21. 峠へ
吹雪の翌朝は霧が巻いて静かだった。
気温が上がれば霧は晴れるので、雪山を登るのに良い日だ。
ナタリから峠へは、雪原の中をまっすぐに登っていく。
雪原と言ってもここは森林限界。
まだ川や背の低い木々は雪の下に埋もれている。
乾季に入ると雪は早い勢いで溶けていくので、
ニケが落ちたような穴はあちこちにある。
ユーリス、ワルト、ダンは、エルナトからナタリへの道を知っているが、これほど雪が残っているのは初めてだった。
それでアニタが、峠の山小屋まで案内することになった。
山小屋は峠越えをする者たちのための宿で、ナタリの住民が交代で管理している。
エルナトとナタリの間の峠は空気が薄く、峠超えをする者たちはここに泊まって休むのだ。
今回もヌンの異次元物置は重宝された。
ナタリの食物倉庫が空になるのではと思われるほどの食料、そして特に大量の薪が入れられる。
惑星ラーウスは、雨量も多いが火山も多く、あちこちで温泉が吹き出ている。
人々は温泉の近くに住み、燃料や湯に困ることはないが、山小屋付近には温泉がない。
それで、暖房や煮炊き、風呂の湯などを沸かすのに薪がいる。
急な坂を、薪を背負って登るのは大変なので、ヌンの異次元物置は喜ばれた。
ヌンはせっせと誇らしげに薪を中につめていく。
こうして彼らは、ナタリの住民に見送られて出発した。
前日に降った柔らかい雪は、雪の道も含め、全てを毛布の様に覆っていた。
ヨルクは前を歩いた者たちの足跡に沿って登って行く。
靴底の滑り止めのスパイクでしっかりと踏みしめ、靴の先を斜面に突き刺しながら一歩一歩進む。
霧はどんどん晴れていき、陽が当たり始める。
雪に囲まれているが、薄着でも寒くない。
ところが上へ登るほど風が出て、風が当たる方は冷たく感じる。
それはヨルクには寒すぎた。
薄手の上着を着ると、今度は暑すぎる。
風の当たる方は寒いのに、当たらない方は暑い。
体の左右で感じる温度に差がありすぎるのだ。
ヨルクは、風が当たる方の袖に腕を通し、余った上着は腰のベルトに差し込んだ。
しばらく進むと峠らしきものが見えてきた。
アニタが「あそこよ」と指差す。
ヨルクは「何だ近いじゃないか」と思ったが、雪の平原を登るのは簡単ではない。
坂はますます急になり、少しずつしか進めないヨルクは「まるでヨチヨチ歩きだ」と思った。
皆の周りを弾む様に飛ぶルンルン気分のヌンを恨めしそうに見る。
「ちょっと休もう」
ユーリスが皆を止めた。
あたりは真っ白で、空は透き通るように青い。
ゴーグルを外すと白さは鮮烈で、とても眩しくて目を開けていられない。
ヨルクは、白い雪の上に、赤いものがうっすらと吹き付けられているのに気づいた。
「氷雪藻だよ」とワルト。
それは季節が夏に変わっていく今の時期に表れるという。
他にも、昆虫が雪の上にいた。
ヨルクは(こんな所に昆虫がいるのか)と思いながらそっと手を出すと、ダンが、
「ミミズだったら触るなよ」と言った。
「ミミズ?」
「ああ、氷を土のように掘るんだ。人の手は熱すぎて火傷して死んでしまうからね」
ヨルクは(ミミズなんか触らないよ)と眉をしかめる。
反対にニケは、キョロキョロと辺りを見回す。
「ようし!ミミズを見つけるぞ!」
と言ったその瞬間、ニケは雪の中に胸までハマってしまった。
「何やってんだよ!」と皆から呆れられてしまったが、どうあがいても抜けられない。
「助けてよ!」とニケは情けない声を出す。
しょうがないとでも言う様に、ダンとワルトがニケの両脇を掴んで穴から出す。
何かと問題を起こすニケに、ヨルクは愛着を感じていた。
ヨルクは一人っ子だったが、ヌンが弟だったらこんな風かなと思ったのだ。
さらに登り、山頂の近くまでやってきた。
まっすぐ行くと峠だが、アニタは横の道へ曲がった。
今夜泊まる山小屋へ向かうのだ。
その先は切り立った崖になっていて、崖の縁に沿って道が続いている。
西日が岩の壁に当たるので、熱で雪が溶け、道は岩がむき出しになっている。
その道は細く、反対側から誰かが来たら、すれ違うのに緊張する狭さだ。
ヨルクは惑星ラーウスへ来て一週間ほどになっていた。
始めは歩くのに不満しかなく、山道もうんざりしていたが、
慣れとは恐ろしいもので、黙って皆の後に従う。
ところが、その先にある山小屋を見て驚いた。
それは切り立った崖の窪みにへばりつくように建っていて、どうやってこんな断崖絶壁に建てたのかと思う。
山小屋はナタリと同じ三階建てだが、ほっそりと縦に伸びていた。
テラスがあり、テーブルや椅子もある。
山小屋の中では、暖炉で薪が燃えていた。
山小屋の内装はナタリの建物と似て、こざっぱりして品があった。
「ここからエルナトが見えるんだ。後で見せてやるよ」
とユーリスがヨルクに言った。
「シャウラが待ってるものね」とアニタが言ってふふんと笑った。
「シャウラ?」とヨルク。
「シャウラだけじゃない。エルナトの皆んなだ」
とユーリスが口を尖らせる。
冷静なユーリスが見せる意外な表情だった。
「エルナトを出て十日以上になるしね」
とワルトが言い、ダンもニッと笑う。
それ以上、シャウラについて誰も何も言わなかった。
ヌンが荷物を出し始め、ヨルクは薪を山小屋の外へ積ぶ手伝いをする。
外に出たヨルクは、登ってきた方の反対側を見る。
それまで前方に広がる雪山を見上げながら登ってきたが、
山小屋は、切り立った岸壁に建てられているので、峠の先が見えるのだ。
そこに雪はなく、緑の森が広がっていた。
峠のこちらとあちらでは、景色は全く違っていた。
「あれがエルナトだよ」とユーリスが指を差す。
ヨルクはその方を見る。
森の向こうにキラキラと光るもの、堰き止め湖の水面があった。
それだけで、建物は見えず、街などない。
エルナトは、惑星ラーウスの中心地。
ヨルクは、もはや期待していなかった。
そこにも都市は無かったのだ。




