11 音楽は物理で、料理は化学
◇
金髪美女の将真くんが校内を歩いていると、みんなが声をかけてくる。
同級生もいたけど、制服を着た外部の女子高生もけっこういた。いっしょに写真を撮りたいとか、インスト教えて欲しいとか。でも将真くんは
「ごめんね、移動中だから」
と毎回断っていた。
それを少し後ろから見ながら、私はついていく。
仮装してても声かかるんだ。いや逆に仮装している時のほうがガチな感じがしなくて、声をかけやすいかもしれない。軽いノリで、さらっと。私から見ても、すごく可愛い子や感じのいい子もいて、もったいないなと思ってしまう。同年代の、あの中の誰かと恋が始まったかもしれないのに、私がその機会をつぶしている。
階段をぐるぐると上がっていくと「12時までピアノ同好会」の紙がたくさん壁に貼られた音楽室についた。将真くんは受付の子と何か話して、それから音楽室の隣の教室を指差された。
教室に入ると、私に座るように勧めてきた。スクールチェアがなんだか懐かしい。
そこは簡単な休憩室になっていて、隣の音楽室の入場順番待ちらしいお客さんもいる。音楽室は入退場自由だが、ただいま満席で誰かが出ないと入れないのだそうだ。
将真くんはトートバッグから、タブレットを取り出す。
「まどかちゃん、なにか聴きたい曲ありますか?」
画面には楽譜が入っているだろうフォルダがずらりと並んでいる。
「今どきはこんななんだ」
「基本は紙だけど、便利でいいですよね」
私はタブレットを触らせてもらって曲名リストを見る。
「この辺まではできるかも」
そう言って将真くんは私が両手で持ったタブレットの中央を指差しながら顔を近づけてきた。腕が当たりそうだし、顔と髪の毛が近づいて、私は少しクラクラする。ウイッグだというのに、その偽物の金髪がハラリとかかっている頬や首筋に妙な色っぽさがあった。
私は邪念を振り払うようにして、その中からひとつをなんとなく指差した。
「じゃあこれ」
「えっ木枯らし」
将真くんは困ったような顔をする。
「ごめんなさい見栄張りました。今すぐは無理そう。指滑りそう」
「じゃあこれ」
「あっそれも。今日はかっこつける日なのに、なんかかっこ悪いなー」
将真くんが恥ずかしそうに笑ったので、私は胸をぐりぐりとグリップされた。
「クラシック以外でもいいんですか?」
「はい、何でもいいです。保護者くる日は、ウケがいいから古典が多いかなってくらいで」
「ていうかまどかちゃんショパンが好きなんですか」
「なぜか練習曲が好きで」
「物理っぽいの好きなんですね。とくにさっきの25-11とか10-1なんかそんな感じ」
「物理ぽいとかあるんだ」
「練習曲の名持ちはそういうの多いかもです。ショパン本人は力学関係なく経験値でやっちゃってそうですけど」
「将真くんは物理選択?」
「はい、なんか音楽に役立つかなって」
そういう観点で授業の選択科目を選ぶ人いるんだ、と私は妙に感心してしまった。ふつうは行きたい大学の試験から逆算してとか、平均点の高めの科目を選んだりする。
「前いっしょにいたマル、覚えてますか。料理好きな。マルは料理は化学って言ってますけど、なのに選択は物理で。点が取れるからって」
そう言って将真くんは笑う。
まあふつうはそうだろう。でも、その実を取りにいくチョイスが、将真くんには面白いらしかった。
「そうだ、あとでマルの部活のとこも寄ってください。3年はクラス展示ないんで」
喋っていると、エプロンをつけた同好会の人が「粗茶です」といって紙コップに入った冷たい麦茶を持ってきてくれた。麦茶にも粗茶っていうのかわからないけど、エプロン姿で澄まして言うので吹き出してしまった。お礼を言って紙コップを受け取る。
将真くんは秒で飲み干して「もう一杯」と紙コップを差し出すが「自分で入れろ。奥にあるから」と断られていた。
将真くんがおかわりをもらいに引っ込むと、さっき粗茶をくれた子が「将真の彼女にウケた」「彼女じゃないけど」「あれ?なんか既卒がそう言ってたけど」などと将真くんと喋っているのが聞こえる。
お茶をがぶ飲みしたらしい将真くんは戻ってくると「まだ暑いなー」と言ってまたメイド服の首元をぱたぱたする。
「ウイッグ取ったら涼しくなるんじゃないですか」
「あー……自分で見てるからわかるけどウイッグなしだとものすごく見た感じがイマイチなんですよね……」
「じゃあそれ結ぶ?」
「まどかちゃんやってくれるの?」
「後ろは残したほうがいいよね」
「おまかせします」
私は将真くんの横に椅子を並べた。金髪のウイッグを壊れないように少し指で漉く。
髪ゴムを用意して手首にまく。継ぎ目が見えないようにゆるく横だけ髪を編んだ。それから低めの位置でポニーテールにする。
「あ、髪下ろしてないだけで涼しい。長髪の人ってこんな気分なんだ」
そう言って振り返った将真くんは「誰?」ってくらい美女というか美少女だった。
「ウイッグ痛むといけないから、終わったら解こうか」
「ううん、明日もこれで使います」
「明日まで持つかなあ……」
「ボサボサになってもこれがいい」
将真くんはそれがいたくお気に召したようで。「じゃあ」と言って私はバッグをガサゴソやって、黒い細めのリボンを取り出した。ひとつ結びのところに縛る。
「いい感じですか? 見えないけど」
「うんいい感じ」
「ショーマァ、いちゃいちゃしてるとこ悪いけど早く何演るか決めて」
振り返ると粗茶の子とは別の、同好会の友だちらしかった。
私は慌てて椅子を向いの席に戻し、将真くんがもう一度起動したタブレットを見始める。いちゃいちゃなどと言われて、顔が熱かった。たぶんその様子を将真くんはじっと観察している。ずっと視線を感じる。
いちゃいちゃなんてしてないけど、と思うが、あれ、さっき髪を編むとき、けっこう私の手が耳や首筋に当たったかも。その時は編み込みアレンジに集中していて気にならなかった。今さら思い出して、私はさらに顔を赤らめた。
ぐるぐるした頭の中で、ふとあの曲をもう一度聞きたいように思った。
「さっきの講堂でやってた2番目の曲でもいいですか」
「あれ好きなんですか?」
「はい、実ははじめて聞いたんですけどかなり好きです」
「へぇボクもあの歌好き」
ショーマくんは曲のタイトルを紙に書いて係の子に渡した。
「歌詞あんま覚えてないので1番だけですけど」
えっ歌もつくの?と思っていると
「マイクありね了解」
と言って、同好会の子が準備に向かった。私と将真くんも音楽室に向かう。だが私は中に入れないと言われてしまった。招待席も含めて席がないようだった。
「次がショーマだってバレて全然誰も出てこねー」
「なら、第二のほうに行こうか」
「それはやめて俺がカスハラをうける」
将真くんは私だけ席を増設で作ってもらうと言ったが、それは気が引けて断った。
「立ち見も入れるかー」
とリーダーぽい人が言って、待ってる人も入れるようだったので、それならと、私も立ち見で入ることにした。
「まどかちゃん後でね。席なくてごめんね」
手を振って名残惜しそうに将真くんが準備室に入る。
「ショーマって彼女といるときはあんな感じなんですね〜」
「な? ボクとか言ってな? 全然違うな?」
えっ全然違うんだ……ていうか彼女じゃないし。
誘導の子たちの言葉に、私は苦笑いした。




