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卵かけご飯とエイリアンと私

その男、エフ氏は、無機質な宇宙船の一室で静かに覚悟を決めていた。


壁も床も天井も、同じ金属の灰色だった。照明はなく、室内を満たすのは機器から滲み出る青白い光だけだ。椅子もなく、エフ氏はただ床に座り、膝を抱えて時間を過ごしていた。


突如として飛来した宇宙人たちにより、地球はあっけなく制圧された。彼らの科学力は人類のそれを遥かに凌駕しており、武力による抵抗など児戯に等しかった。


彼らの姿は人類によく似ていたが、決定的に異なる点が一つあった。体の大半が冷たい機械に置き換えられているのだ。表皮の下には複雑な回路が走り、動くたびに微かな駆動音がした。サイバネティック技術によって極限まで効率化された彼らに、温かな感情などあるはずがない。人類は皆殺しにされるだろう。エフ氏はそう思っていた。なぜ自分がここへ連れてこられたのかも、まだ分からなかった。


ふいに扉が開き、数人の宇宙人が入ってきた。彼らは無言のまま、エフ氏の前に小さなモニターを差し出した。


そこに映っていたのは、今朝、エフ氏が自宅の食卓で食べていた「卵かけご飯」の映像だった。箸を口に運ぶ自分の映像を、エフ氏はしばらく呆然と眺めた。常に監視されていたのだ。それも、地球制圧以前から。


エフ氏が困惑していると、宇宙人の一人が無機質な合成音声で告げた。


「コレハ、何ダ。詳細ナ説明ヲ求メル」


エフ氏が用途や材料を説明すると、宇宙人たちは短い通信を交わし、エフ氏の腕を掴んだ。次の瞬間、景色が歪み、エフ氏は自分の自宅のキッチンに立っていた。瞬間移動の技術らしい。


台所は出かける前のままだった。シンクには昨晩の食器が残り、窓の外には変わらない住宅街が広がっている。だが空には、巨大な影が静かに浮かんでいた。


「作レ」


命令されるがまま、エフ氏は炊飯器からほかほかの白米を茶碗に盛り、中央にくぼみを作って生卵を割り落とした。ぷっくりと膨らんだ黄身が、白米の湯気の中で艶やかな光沢を放つ。そこに醤油をひとたらしし、箸でかき混ぜる。米と卵と醤油が絡み合い、暴力的なまでに食欲を刺激する香りが立ち昇った。


宇宙人たちは黙ってその一部始終を観察していた。まるで、重要な機密を解析するかのような目だった。


宇宙人の一人が、見よう見真似でそれを一口すする。

途端に、機械化された彼の目が大きく見開かれた。無表情だった顔に、明らかな「驚愕」と「歓喜」が浮かぶ。彼は無我夢中で黄金色の米粒を掻き込んだ。


だが、完食した直後だった。

ピピピピピ、と宇宙人の腹部からけたたましい警告音が鳴り響いた。彼の顔色が土気色に変わり、その姿は一瞬にして消失した。母船の医療室へ緊急転送されたのだろう。

残された宇宙人たちが、一斉にエフ氏へ凶悪な銃口を向けた。毒を盛られたと判断したのだ。エフ氏は慌てて両手を挙げた。


両手を上げた反動で茶碗が、カタリと音を立てて倒れたが、誰も気にしない。


数分の緊張の後、先ほど消えた宇宙人が戻ってきた。彼は仲間に銃を下ろすよう指示すると、エフ氏に向かって言った。


「我々ノ生体器官デハ、未加熱ノ有機物ヲ消化デキナカッタ。ダガ、アノ『味覚刺激』ハ奇跡ダ。アレヲ量産セヨ」


エフ氏は安堵の息をつきつつ、首を振った。


「無理です。これを作るには、米を育てる広大な農地、鶏を飼育する設備、醤油を醸造する技術、そしてそれを管理する人間社会が必要です。あなた方が地球を侵略し、我々を滅ぼせば、二度と作れません」


すると、宇宙人は首を傾げた。


「侵略? 誤解シテイナイカ。我々ハこの美シイ星ノ自然環境ヲ『保護』シニ来タノダ。環境ヲ破壊シ、増エ過ギタ人類トイウ害獣ヲ間引きスルタメニ」


「保護」という言葉が、エフ氏の耳に妙に引っかかった。


エフ氏は冷や汗を拭いながら、必死の交渉に打って出た。


「その害獣がいなければ、あの至高の食べ物は作れないのですよ。人類を保護してください。我々を生かしておけば、永遠にあの味を提供すると約束します」

宇宙人たちは円陣を組み、高速で計算と議論を交わした。やがて、代表者が頷いた。


「承認シタ。人類トノ間ニ、平和条約ヲ締結スル」


エフ氏は崩れ落ちそうになるほど安堵した。自分が地球を救ったのだ。機転と、一杯の卵かけご飯によって。


条約の細かな条文は、宇宙人の言語で記された書類に収められた。エフ氏には読めなかった。そのとき彼は、深く気にしなかった。


---


数年後。


エフ氏は、狭く無機質なカプセルの中で目を覚ました。目の前には、自動配膳システムによって「卵かけご飯」が運ばれてくる。エフ氏の頭部には無数のプラグが突き刺さり、太いケーブルが天井へと伸びていた。


平和条約は守られた。人類は滅亡を免れ、「保護」されたのだ。生身の消化器官を持たない宇宙人たちは、自ら味わうことを諦めた。代わりに彼らが選んだのは、人類を生かしたままカプセルに収容し、味覚センサーを脳に直結して「美味しいと感じる感覚データ」だけを抽出・共有するという究極のシステムだった。


エフ氏は虚ろな目で箸を取り、本日で一万杯目となる卵かけご飯を口に運んだ。


味は、いつも通り完璧だった。それが何より、いけなかった。


天井の向こう側で、味覚データをダウンロードした宇宙人たちが歓喜するノイズが、微かに聞こえたような気がした。


(終)

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