第三章 確かめるもの
美紀は、それから数日後の夜、自分の身体を見つめていた。
まだ何かが残っているのか。
娘を寝かしつけ、夫の寝息を確かめる。
低く、重たいいびきが、一定のリズムで響いている。
その中で、美紀だけが眠れずにいた。
胸の奥だけが、妙に落ち着かない。
思い出すのは、あの腕だった。
背中に回された手のひらの温度。
胸に伝わった圧。
唇が触れた、あの一瞬。
触れられたのはわずかな時間なのに、
身体の輪郭が妙に意識に残っている。
「……私に、まだそんなものがあるの?」
小さく呟き、美紀は寝室を出た。
廊下の先の小さな一室。
クローゼットの脇に立てかけられた縦長の姿見。
普段は服を選ぶときにしか使わない鏡だ。
明かりをつけると、白い光が静かに広がる。
鏡の前に立つ。
* * *
ゆっくりとカットソーの裾をつまみ、頭から抜き取る。
肩が空気に触れ、ひやりとする。
続いてスウェットパンツの紐を解き、腰まで下ろす。
片脚ずつ抜き、椅子に整えて置く。
鏡の中には、実用的なベージュの下着姿。
背中に手を回し、ブラのホックを外す。
小さな金具の音がやけに響く。
肩紐を落とし、布を外すと、胸がわずかに重みを持って揺れた。
若い頃ほどの張りはない。
だが、柔らかく、確かな丸みがある。
乳輪はやや大きく、落ち着いた濃い赤みを帯びている。
その中心の乳首は、空気に触れたせいか、わずかに硬さを帯びていた。
パンティの両脇をつまむ。
ほんの一瞬だけ、指が止まる。
それでも静かに下ろし、足元へ落とす。
全裸の自分が、姿見の中に立っている。
しばらく動かない。
「……こんな身体だったんだ」
* * *
切れ長の黒目が、鏡の中の自分をじっと追う。
胸。
腹部。
腰回り。
尻。
鏡に映る姿に、美紀は思わず目を逸らしかけた。
負けず嫌いな自分にとって、変わっていく体を真正面から受け止めるのは、やはり容易ではない。
結婚する前は、視線を向けられる側でいることが、どこか当たり前だった。
だが、年月とともに変わったこの体型では、
そんな過去さえ遠い出来事のように感じられる。
腹は若い頃のように平坦ではない。
出産と年月が刻んだ、なだらかな曲線。
腰は決して細くはない。
横から見れば、張り出した尻へと厚みのある曲線が滑らかに続いている。
背を向けて、その丸みを確かめる。
重心の低い、豊かな女の形。
視線は脚の奥へと落ちる。
濃く、柔らかな黒い茂み。
整えられていない、自然な影。
若くはない。
昔のような自信も、もうない。
けれど――
その日、彼の腕は迷わなかった。
確かに、この身体を抱きしめていた。
「……このままじゃ」
ぽつりと呟く。
抱きしめられたことを、否定はできない。
けれど、それだけでは何も変わらない。
夫に裸体を見られることは、たまにある。
風呂上がりや着替えのとき、ただ日常の延長として。
だが視線は素通りし、空気も揺れない。
そこに緊張も、熱もない。
――あの目で、見られることは、もうない。
そう思ったとき、胸の奥がわずかに揺れた。
この身体のまま、
何も変えなければ、何も動かない。
それでも――
胸の奥に、小さな熱がある。
晃市の顔が浮かぶ。
ただの同僚だったはずなのに、
今はその存在をはっきり意識している。
「……早田さん」
小さく名前を呼ぶ。
認めるわけにはいかない。
けれど確かに、
あの夜から何かが芽生えている。
ほんの少しだけ。
胸の奥で、静かに。




