第66話 魔王の墓標と勇者の剣
前回までのあらすじ!
イチャイチャの時間だ!
俺はルランゼのベッドに上がり、地下の天井に手を伸ばす。
暖かい木漏れ日のような結界魔術の光の出所。光球を両方の掌で包んだ瞬間、それは消滅して魔導灯の白い灯りだけが残った。
「これでいいのか?」
「うん。これでもう結界魔術は復活しないよ」
「掌で光球の光を一旦完全に遮断するだけでよかったのか……」
カーテンかよ。
「なのに脱いじゃうんだもんなあ、ライリーったら。びっくりしたよ。裸で乙女の枕元に立つなんて」
俺は顔を両手で覆ってつぶやく。
「うう、無駄にボロンしちまった」
「あっははははは! あなたらしいね。顔なんて隠してないで、下を隠しなよ。ま、冗談はそこまでにして」
ルランゼが表情を引き締める。
「状況はどうなってるの?」
「ああ」
俺はルランゼが自身を封印してからこれまでのことを掻い摘まんで説明した。
「あの人、フレイアっていうんだ。知らなかったな。姉さんがいたなんて。けれどラズルがそう言ったのなら間違いないね。それと、ルナのことありがと」
「そっちはただの成り行きだ。おまえがいると勘違いしちまってな」
「それでも」
「さてと、こうしちゃいられねえ」
俺はベッドから下りて、結界前に脱ぎ散らかした服に手を伸ばす。
「服、もう着ちゃうんだ」
「あ~。ちょいとな。やまやまだが、のんびり楽しんでる時間はねえ。外に仲間を待たせてる。だから残念ながらいまはお預けだ。お楽しみはオアシスに帰ってからな」
ルランゼが小首を傾げて、ほんの少し目を細めた。
気負いのない、柔らかな微笑みだ。不覚にも胸がうずく。
やはり、とことんまで俺はやられているらしい。
しばらくして、ルランゼが静かに囁いた。
「……うん。いいよ」
耳を疑い、聞き返す。
「んぁ? いつもの冗談のつもりだったんだが……」
「いいよ」
「いいの?」
「いいよ。何度でも言うよ。ライリーなら、いいよ」
ルランゼがベッドから下りて、自身の髪を後頭部で束ねた。屈伸をしたり、腰を横にひねったりして、肉体の調子を整えている。
「ずっと思ってたの。もしかしたらわたしは封印の中で一生を終えるのかなって。とっさの判断だったけれど、ライリーを鍵に設定したことは本当にバカな失敗だったって。だってまさか人間のライリーが、たった一人でルーグリオン地方の魔王城にまでやってきてくれるわけがないって思ってたから。たったの一日、一緒に過ごしただけだしね」
俺は少しだけ残念なような、安心したような、そんな息をはいて笑う。
「アホか。くるに決まってんだろ。再会は約束だからな。けどま、礼のつもりなら、しばらくやめとくぜ。またあらためて口説かせてもらう。なぁに、時間はかからねえさ。俺のダンディズムに溢れた魅力なら、おまえなんぞ簡単にメロメロプーだ。はっはっ……は?」
ルランゼのやつ、全然笑ってねえわ。
むしろ泣きそうな顔してるわ。なんだこれぇ~。
「お礼じゃないよ、ライリー。これは助けてもらったお礼なんかじゃないの。わたし、もう完全にだめになっちゃった」
ルランゼが胸を膨らませて、ゆっくりと息を吐く。
自身を落ち着かせるようにだ。
「あのね、目を覚ましてライリーの姿を最初に見たとき、それまで張り詰めていた糸が完全に切れちゃった。魔王の立場とか、魔族民の幸せとか、そんなのを全部全部押しのけて、あの瞬間、胸の中にあった想いが一気に溢れたんだよ。そのとき、もうだめだって思った。この人がいないとって」
俺が表情を引き攣らせると、ルランゼがようやく「へへ~」と照れたように笑った。なのに、ぽろぽろ涙なんてもんをこぼしやがるんだ。
「お、俺に?」
「うん。……ライリーは? わたしがきらい?」
「アホか! ここまでのこのこやってきたんだぞ。決まってんだろうが。どうでもいいやつのために命を懸けられるほど酔狂じゃねえよ」
「だってライリーだったら、それでもやりそうだもん。関係ない人のためにだって命を放り出すかもって思ったの」
「んなわけねえだろ。約束なんぞ建前だ。――お、おまえに……その……逢いたかったからだ……ッ」
だめだ、なんか恥ずい。丸出しをまじまじ見られた方がまだマシだ。十代のガキじゃあるめえし。
ルランゼが俺に手を差し出す。俺はその手を取った。
細くて、小さくて、暖かくて、柔らかくて、大好きな手だ。
「だったら、いいよ。だから、いいよ」
「お、おお」
互いに胸に手を当てて、深呼吸をし、同時に言葉を発した。
「でも、オアシスでね」
「だが、オアシスでな」
笑い合い、手を放す。
それだけだ。それだけで、この旅でこれまで感じたことがないほどの活力が、己の内側から溢れ出してくるのを感じた。
いまなら誰にも負ける気がしねえ。ミリアスにもだ。
ふと、ルランゼが床に落ちていた服に視線を向けた。
「あれ? 何か着忘れてない? まだ服あるよ?」
「お~っといけねえ! そいつはギリアグルス子爵ん家で失敬――あ、いや、もらったメイド服で、俺からルランゼへのプレゼントだ。しかし、こうなっちまったいまは、ある意味では俺自身へのプレゼントでもある!」
「……」
ルランゼが腕組みをして目を閉じた。一応考えてくれているようだ。
どきどき、わくわく。
なかなか言葉が出てこねえもんで、俺はあえて自分から例の言葉を言ってみた。
「いいよ?」
「ライリーはこういうの好きなの?」
「おう」
「なら、いいよ! オアシスでね!」
いやあ、漲るわ。二十歳前後の若造だった頃より遙かに漲ってきたわ。
「うッし! 俄然やる気出てきた!」
「あはは! いいね、さすがはどすけべ!」
「おお、任せとけ! て、おまえも大概だからなっ?」
「う……へへ」
照れた顔に、俺はまたやられちまう。もうだめだ。つらさなんてもんはあっという間にすっ飛んじまった。
が、遊びはここまでだ。
包丁を収めた鞘を腰の背面に装着し、メイド服を挟み込む。それを見たルランゼが、ぽつりとつぶやいた。
「まだ包丁だったんだ?」
「ああ、まあな」
「よくここまでこられたね。シュトゥンやミリアスと戦ったんでしょ?」
「実際何度か死んだと思ったぜ。んでも魔力を通す剣が見っかんなくてなァ。なんだかんだ、この聖剣の成れ果てにもずいぶんと助けられちまった」
「ちょっと待ってて」
ルランゼがベッドに取って返し、その中に手を入れた。引き出されたとき、彼女の手には鞘に収められた一振りの長剣があった。
「使って」
「これは?」
「由来はわかんないけど、父の墓標になってた剣だよ。わたしは剣は使えないけど、ミリアスに取られるのが癪だったから封印の間まで持ち込んだの。力を秘めてることだけは気づいてたから」
「レイガの……魔剣……?」
魔族の剣か。いや。
俺は柄を握る。途端、ぐわっと魔力が通った。
「う、おお?」
違う、通ったなんてもんじゃない。俺の魔力が吸い付きやがるんだ。意識して通さずとも、勝手に通っちまう。
こんなことがあるのか? まるで剣が意志を持ってるみたいじゃねえか。
「抜いていいか?」
「いいよ」
「その言葉、俺の生涯でピカイチ好きな言葉になりそうだ」
「えっへへ。なら、何度でも言ってあげる。いいよ」
左手で鞘をつかみ、右手で柄を引く。
すぅっと静かな音がして現れた刀身の根元には――。
「ああ、なんだ。やっぱそういうことか」
俺は鞘へと刃を戻した。
チン、唾が鞘口を叩く微かな音がした。
「どしたの?」
「驚いた。こいつは曾祖母の剣だ。キリサメ家の紋が掘られてる。俺の包丁と同じもんだ」
「そうなの!?」
勇者サクヤ・キリサメ。魔王レイガ・ジルイールを討ち取り人魔戦争に終止符を打ったとされる、異世界からやってきた女傑だ。
勝利したはずのサクヤの剣が、魔王家に伝わっていたということは。
「……そういうことか」
レイガとサクヤはやはり結託していたんだ。おそらくレイガはサクヤとの戦いの中で、妻リィナのことを話した。
望まぬ戦争を作り出してしまったレイガは、砂漠化した最前線地区で最期の力を振り絞り大規模結界魔術を展開、魔力嵐を作り出し、両種族を分断して戦争を止めた。
そしてサクヤはいつかこの真実に誰かが辿り着いてくれることを願って、レイガの命を絶ってしまった自らの聖剣を、死んだレイガへの墓標に捧げた。
「父に対する印象が、だいぶ変わるね……。二歳や三歳の頃の、それこそ戦時中の記憶なんてもうおぼろげだけれど、わたしには優しかった。でも、父を失って、わたしも大きくなるにつれて色々考えるようになってきたの。そしたら、ルナのことを捨ててしまったり、世界に対してはひどいことをしたヒトだったんだなって」
「俺もだ。曾祖母のサクヤもまた、ただ無為に剣を振って敵である魔族を殺していただけじゃあ、なかったんだなあ」
この旅を経て、俺は多くの人生に触れてきた。報われねえやつも多かったが、幸せなやつも少なくはなかった。例外なく、全員が特別な人生ばかり歩んでいた。
レイガも、サクヤも、その例に漏れずだったんだな。やっぱり。
考えて、考えて、行動を起こして、後悔をして、泣いて、笑って。そうやって生きて、そして死んでいった。みんなそうだ。
俺は鞘ベルトを腰に巻く。
「ありがたく借りるぜ」
「ううん。だったらその剣は、ずっと長い間ライリーのことを待ってたんだと思う」
「……かもな」
「だから、いいよ。全部終わったら、その剣を持っていっても」
「わかった。大事にする」
剣が持ち主を選ぶなどと、お伽噺とか浪漫溢れる与太話の類だとは思うが、あながち外れてもない気がするね。妙に馴染みやがる。
「その剣は、わたしと同じだね。ライリーを待ってた。ずっと長い間」
「んじゃこいつも愛するわ。今晩から抱いて寝ようっと」
「あらぁ、強力なライバル出現だっ」
「大丈夫だ。まだ片腕はあいてるぜ~」
ニヒヒと二人で笑って、同時に表情を引き締める。
そうしてうなずき合い、俺たちは走り出した。
「鈍ってねえだろうな、ルランゼ!」
「平気! ベッドの上で鍛えてた!」
「魅力的な言葉だ」
「もう!」
階段を駆け上がり、蓋の扉を見上げながら俺は包丁の柄で三度ノックをした。
コッ、コッ、コッ。
音が響く。返事はない。
「……レン、俺だ……っ」
レンには届かなくとも、聴覚の鋭いコボルト族である犬には俺の声が届いているはずだ。にもかかわらず、なんの音もしなかった。
嫌な胸騒ぎがする。
「ルランゼ、下がってろ。扉の鍵を斬り上げる」
「うん」
「はぁ~~…………ッ」
柄に手を乗せて意識を集中、そして抜刀する直前。
「逃げてぇーーーーーーーーッ!!」
「レ――ッ!?」
レンの悲鳴のような叫び声が響いた。
ルランゼが俺の襟首をつかんで引き、俺は彼女とともに階段を転がり落ちる。その直後のことだ。一筋の赤い光が天井の扉を貫き、縦横無尽に灼き斬ったのは。扉が轟音とともに砕け落ち、瓦礫となって階段を埋める。
「く、なんだァ!?」
魔王の線状魔術だ。気づくまで少しかかった。
続いて空いた穴からは大きな炎が侵入してきた。それもこの廊下と同じほどの胴回りのある、大蛇のような姿でだ。
逃げ場がねえ――!
ルランゼが俺の横から前へと飛び出し、両手の人差し指と中指を交叉する。
直後、大蛇に呑まれたはずの俺たちだったが、ルランゼの張った結界魔術の前に炎はせき止められていた。
ルランゼが天井を見上げてつぶやく。
「姉さん。これ以上はだめだよ。もう、何もさせないから」
ルランゼが交叉した両手を前に押し出すと、炎の大蛇を磨り潰して結界が広がった。そしてついには天井扉の外側にまで炎の大蛇を押し戻す。
「ライリー。フレイアのことはわたしに任せて。ミリアスの方をお願いするね」
「了解した。負けんなよ。まだ抱いてねえ」
「うん! まだ抱かれてない!」
ルランゼは背中で俺にそう告げて、先に階段を駆け上がる。
俺もそれに続いた。
階段を出た俺たちの前には、ルランゼそっくりの偽魔王フレイアの姿と、そして――。
「――ッ!!」
ミリアスに襟首をつかみ上げられて顔面を腫らし、血と涙を流しながらグッタリとしているレンの姿がそこにあったんだ。
「……あ?」
犬と炎竜の姿はどこにもない。
ほんの一瞬だけ、思考が停止する。そうして再び動き出したとき。
ざわり。
前進の体毛が逆立った。目眩を引き起こすほどに血が逆流した。獣のうなり声のようなものが、自身の喉から大音量で溢れるのを聞いた。
殺す。
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