候補生たちだって、トレーナーが一緒に戦ってくれたほうが心強いだろう?」


 ……確かに、それは一理ある。翔子は軽挙妄動、梵は九歳、睦はのんびりしすぎている。現場で私が制御しなければ、何が起こるかわからない。


「……了解しました」


「よし。変身名も考えておけ。センターで用意してもいいが——」


「自分でつけます!」


 反射的に言ってしまった。候補生の変身名はセンターがつける。でも、自分の名前くらい、自分で決めたい。


「ほう。いいだろう。楽しみにしている」


 通信が切れた。


 窓の外は、もう暗い。地球の夜空には、この星の衛星——月と呼ばれる天体がぽつんと浮かんでいる。そういえば翔子が話していたヒロインは月がモチーフだった。それにしてもアルケオン・リングの夜空とは違う。あちらは人工光で常に明るいが、ここは暗い。暗いから、月がよく見えるし、星も見える。


 今日の出来事を思い返す。


 翔子はアルケオン・リングの立体映像を見て目を輝かせた。梵は一瞬だけ「きれい」と言った。睦はクッキーをくれて……胸を揉まれて泣いていた。


 三人とも、私が地球人でないと知っても、なにも変わらなかった。


 ヒロインに向いているかと聞かれたら、正直わからない。どう考えてもヒロインの素質とは程遠い。


 でも——


 あのフィナンシェクッキーというお菓子は、美味しかった。


 明日から訓練が始まる。変身スーツの扱い方。武器の使い方。力の正しい行使。教えなければならないことは山ほどある。そして私自身も、一緒に変身する。トレーナーなのに。


 変身名——。


 地球から見て、遥か宇宙の彼方、アルケオンから来た猫の戦士。地球の言葉で、私らしい名前。


 ——スペーシーキャット。


 うん。かっこいい。この星で使われる響きと、猫のしなやかさ。完璧だ。


 明日、お披露目しよう。


 きっと、三人とも感動するに違いない。


 そうだ。睦が言っていた「プリンセスキュート」。地球のヒロインの物語。帰りの道中でも翔子と睦が盛り上がっていた。トレーナーとして、この星のヒロイン文化は学んでおくべきだろう。


 端末で「プリンセスキュート」を検索した。


 ——なるほど。変身シーンがある。決め台詞がある。仲間との絆がある。


 これは参考になる。ヒロインの在り方を、この星の文化から学ぼう。


 画面をスクロールする手が止まらなくなっていることには、まだ気づいていなかった。


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