40. ヌンの子供たち
ヨルクは坂道を駆け下りていた。
朝、雨が止むのが遅く、道はぬかるんでいる。
雨季が近付いていた。
ヨルクの足がツルッと滑り、体が宙を浮く。
ダンが手を伸ばしてヨルクを掴もうとする。
ヨルクはガッと頭上の木の枝を掴んでぶら下がり、ダンを見上げた。
ダンは手を引っ込めながらニッと笑う。
ヨルクも笑い返す。
乾季の間に、ヨルクは山歩きに慣れていた。
「ヨルク、こっちよー!」
下の方からアニタの呼ぶ声がした。
アニタが待っていたのは、若くて明るい森だった。
緑の草が絨毯のように広がっている。
木々の枝が重なり合い、木漏れ日が、いくつもの層になって柔らかく降り注いでいる。
「ここよ」
アニタが指差す方で、ティアがしゃがみ込んで何かを見ていた。
ティアは振り向き、ヨルクに小さな苗を見せる。
「ヌンに似てる?」
ヨルクはじっと苗を見つめる。
「たぶん、そうだと思う」
「良かったー!」
「雨季に入る前に見つけられたね」
「この辺一帯に生えてるみたいよ」
「ちゃんと生きていけるかな」
植物王国でも生き残れない苗は多い。
弱肉強食なのは野生動物だけではない。
植物の世界も、熾烈な弱肉強食が繰り広げられている。
しかもその種がバラついて生息せず、一箇所に集まっていると災害で全滅する恐れもある。
最初に、ヌンの苗らしきものがイザイの集落付近にあると知らせを受けたのはティアだった。
そしてヨルクは、ダン、ワルト、ニケと共に、イザイへ向かうティアの後を追った。
イザイは芸術を志す子供たちにとって人気のある集落だ。
アニタは、やっとイザイの女の子のグループに招かれ移り住んでいた。
ここで演劇や音楽を学んでいる。
そしてイザイ周辺の集落にも、ヌンの苗を探してもらうよう頼んでいた。
「ここから一番近い集落は、イザイよりバランだね」
ワルトが言った。
するとニケが心配そうに聞く。
「ヨルクはバランに移るの?」
「そうだね」
ニケは口を尖らせる。
「ヨルクが移るのは反対だ」
「苗の世話があるだろう」
「エルナトへ持って帰ればいいじゃない」
「苗がここで育つか見なくちゃね」
「じゃあ、バランの人たちに世話を頼んでよ」
それを聞いていたティアが口を開く。
「ニケは、ヨルクと別れるのが寂しいんだよね。
私も、もう女の子のグループに入るし、これが最後になるから分かる」
ヨルクは驚く。
他の男の子たちも、
「あぁ」
「そう…」
と中途半端な答え方をする。
ティアに初潮があったのだ。
女の子たちは、保護者の少ないラーウスで、自分を守るために女の子たちのグループに入る。
「大丈夫よ」とアニタがティアに小声で言った。
ティアは「何が大丈夫なのだろう」思う。
「だからエルナトではシャウラを宜しくね」
「え?」
「私はヨルクを見張るからさ」
「ヨルクをって?」
アニタは「何言ってんの⁉︎」という顔をする。
「ユーリスもだけど、ヨルクも人気があるのよ。
私が見る限り、ヨルクがバランに移れば、あそこの女の子たちは喜ぶわね。
さあ、これから面白くなりそうだわ」
ティアは、「面白くなりそう」と言うアニタの動機が、少しズレてるような気がした。
そもそもティアもユーリスに憧れるその他大勢の一人だ。
それに女の子たちがどんなに頑張っても、あのアラバスターのような白く滑らかな肌を持つ美しいシャウラに勝てるとは思えない。
それからするとヨルクは、ティアにはユーリスより身近な存在になっていた。
ところが、そのヨルクが、バランに移れば女の子たちが喜ぶというのだ。
もちろん今、ヨルクはヌンのことで頭がいっぱいだ。
それでも横で可愛い女の子がお手伝いしたら…と思うと、心穏やかではいられない。
ティアがそんな気持ちになるのは初めてのことだった。
ティアはその思いを振り払うかのように頭をブンブンと横に降る。
そして皆に向かって宣言する。
「私は、もっとヌンについて勉強するの」
それを聞いた皆は「ほー」と声を上げる。
「だって、ヌンのお嫁さん探しは難しかったんだもの。
ヌンをよく知っていたら、もっと早く見つけられたかもしれない。
私は、ヌンの子供たちのためにエルナトの図書室で調べたいの」
「そうか、頑張れ」
とダンがティアの背中を叩いた。
ヨルクも嬉しそうだ。
「ティア、頼むよ」
ティアは、恥ずかしそうに頷く。
すると急にアニタが、
「ダンも、もっと頑張ってね」と言った。
「は?」とダン。
「今のままじゃ、ベルカリスを射止めるのは難しいわよ」
「何だって⁉︎」
「私は応援しているのよ」
「それは余計だ」
皆は、言い合うアニタとダンを見て呆れる。
とはいえアニタの言い方は歯切れが良く面白いので、アニタは演じるのに向いていると思った。
ヨルクは丁寧に、密集した苗の中からいくつかを間引きすると、折った紙に挟んでワルトに渡す。
「これを球体で、ヌンの子供たちかどうか調べて」
ワルトは不服そうな顔をする。
「最近、ヨルクは人使いが荒いよね」
ヨルクはドキッとする。
ワルトが「自分を利用している」言ったように思えた。
ワルトは球体の中に入るようになっていた。
球体の入り口は、エルナトの湖面にある。
ライーニア家のYの染色体があれば、湖底の球体が引き込んでくれる。
Yの染色体が違う男の子は、たとえ湖で泳いでも何も起こらない。
ニケは何度も挑戦したが、その年齢(もしくは能力)に達してないので、まだお呼びでない。
それが不満なニケだが、今は成長を待つしかない。
ヨルクは、自分が球体に入るのを断っていた。
断ったのを悔やんでいるのではない。
今でもそれで良かったと思っている。
それなのに、そのことを言わないまま、ワルトには頼んでいた。
利用したと思われたくない。
「凹む必要はないさ」
とダンが言った。
「ワルトはヨルクをダシにして、球体に入り浸っている。
ヨルクのをちょこっとやって、あとは自分が知りたい事を調べてるんだ」
ワルトは苦笑いする。
ヨルクも苦笑いする。
「結局、お互いに利用していたんだ」とヨルクは思った。
ヨルクは「球体入りを断ったこと」を、これからも、黙ったままでいることにした。
「じゃあワルト、お願いするね」
と言ったヨルクは、少し強くなっていた。
以前のヨルクなら「もうワルトに頼むのはよそう」と内向きになっていただろう。
頼みごとをするのが悪いのではなく、相手にも気持ちがある、感謝する気持ちが大切なのだと分かったヨルクだった。
「ヌン、やっと見つけたよ」
とアニタが、苗の一つに話しかける。
苗はそよ風にちょっと吹かれただけで、ユラユラ揺れる木漏れ日を浴びている。
ヨルクが
「宇宙艇に育たないと話せないよ」と言った。
ティアは悲しそうに苗を見つめる。
「話せないんだ…」
「それに、鉢植えキットに植えないと宇宙艇にはなれないよ」
「えー! そうなの?」
アニタもガッカリする。
するとワルトが、
「まあ、遺伝子が変わったから、可能性はあるかもしれない」
と珍しく慰めるようなことを言う。
「じゃあ、またヌンに会えるね」
と喜ぶアニタに、ワルトはため息をつく。
「そんなに簡単じゃないけど…」
ワルトも、この乾季の間、少し大人になっていた。
ヨルクは、苗たちの頭を優しく撫でながら話しかけた。
「君たちは話せなくてもいいんだよ。
自然に、ここで生き続けてくれたら、それでいい」
またそよ風が吹く。
カサリと葉が擦れ合う音がした。
「あ」とティアが声を漏らす。
「ヨルク、この苗たちから何か感じる。波動かな」
「え?」
「苗たちは、ヨルクが好きみたい」
ヨルクは微笑んだ。
「それは、きっと、ヌンだからだよ」




