28. 現在
ヨルクは外に出た。
昼日中の光は暖かく、空気は新鮮で、ほのかに湿った土の匂いがする。
エルナトは標高が高いせいか、サライよりは涼しかった。
ヨルクは、エルナトの突き出た岩の上に座った。
そして、そこから見える景色を眺める。
眼下には、カルデラの湖と緑の森が広がっていた。
湖は火山の爆発の堆積物で堰き止められた湖で、その辺りに人々は住んでいる。
とにかく、ここは百五十年後の世界だ。
ここで生活するとしたら、自分はどうしたら良いのだろうとヨルクは思う。
今、何ができるのか。
先ず、ラーウスには乗り物がなかった。
どこへ行くにも歩いて行く。
雨季は、集落付近で食べ物を採集し、
乾季には、グループを作って遠くへ出かける。
食べ物は森で取れたものが主で、肉は食べない。
狩猟できる動物がいないのだ。
以前は家畜がいたらしいが、食べつくしてしまった。
作物は自然農法で、あちこちに種を撒き、何かできれば収穫する。
菜食主義なのに、住民の骨格や筋肉はしっかりしていて体格が良い。
住む所も自由だ。
サライの合宿所のような家もあれば、ヨルクの小さな家のようなものもある。
数件持つ者もいる。
因みに、ダンは住む所にこだわらない。
ニケも同じだ。
ワルトは、本だらけの小屋にベッドを持ち込んで寝泊まりしている。
水回りは共同で使用し、清潔に管理されていた。
料理は一日一回、調理場で作られる。
出来たてを食べたい者は集まって食べるが、時間は決められていない。
お腹が空けば、自分で取りに行くか、井戸や小川などにつけてある物を食べる。
食物は豊富だった。
風呂も、源泉掛け流しの共同浴場で、掃除の時以外ならいつでも入れる。
もちろん、自分の家に台所やトイレを備える者もいる。
とはいえ人気はなかった。
自分で、掃除や管理をしなければならないからだ。
つまり、他の誰もしてくれない。
そして、ラーウスはどこでも、子供の数が多かった。
しかも、子供同士の遊びなのか喧嘩なのか、とにかく騒々しい。
大人たちは、元気に遊ぶ子供たちをほったらかしにしている。
危険であれば辞めさせるだけだ。
かと言って子供たちの行儀は悪くない。
仲間と接しながら礼儀を学び、余計なことをすれば年上の者からガツンと怒られる。
それは人間だけでなく、群れを作る動物の社会も同じだ。
そして子供たちは、ある程度大きくなると、女の子たちと男の子たちのグループに別れる。
ティアにとって、今回が、最後の男女混合の旅かもしれなかった。
グループに別れるのは、男の子と女の子では、必要なことが違っていたからだ。
特に便所の使い方の違いは大きい。(女の子にとって重要)
つまり、ここでは、引きこもるのは難しいということだ。
とはいえ、皆と付き合いたくなければそれも自由。
ラーウスでは、一人でも、最低限度の生活はできる。
動物でも、群れる動物もいれば、群れない動物もいる。
人間も、それは同じで、自由だ。
ヨルクは、群れない方だった。
そうした事を考えながら、ヨルクは、祖父母が大金持ちだったなら、
惑星ラーウスなんかでなく、もっとゴージャスな所、
超高級ホテルでなくても良いので、設備の整ったリゾート地に送って欲しかったと思った。
それからどれほど時間が経ったのか分からない。
気がつくと、もう夕暮れ時で、湖岸や森のあちこちに、灯りや焚き火の煙が上がっているのが見える。
それは集落や野営のものだ。
かすかに、太鼓や笛、琴の音もする。
そこへシャウラがやって来た。
彼女はヨルクがいるとは思わなかったようで、少し驚いた様子だった。
ヨルクはすぐに立ち上がり、シャウラにお辞儀をする。
それは、ヨルクのいた世界での王家への挨拶の作法だった。
シャウラは王家の最後の一人だ。
シャウラは目を大きく開き、それからヨルクの挨拶を受ける。
そしてヨルクに座るように勧め、自分も座った。
王族と岩の上に座るなんて、とヨルクは思う。
「その挨拶は、久しぶりでした」
とシャウラはにこやかに言った。
ヨルクは下を向いたままだった。
王族への挨拶をして迷惑だったのではないかと思うと同時に、
数日前の湯疲れ騒動を思い出す。
「失礼しました。習慣だったので」
「そうでしたか。
ですが、もう、それを覚えている人はいません」
「不愉快に思われたのであれば」
「いえ、不愉快ではありません。
ただ、今はもうその必要はないので、あなたは普通にしてください」
「普通、ですか」
ヨルクは「普通」とは何だろうと思った。
そもそもラーウスの人々は、普通ではない。
ヨルクは、シャウラの様な人がここにいるのも普通ではないと思った。
ラーウスとは無縁な、王家の品格があったからだ。
「私は、ここからの景色が好きなんです」
「はぃ…」
「時には、泣きたくなりたくなるほどです」
ヨルクは、泣きたくなるほどの景色なんてあるのかと思う。
「自然はいつも同じに見えるかもしれませんが、毎日違うんですよ。
今のこの景色は、今日だけ、もう戻ってこない。
そして明日は、別の顔をする。
だから美しくて、愛おしいんです」
「はぁ…」
そう言われても、ヨルクにはさっぱりだ。
シャウラは、太鼓の音のする方に目をやった。
それは湖の反対側の方で、他の集落より灯りの数が多い。
「あそこでは音楽が奏でられるんです。
演劇もありますよ」
「ああ、それでアニタが」
とヨルクは言って、口をつぐんだ。
それはシャウラの恋の話だったからだ。
シャウラはふふっと笑って、
「アニタは演じるのが好きなのよ」と言った。
「アニタがここにいた頃は、引きこもってばかりだったけれど、ベルカリスとサライへ行って良かったわ」
シャウラは親しみ深く言った。
「アニタはここにいたんですか」
「ええ。その内、サライからあそこへ移るんじゃないかしら」
「え?ベルカリスと?」
「いいえ、ベルカリスはサライに残るはずよ」
「女の子のグループを離れるんですか?」
「どの集落にも女の子のグループはあるのよ」
とシャウラは言って、またふふっと笑う。
「女の子は、初潮があると、女の子のグループに入るの」
「は?」
一瞬、ヨルクは、聞き間違いかと思った。




