第10話 マブダチの作り方
朝。
いつも通り、私は学生服に袖を通す。紺色の上着に、チェック柄のスカート、リボン。この国の制服にもすっかり慣れた。
センターから支給される栄養ブロックをかじる。地球の食べ物は、私には少々量が多いので、朝はこれくらいでちょうどいい。
拠点のテーブルには、先日ようやく手に入れたキュートブリーズのフィギュアが飾ってある。風になびく髪、凛とした表情。今朝も完璧な角度で微笑んでいて、私に「行ってらっしゃい」と言っている。
「行ってきます」
私は学校へ向かった。
拠点から学校まで、静かに乙女らしく歩く。いつものようにパン屋の奥さんが声をかけてくれる。微笑みながら挨拶を交わすと、女子中学生たちとすれ違う。視線を感じて、彼女たちの方を見ると歓声を上げられた。
——うん。完璧だ。プリンセスキュートや、ムーンブレイカーズに登場する優等生の通学シーンと、何ら遜色ない。
学校近くになると、私の前を猫が行く。
体の毛並み、前にも見たことがある。
そうだ。梵が猫を巨大化し、それに乗って登校したことがあった。あの猫に違いない。
しかし、目の前の猫は、ごく普通のサイズだ。けれど、真っ直ぐ私と同じ方向に歩いている。
バサッ
「きゃっ」
何か布のようなものが、私の頭の上に落ちてきた。
よく見るとスカートだった。しかも私が通う高校の制服だ。なぜこんなものが降ってくるのか。
「サル子のだね……」
「えっ?」
梵の声が聞こえた。しかし、梵の姿はない。
すると目の前にいた猫が私の方を向いている。え?猫がしゃべったの?
目を凝らしていると、猫の背中の方で何かが動いた。なんと、小人化した梵だった。掌に乗るくらいの大きさで、ちょこんと座っている。
「梵さん!? 何してるんですか!?」
梵は、支給している多機能ツールを操作して、元の大きさに戻った。
「前に、猫を大きくして怒られたから……うっ」
「どうしたんですか?」
「……ちょっと酔った……オロロロロ!」
「わわ!そんなとこで吐かないでください!」
私は医療デバイスで、梵を回復させた。回復させながら、私はこめかみに手を当てた。言いたいことが、ありすぎる。一つずつ整理しなければ。
「……梵さん。光線銃や多機能ツールは、遊びに使ってはいけないと、前にも言いましたよね?」
「あの時は動物を拡大した」
梵が、口元をハンカチで拭いながら、しれっと言った。
「今回は自分を縮小させた。だから別件」
「別件ではありません!」
「拡大は周囲に目立ってしまった。自分を縮小させたから目立ってないし、誰の迷惑にもなっていない」
「いや、ご自身に迷惑を被っているじゃないですか、現に!」
「……それは、見落としていた」
梵は、しゅんと俯いて——いやしゅんとした顔のまま、しれっと猫を見送り、結論を口にした。
「やっぱり大きい猫でゆったり来ないとダメだ」
「だから、猫で来なくていいのでは!?」
九歳の、研鑽された屁理屈である。学業の点数だけならこの国の最高峰だが、品性と規律に関しては……これでヒロイン候補生が務まるのだろうか。
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梵と二人で教室に入ると、すでに何人かの生徒が登校していた。挨拶を交わし教室を見回す。翔子はまだのようだ。さっきのスカートが翔子のだとすると、翔子はスカートなしで走りまわっているのだろうか?
私は自分の席に着き、端末で今日の訓練予定を確認しようとした——その時だった。
ガラッ。
勢いよく扉が開いた。
「おっはよーっ!」
翔子だった。両手を高々と上げると、ピースサインという二本の指を目の付近で構えて仁王立ち。朝の静かな教室に、一人だけ運動会の決勝みたいなテンションの女がいる。
それにしても珍しい。普通に扉から入ってきた。いつもは遅刻ギリギリで窓から入ってくるのだが、今朝は扉から入ってきた。
ただ、やっぱり——
「翔子さん……その格好……」
いつものように汗だくで、頬は紅潮し、制服は擦れた跡。そして、ひっつめた頭のてっぺんに、葉っぱが一枚、ちょこんと乗っかっている。本人はまったく気づいていない。喋るたびに、葉っぱがぴょこぴょこ揺れる。
「いやー、聞いてよミルちゃん! 最近さぁ、新しいルート極めたんだよね! 川沿いの倉庫の屋根伝ってさ、フェンス飛び越えて、駐車場の看板蹴って——」
「いや、聞きたいのはそこではなく……」
「しかも、記録更新! 駅から校門まで六分二十秒! いつもより早く着いたから、回り道してたんだ〜」
翔子が、胸を張って誇らしげに親指を立てた。葉っぱが、ぴょこんと跳ねる。
なぜそんなに嬉しそうなのか。なぜそんなに汚れる必要があるのか。そもそも登校は、タイムを競う競技ではない。そろそろ本題に——
「……翔子さん。スカートは?」
教室が、しんと静まり返った。
翔子の下半身には、スカートがなかった。代わりに、黒いスパッツが剝き出しになっている。下着でこそないが、明らかに、穿いていたものが、ない。
「あれっ?」
翔子が、自分の腰のあたりをぺたぺたと触り、くるりとその場で一回転して背後を確認した。今、気づいたらしい。確認が遅い。駅から校門まで六分二十秒——その間、彼女はスカートの喪失に気づかぬまま駆け抜けてきたのである。
「……あ。スカートどっか行った」
「どっか行った、って——」
「あー、たぶんあれだ。倉庫の屋根のとこ、アンテナかなんか出てて、飛び込み前転でくぐり抜けたんだよね。その時ひっかけたかも。なんか風通しいいと思ったんだよなー」
風通しで気づいてほしい。太ももの感覚で気づいてほしい。
近くの席の男子生徒が、一斉に天井を見上げた。あるいは、急に窓の外の景色へ並々ならぬ関心を示し始めた。一人は、握っていたスマホを取り落とした。スパッツとはいえ、本人がまったく頓着していないせいで、見ているこちらの方が居たたまれない。
「翔子さん、これ私が拾いました」
「おー! 間違いない! あたしんだ! ありがとー!」
「ほら、やっぱりサル子のだった」
梵が静かに言った。
今日も分厚い本を……いや、多機能ツールにあるマニュアルを読み込んでいる。お団子頭をちょこんと揺らしながら、小さないつもの無表情な顔で。また違うやり方で、読書しながら登校する方法を考えているのだろうか。
「私が拾ったんですけど、梵さんがきっと翔子さんのだと……」
さすが九歳の天才児の名推理……いやいや、登校中にスカートを落としていく女子高生など、この星に翔子しかいない。
「ボンちゃんもありがと〜! さすがあたしのマブダチだ!」
翔子が、ぎゅうっと梵に抱きついた。小柄な梵は、翔子の腕の中にすっぽりと収まってしまう。お団子が翔子の頬に押し潰されて、ぷにっと形を変えた。それでも梵は、振りほどきもせず、迷惑そうでもなく、ただされるがままになっている。なすがまま、ぬいぐるみのように。
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私は、その光景を眺めていた。
考えてみれば、不思議な二人だ。
猿渡翔子、十七歳。軽挙妄動、思いつきで動き、傷だらけ。スカートを失くしたことを、たった今知った。
夜摩涅梵、九歳。飛び級の天才で、無表情で、達観している。さっき、猫の背中で乗り物酔いした。
年齢も、性格も、何もかもが違う。なのに、翔子は梵を「マブダチ」と呼び、梵はそれを否定しない。
「あの……二人は、どうしてそんなに仲が良いのですか?」
気になって、聞いてみた。
「えー? なんでだろ?」
翔子が、こてんと首をかしげる。頭のてっぺんの葉っぱも、つられて傾いた。
「別に仲は良くない」
梵が、ぴしゃりと言った。
「えーひどーい!」
翔子が、ほっぺたをぷくっと膨らませる。梵は素知らぬ顔で、多機能ツールを片付け、今度は本を開いた。
「でも……きっかけは、あるんですよね?」
私がそう言うと、翔子が「あー」と天井を見上げた。
「あったあった。あれだよね、ボンちゃん。入学してから……」
梵の手が、ページをめくる動きを、ほんの一瞬だけ止めた。
「……まあ」
翔子が得意げに、梵が補足するように、二人はぽつぽつと語ってくれた。
——それは、一年前の話だった。
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入学式の日。
猿渡翔子は、新しい制服に身を包んでいた。買ったばかりの、皺一つない制服。母親が「初日くらいは綺麗に着ていきなさい」と念を押した、その制服。
翔子は、電車から駆け降りると、駅のベンチを跳び越えた。
階段の手すりを、滑り台のように滑り降りた。
ブロック塀を見つけるとよじ登り、塀の上を歩いていた猫を飛び上がらせ、跳んだ。
着地、前転して衝撃を逃し、立ち上がりざまにピョンピョン跳ねた。
新品の制服が、登校初日にして埃にまみれた。リボンは曲がり、靴下には植木の葉っぱが貼りついている。本人は、まったく気にしていない。むしろ鼻歌まじりで、上機嫌だ。新しい季節、新しい学校。試したいルートが、無限にあった。
「うっわ、楽し〜!」
そうして翔子は、目的地——高校の校門前に、たどり着いた。
校門には、立派な看板が出ていた。桜の飾りつきの、「入学式」と書かれた看板。その前で、一人の女の子が、両親に写真を撮られていた。
小さな女の子だった。
ランドセルこそ背負っていないが、どう見ても小学生にしか見えない。お団子に結った髪。袖の余ったぶかぶかの制服。その子は、両親にカメラを向けられ、いかにも居心地悪そうに、看板の前で身を縮めていた。父親は「もっと笑って〜」とはしゃぎ、母親はハンカチで目元を押さえている。
翔子は、その光景を見て、こう思った。
「かっわいい〜小学生も入学式なんだ〜」
目の前の看板には、はっきりと高校の名前が書いてあるし、入試の時に一度来ているはずだ。にも関わらず、翔子の目に映ったのは、看板の文字ではなく、看板の前の小さな女の子だけだった。
「間違って小学校に来ちゃった〜」
てへ、と舌を出して、翔子は自分が入学するはずの高校を、堂々と通り過ぎたのだった。
そして、一時間後。
近所の小学校、中学校、もう一つの高校を経由し、散々迷った末に、翔子はようやく自分の高校へ戻ってきた。
入学式は、とっくに始まっていた。
入学初日にして、遅刻。
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入学式に出られず、こってり絞られて教室に通された翔子は——そこで、見覚えのある顔を見つけた。
あの、看板の前にいた小さな女の子。
お団子頭の、小学生にしか見えない子。
その子が、教室の最後列、窓際の席に、ちょこんと座っていた。椅子が大きすぎて、足が床に届かず、宙でぷらぷらと揺れている。
「えっ、ええ〜!?」
翔子は、机と机の間を縫うように、その席へ一直線に突進した。
「キミ、さっき校門にいた子だよね!? なんでここにいんの!? ここ高校だよ!?」
女の子は、分厚い本から、ゆっくりと顔を上げた。黒い瞳が、じーっと翔子を見据える。
「……知ってる。ここは高校。私はこの学校の生徒」
「ええ〜〜!? ちっちゃ! めっちゃちっちゃいのに高校生!? そう見えて歳一緒とか?」
「今年八歳だけど」
「はっ……八歳ぃ!?」
翔子は、金魚のように口をぱくぱくさせた。そして——
「すっっっごーい!! 八歳で高校生なの? 天才じゃん!! えっなにキミ天才なの!? しかもかわいい! お団子かわいい!」
翔子が、ずいっと顔を近づけた。鼻先が触れそうな距離。女の子が、ほんの少しだけ、椅子の上でのけぞる。
「なになにお名前は!?」
翔子の指が、ぷにっとお団子をつついた。女の子が、ぺしっと、その手を払いのける。
払いのけられたのに、翔子の指は、すぐにまた戻ってきた。今度は頬を。
「ほっぺもぷにぷに!」
ぺしっ。
今度は耳の方へ。
「耳ちっちゃ!」
ぺしっ。
ついに、女の子は本を顔の前にぴっと立てて壁を作り、それきり翔子の指を物理的に遮断した。
女の子の机の上、教科書に、名前が書かれていた。
『夜摩涅梵』
翔子は、目を細め、首をかしげ、指で文字をなぞりながら、必死に読もうとして——あえなく撃沈した。
「えーと…………よる、ま、……ぼん? うわ漢字むずっ! もうボンちゃんね!」
「……」
女の子——梵は、本をぱたんと閉じ、しばらく翔子を見つめた後、ふぅ、と小さく息をついて、こう言った。
「あなた、騒がしいね」
ばっさりだった。
八歳とは思えない、冷ややかな一言。普通の高校生なら、傷ついて引き下がるところだ。
だが、翔子は——
「あはははっ! でしょ!? よく言われる!」
自分の膝をぱしぱし叩いて、爆笑した。
梵は、再び本を開き、視線を落とした。興味を失った、というより、最初から興味がなかった。
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それから、翔子は、ことあるごとに梵に構った。
「ボンちゃんお昼一緒に食べよ!」
「ボンちゃんその本なに読んでんの!? むずそう!」
「ボンちゃん身長何センチ!? あたしの肩もないくらい!」
梵の返事は、いつも短かった。
「いい」「難しい本」「測ってない」
邪険にされても、翔子はめげなかった。
というのも——翔子は、気づいていたのだ。
梵が、誰の輪にも入っていないことに。
八歳と、十五、十六の生徒たち。あまりにも歳が離れすぎていた。クラスメイトたちは、梵をどう扱っていいかわからず、腫れ物に触るように遠巻きにしていた。梵もまた、誰にも近づこうとしなかった。
休み時間、教室がにぎやかな笑い声で満ちる中、梵だけが、いつも一人で、大きすぎる椅子の上で足をぷらぷらさせながら、本を読んでいた。
その横顔が、翔子には、どうしても——楽しそうに見えなかったのだ。
だから、構った。
うるさいと言われても、騒がしいと言われても、無視されても。
梵は、相変わらず無反応だった。誰にも、何にも、興味を持たない。翔子のことも、きっと「うるさいやつ」くらいにしか思っていなかっただろう。
「私は"そよぎ" ボンじゃない」
梵は、またもや本を顔の前にぴっと立てて壁を作り、それきり翔子を無視し続けた。
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ある日の、放課後。
梵は、いつものように、一人で帰路についていた。
通学路の途中、人通りの少ない路地。そこで、梵は、数人の男子高校生に行く手を塞がれた。
他校の、ガラの悪い連中だった。
「おい、ちっこいの。なんでうちの近所の高校の制服着てんだよ」
「迷子か? ここどこかわかってんの?」
「つーかお前、ほんとに高校生か? どう見ても小学生だろ」
からかい半分、絡み半分。
梵は——困った。
自分が他人と違うことは理解している。知識だけなら誰にも負けない。だが、こういう手合いの対処法は、どの本にも書いていなかった。言い返せば、こじれて面倒くさい。逃げきれるほどかけっこに自信はない。八歳の小さな体では、追い払うこともできない。両親にもらった防犯ブザーを鳴らすか、大声を上げて助けを求めるか。小学校に入学したての頃、そう習ったのを思い出した。
どうすればいい。
梵が、本を胸にぎゅっと抱えた。頭の中は至って冷静ではあるが、正しい解が導き出せない。初めて、答えを持たずに立ち尽くした——その時だった。
頭上から、影が落ちてきた。
ドンッ。
路地の塀の上から、誰かが飛び降りてきた。男子たちと梵の間に、四つん這いで、割って入るように。
「なんだあ!こいつ! 上から落ちてきたぞ!」
翔子だった。
「ガアアアアアッ!!」
猿のように歯を剝き、髪を振り乱し、両手を広げて地を這うような唸り声を上げる。ぴょん、ぴょん、と横っ跳びに飛び跳ねながら、相手を威嚇する。完全に、ハッタリだった。何の根拠もない、ただの猿の物真似だ。
翔子はさらに、四つん這いのまま路地を一周回ってみせた。地面を足で踏み鳴らし、唾を飛ばしながら吠え、白目を剝いている。男子たちと自分の間合いを、わざわざ縮めながら。
「うわっ、なんだこいつ!?」
「やべっ、目がイッてる!」
「気持ちわりっ! 行こうぜ行こうぜ!」
男子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
翔子は、彼らの背中が見えなくなるまで「ガアアッ」と唸り続け——完全にいなくなると、スイッチが切れたようにぴたりとやめて、けろっとした顔で振り返った。
「だいじょぶ、え……と、そよ…ぎちゃん?」
ちゃんと名前で呼ぼうと、たどたどしく、自信なさげに。覚えたての言葉を使う子供のように。
梵は、答えなかった。
いや、答えられなかった。
翔子のさっきまでの振る舞いを見て、梵の頭の中でずっと昔の記憶が蘇っていたからだ。
今も小さいが、さらにもっと、小さかった頃の記憶——。
まだ、難しい本も、難しい言葉も、何一つ知らなかった頃。
一人で歩いていた幼い梵の行く手を、大きな犬が塞いだ。リードの外れた、自分の何倍もある犬。梵は、動けなかった。声も出なかった。ただ、ぬいぐるみを抱きしめて、立ち尽くすことしか、できなかった。
その時も——間に、誰かが割って入った。
小学校高学年くらいの女の子。
その子は、犬に向かって両手を広げ、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、唸り声を上げた。「ガアアッ」と。まるで、自分のほうが獣であるかのように。犬は、毒気を抜かれたように、尻尾を巻いて逃げていった。
女の子は、振り返って、にかっと笑った。
その子に向かって、近くにいた友達が口々に声をかけている。
「サル子、すごっ!」
「犬がかわいそうじゃんサル子!」
サル子。
あの時の、女の子。
梵の口が、無意識に動いた。
「……サル子」
「えっ?」
翔子が、目を丸くした。
「そよぎちゃん、なんであたしのあだ名知ってんの? まだ教えてないよね?」
「……昔」
梵は、ぽつりと言った。
「昔、同じように、助けられたことがある。犬に道を塞がれて……。その時女の子が、間に入って、唸って、追い払ってくれた。……その子が、サル子って呼ばれてた」
翔子が、ぽかんと口を開けた。それから——
「えっ、マジ!? うわ全然覚えてないけど、あたしだったらやりそう! 犬とか普通に唸って追い返してたもん、あたし!」
その場で「ガアッ」と、犬を追い払う仕草を再現してみせる。あっけらかんと、楽しそうに。
梵は、その顔を、しばらく見上げていた。
うるさくて、騒がしくて、考えなしで、傷だらけの女の子。
でも、二度……。
二度とも、間に入ってくれた女の子。
「……ありがと」
梵が、消え入りそうな声で、ぽつりと言った。視線は、なぜか、自分のつま先に落ちている。
「へへ……じゃあ、サル子って呼んでね!」
「……私も」
梵は、お団子の端を指でいじりながら、少しだけ、目を伏せた。
「ボンでいい……」
耳の先が、ほんのりと赤い。口元が、ほんの少しだけ、ゆるんでいる。八歳の、年相応の顔で。
「やった〜! じゃあ決まりね!」
翔子が、梵の小さな手を、両手でぎゅっと包むように握った。大きな手の中に、小さな手がすっぽりと埋もれる。
「うちら、今日からマブダチだよ! ボンちゃん!」
「……マブダチって何?」
梵が、握られた手を見下ろしたまま、こてんと首をかしげた。
「親友!」
「……」
梵は、握られた手を、振りほどかなかった。それどころか——ほんの少しだけ、握り返していたことには、騒がしいこの女の子は、きっと気づいていない。
---
——というのが、二人のなれそめだった。
私は、思わず聞き入っていた。
「……いいお話ですね」
本心だった。
うるさい女の子が、孤独な天才に、二度、手を差し伸べていた。一度目は、互いに覚えていないほど幼い日に。二度目は、再会とも知らずに。
「えへへ、まーね!」
翔子が、照れ隠しに鼻の下をこすり、得意げに胸を張った。梵は、何事もなかったかのように、本のページをめくっている。だが——その耳の先が、語り始めた時よりも、ほんのり赤い気がした。
私は、感動に浸りながら、ふと、翔子に視線を戻した。
翔子は、今まさにスカートを穿き直そうとしている。
「……って、翔子さん」
「ん?」
「そのスカート、思いっきり破れてますよ!?」
「うわっ」
翔子が、スカートを両手で広げた。裂け目から、向こうの景色が透けて見える。翔子は、その穴に指を通し、ひらひらと振ってみせた。
「ほんとだ〜、風通る〜」
暢気である。
「ま、いっか! スパッツだし!」
「よくないです! もうすぐチャイム鳴りますよ!」
私は鞄の中から、体操着のハーフパンツを取り出し、ずいっと差し出した。
「これ、私の予備です。穿いてください!」
「えー、ミルちゃんのなんか悪いよ〜」
そう言いつつ、翔子は差し出されたハーフパンツを受け取って——なぜか、ふんふんと鼻を寄せた。
「嗅がないでください!」
「えへへ、ミルちゃんの匂いだ〜」
「そんなわけありません。アルケオンの洗濯技術では、汚れも匂いも全て落とします。もう、梵さん、何か言ってあげてください!」
梵は、本から顔を上げず、ぽつりと言った。
「……サル子は本能だけで生きてるから」
「フォローしてください!」
チャイムが鳴った。
ハーフパンツを受け取ったままぼーっと匂いを嗅ぐスパッツ姿の翔子と、我関せずと本を読む梵と、頭を抱える私。
——あらためて、振り返ってみる。
今朝のうちに、すでに起きたこと。
九歳のヒロイン候補生は、光線銃で自分を縮めて、近所の猫の背中に乗って通学し、酔って吐いた。
十七歳のヒロイン候補生は、登校中にスカートが脱げたことも気づかずに、駅から校門まで駆け抜けてきた。
この子たちと一緒にいると、自分のヒロイン観が音もなく崩れ去る。
——こいつらなんか、やっぱりヒロインじゃない。
ただ、マブダチではあるらしい。年の差や、性格の違いを超えて……。
それだけは、確かだった。




