惑星テラ調査員の報告書 ―春の新色―
広大な宇宙には、無数の星々が存在し、そこには多種多様な知的生命体が暮らしている。宇宙連盟の調査員であるエフ氏の任務は、そうした星々を密かに巡り、連盟に迎え入れるにふさわしい文明レベルと精神性を備えているかどうかを査定することであった。
今回、エフ氏が降り立ったのは「地球」と呼ばれる辺境の惑星だった。古い記録によれば、この星の住人は野蛮で好戦的、常に同族や他の生物と争いを繰り返しているとされていた。しかし、実際に観察してみると、エフ氏の予想は見事に裏切られた。
少なくともエフ氏が視察に訪れたその巨大な都市においては、人々は非常に洗練された、穏やかな生活を送っていた。街は清潔に保たれ、人々はすれ違う際に微笑みを交わし、暴力や争いごとの気配など微塵も感じられなかった。
「素晴らしい。彼らは精神的な成熟を遂げたようだ。これなら宇宙連盟の仲間入りを果たしても、問題を起こすことはないだろう」
エフ氏は手元の記録装置に、順調な視察の経過を音声で吹き込んだ。
街を歩きながら、エフ氏は一つの興味深い事象に気がついた。
街の至る所が、ある特定の「色」で彩られているのだ。
それは、オレンジ色にわずかな赤みを混ぜ、ミルクで薄めたような、非常に淡く柔らかい色合いだった。
すれ違う若い女性たちの唇や頬は、その色でふんわりと染められている。ショーウィンドウを飾る春物の衣服や鞄も、大半がその色調で統一されていた。家具屋の店頭にはその色の柔らかなクッションが並び、おしゃれなカフェの壁紙にもその色が使われている。公園に目をやれば、母親に抱かれた赤ん坊が、その色のおくるみに包まれてスヤスヤと眠っていた。
エフ氏の目から見ても、それは非常に心地よい色だった。攻撃性を全く感じさせず、心がふわりと温かくなるような、不思議な魅力を持っていた。
エフ氏は通りを歩いていた身なりの良い地球人の青年に声をかけ、翻訳機を通じて質問をした。
「すみません、私は遠方からの旅行者なのですが。この街では、ずいぶんとあの色が好まれているようですね。あれは何か特別な意味合いでもあるのですか?」
青年は立ち止まり、エフ氏の指差す看板を見て微笑んだ。
「ああ、あれですね。特別な意味なんてありませんよ。ただ、最近の流行色なんです。みんな、あの色が大好きなんですよ」
「なるほど。なぜあれほどまでに好まれるのでしょうか」
「それは……そうですね。見ているだけで心が安らぐからでしょうか。あの色には、人に『親しみやすさ』や『優しさ』、そして『安心感』を与える心理効果があるんです。緊張をほぐし、空間を温かくする。だから、コスメやファッション、インテリアなど、日常のあらゆる場面でとても人気が高いんですよ」
青年はそう言うと、「私もあの色のシャツを持っているんです」と嬉しそうに語り、去っていった。
エフ氏は深く感心した。
人々が自ら進んで「優しさ」や「安心感」を象徴する色を身にまとい、生活空間をその色で満たそうとしている。それは、この星の住人がいかに平和を愛し、他者との親和性を重んじているかの確固たる証明ではないか。彼らはもはや野蛮な種族ではない。高度な調和の精神を手に入れたのだ。
エフ氏は最終報告書をまとめるため、滞在先の部屋に戻った。
「地球人は、非常に平和的で親しみやすい種族である。彼らは温和な色彩を愛し、日常に安らぎを求めている……」
そこまで入力して、エフ氏は手を止めた。
報告書を完全なものにするためには、彼らが愛してやまないあの素晴らしい「優しさの色」の名前とその由来を記録しておくべきだと考えたのだ。
おそらく、あの色は彼らの神話に登場する愛の女神の衣の色か、あるいはこの星で最も美しく儚い花の花びらから名付けられたに違いない。
エフ氏は再び街へ出た。今度は、色彩の専門家が集まるという百貨店の化粧品売り場へ向かった。
カウンター越しに、上品な制服を着た女性店員が微笑みかけてきた。
「いらっしゃいませ。どのような商品をお探しでしょうか」
「いや、品物を買いたいわけではないのです」とエフ氏は言った。
「ただ、あの素晴らしい色について教えていただきたい。女性たちが頬や唇に塗り、皆が親しみを込めて見つめている、あの柔らかい色です」
「ああ、春の新色のことですね。とても人気がございます」
「あの色は、何という名前なのですか? そして、何から着想を得たのでしょうか。きっと、何か美しく尊いものの名前に違いないと推測しているのですが」
店員は少し不思議そうな顔をしたが、すぐにプロらしい笑顔に戻って答えた。
「美しい花や宝石の名前、というわけではないんですよ。お客様もご存知の、とても身近な生き物から取られた名前です」
「生き物? それは平和の象徴とされるような、美しい鳥の羽の色ですか?」
「ふふ、違いますよ。魚です」
「魚……水中に棲む、あの生き物ですか」
「ええ。冷たい海や川に棲んでいて、私たちが日常的によく食べている魚です」
店員は楽しそうに言葉を続けた。
「その魚を海で捕まえたり、工場で大量に養殖して、水揚げします。脂が乗っていて、焼いても生でも、とても美味しいんですよ。あの色は、その魚の筋肉の断面、筋肉組織の色なんです」
エフ氏は我が耳を疑った。
「き、筋肉の断面……? あなた方は、自分たちが大量に殺戮し、切り刻み、咀嚼して胃袋に収めている生物の肉の色を、顔に塗っているのですか?」
「はい。だって、とっても可愛らしくて、親しみやすい色じゃありませんか?」
店員は自らの唇を指差し、無邪気に笑った。
エフ氏の背筋に、冷たいものが走った。
他種族を大量に殺戮し、解体し、喰らう。そこまでは自然の摂理として理解できなくもない。
しかし、その切り刻まれたむき出しの肉の断面を見て「優しさ」や「安心感」を抱き、「親しみやすい」と言って自分の顔に塗りたくり、生まれたばかりの赤ん坊を包む布にする。
彼らは、自分たちがどれほど異常なことをしているか、微塵も自覚していないのだ。
これほどの無自覚な狂気が、他にあるだろうか。
もし、宇宙連盟が彼らと交流を持ったとしたらどうなるだろう。
彼らは笑顔で我々を迎え入れ、親しく言葉を交わしたのち、ある日ふと我々を切り刻むかもしれない。そして我々の筋肉や体液の色を見て、「なんて可愛らしくて、安心感のある色だろう」と微笑みながら、それを最新の流行色として身にまとうのだ。
「お客様? どうかされましたか?」
心配そうに覗き込んでくる店員の顔が、とてつもなく恐ろしい怪物に見えた。
エフ氏は後ずさりし、そのまま無言で駆け出した。
街中が、あの色で溢れている。
優しい色。親しみやすい色。平和を愛する地球人の、大好きな色。
通りを行き交う人々の服も、看板も、すべてが切り刻まれた肉の塊に見えて、エフ氏は強烈な目眩を覚えた。
宇宙船に逃げ帰ったエフ氏は、震える手で報告書をすべて削除し、たった一行だけを打ち直した。
『この星の住人は、無自覚な狂気を孕んだ最も危険な種族である。直ちに惑星を封鎖し、一切の接触を禁ずる』
そしてエフ氏は、二度とこの星へ近づかないことを誓いながら、その恐ろしい色の名前をデータベースの「宇宙で最も忌まわしい言葉」のリストに登録した。
「サーモンピンク」と。
(終)




