10 小講堂の扉を開けたら
「最初はねぇ、こっちです」
そう言って小講堂のほうに手を引かれ、古めいた扉をドアマンよろしく開けてもらったのだった。
◇
講堂の中に入ると、そこは古い段々教室になっていて、雛壇に合わせて椅子が並べられていた。前方に少し高くなった板張りの広い教壇がある。それを演台にして両端にアンプと、中央にいくつかの楽器が置かれていた。黒い衝立の後ろでは、音出しをしている人がいる。
「まどかちゃんこっちです。ここ座って」
将真くんは前方の出演者招待席という列に私を連れていく。椅子には「しょうま」と雑にマジックで書かれた紙が貼ってあった。その列のいくつか後ろでは、ちょうど入れ替えのお客さんが、整理券を片手に座り始めていた。私は帽子を外しながらその指定席に座る。
「ショーマ遅い」
「さっきカメラさんにつかまった」
「着替え間に合う?」
「2曲目からにする」
「えー」
友だちらしき人とやり取りしている。友だちといる将真くんはいつもと違った。いやこっちのほうが「いつも」なのか。
「まどかちゃんの隣に男、座らせるなよ」
「え、女は女でやばくない? 吉岡みたいなのとか」
「じゃあ保護者」
「前列誰かの母親なの萎えんだけど笑」
吉岡って誰だろう。聞こえてしまう会話に耳をそば立てる。
そのお友だちは「JKが良かったな〜」とひとしきり残念がってから、誘導係に伝言すると将真くんと講堂準備室に入っていった。どちらかというと私も保護者枠なので、青春の舞台になんかすいません、という思いで胸がチリチリと痛む。
しばらくして同じ列に上品な美人ママたちがぞろぞろと座った。どうみてもお姉さんな出立ちで、美魔女だ……などと思っていると窓側の暗幕カーテンがシャーっと元気に閉められ、急に曲が始まった。
♬
それは誰でも一度は聞いたことがある曲で、けれど私はその曲名を知らない。私って、世の中をびっくりするほど知らない、世間の流行りに疎すぎると今更ながら思った。
将真くんとカラオケに行ったらだいぶ年上なのすぐバレるな、行かないけど。
こういう演奏を聞いている間、別のことを考えるのは好きだ。決してつまらないわけではない。脳がトリップするのだから、そうなった時は総じて、演者がうまいのだ。
ギターとベースとドラムとボーカルの編成で、すでにバンドは成立していた。左端にある誰も奏者のいないキーボード台に目がいく。将真くんはピアノをやってるんだっけ。あそこに立つのだろうか。
ステージの4人はみんな思い思いに仮装をしている。将真くんも着替えがどうとか言われていたから仮装するんだろう。
言ってしまえば、私も大学1年生女子の仮装をしている。今日だって無意識に、いや意識して若く見える服を選んだ。口でどう弁明したとして、本心ではそういうことだった。
♬
1曲目が終わる。拍手が起こる。拍手のなか小講堂が暗くなって、ステージの後方を黒い人影が通り過ぎた。影でも分かる。将真くんだ。台にキーボードも取り付けられた。少し音出しが入る。
薄暗い間接照明がついて2曲目もいきなり始まった。MCとか曲紹介とか全然ないんだ、というのにちょっと笑った。最近の曲ってイントロほとんど無いの多いよなあなんて思っていると、短めのイントロが終わる。歌が入ると、ぱっと全照明がついて背後の雛壇から大喝采が起こった。私はステージを見た。
長身の美女が現れた、と思ったら将真くんだった!
金髪のウイッグを肩甲骨のあたりまで垂らしている。立ったままで、教科書だかを積み上げて高さを調整したキーボードを弾いている。
その衣装がまたすごくて、なんとメイド服だった。漆黒のミモレ丈ドレスにフリルの立ちのいい白エプロンを重ね、足元は黒のロングブーツで、めちゃくちゃかっこいい。
メイド服着てこんなかっこい男とかいるの?って感じで、私の目は釘付けだった。後方席は当然ながら異様な圧で沸いていた。一方、隣のお上品ママさんたちは爆笑していて「あれ誰」「本堂くんだって」などと言っている。
ママさんたちはあれを見てときめかないのだろうか。いやそれは健全で正しい。私は全然、保護者目線じゃいられなかった。
この歌を全く知らなかったのに、目の前の将真くんの映像と混ざり合って、今年聴いたなかで、ぶっちぎりトップの名曲になってしまった。あとですぐ曲を検索しよう。
♬
曲が終わると割れんばかりの拍手と、仲の良いヤジと、よくできるな?って感じの巧みな指笛がいくつも飛んだ。
息を切らしながらボーカルがマイクで
「あ、今のが最後の曲でした」
というと、笑いとブーイングが起こった。「先に言えよ」とヤジが飛ぶ。すかさず野太い声で「アンコール、アンコール」と一斉コールが始まった。そこに女の子の声も混ざり始める。
紙束を持ったスタッフが舞台に上がってきて、5人を呼んで何か喋っている。野球でピッチャーマウンドに内野が集まってくる、アレみたいだった。
「え、むずくね?」
と誰かが言ったのをボーカルのマイクが拾う。
ボーカルが後ろにあったギターを肩に引っ掛ける。ギター2本にするようだ。将真くんは少し下がってタブレットを持ってきて、キーボードの譜面台に置く。
もう1曲やってくれるらしい、というのがわかってコールが止み、拍手に変わる。
ボーカルがギターでサポートコードを指鳴らしすると、それでピンときた人たちが盛り上がる。私は全然わからなかった。
それぞれチューニングが終わるとボーカルがスタンドマイクに近づいた。
「アンコール、去年もやった曲」
毎度ながら情報量の少ないボーカルの曲紹介の後に、ギターのリフが入った。
とたんに盛大な拍手が起こる。私ですら知っているヒットソングだ。場内の人たちがどんどん立ち上がるのがわかった。私の列の隣のママさんたちは座ったままだ。この中で立つのはちょっと気恥ずかしい思いもしたけど、私も立たずにはいられなかった。
私が立つと将真くんがこっちを見て笑った。
♬
アンコールが終わり、退場前にメンバー紹介が入る。「今ごろかよ」とまたヤジが飛んで笑いが起こる。最後にボーカルが、
「サポートキーボードはショウちゃんでした」
というと将真くんは前に出てきて、メイド服のスカートをつまみ上げ、美しくカーテシーをした。それでまた講堂内はわあっと盛り上がる。
「ショーマの友だちの人、こっちから先に出て」
盛大な拍手のなか、スタッフの男の子に声をかけられた。私はそのスタッフの子の後について非常口マークに誘導される。そこを出るとちょうど講堂の裏口で、たった今出番が終わったばかりの将真くんがいた。
「あっつ」
将真くんは汗だくで腕まくりしてスポドリを飲んでいる。私を見つけると寄ってきてにこにこして言った。
「ボクかっこよかったですか?」
「かっこよかったです!」
「やった!」
満面の笑みの将真くんはワンピースの首元を外してパタパタ仰ぎながら言う。
「これまどかちゃんと同じにしました」
「はは、おそろいですね」
「ふだんからこういうの着ようかな、癖になりそう」
「いいね! 似合うと思う!」
私が笑うと、将真くんは意外そうな顔をして、それから顔を近づけてきた。
「もうひとつ出るのがあるんですけど」
「うん」
「サボろうかな」
将真くんがじっと私を見つめてくる。心臓が止まるかと思った。正気に戻って、私はやんわりとそれを拒む。
「約束したなら出ないと」
「はーい」
将真くんは壁に立て掛けてあったトートバックを拾うと「もういっこはこっちです、音楽室」と指差す。
さっきのは危なかったな?と思いながら、私は将真くんの後ろをついて歩き、乱れた呼吸を整えた。




