表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
万象の魔女、子育て奮闘中!~娘は全員マザコン、4人目は召喚獣付き~  作者: 浅沼まど
第7章【 この手は、抱きしめるためにある 】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/47

第38話『「腹は減ってないか?」と師匠は言った』

 その夜。リリアーナは眠れなかった。


 赤ん坊は揺り籠で眠っている。今夜の担当はマギーだ。マギーが揺り籠の横に座って、活動記録を書きながら見守っている。光の玉が出たら、ぽふっと消す。もう慣れた作業だ。

 ダリアの計画書に従えば、リリアーナは寝るべき時間だ。でも、目が冴えていた。


 ベッドの上で天井を見つめている。

 返書を出した。名前をそろそろ決めなければならない。花畑に植える花も選ばなければ。

 でも、頭の中を巡っているのはそういう実務的なことではなかった。


 師匠のことを、考えていた。


 リリアーナの師匠。名前はエルダ。白髪の老女で、森の奥に一人で住んでいた魔導師だった。

 リリアーナが師匠のもとに来たのは、八歳の時だ。両親はいない。物心ついた時から孤児だった。街の孤児院で育ち、魔力があることがわかって、引き取り手を探されて——エルダのところに来た。


 孤児院。

 領主の手紙に書かれていた場所だ。リリアーナ自身が、かつていた場所。

 悪い場所ではなかった。食事は出たし、屋根もあった。職員は親切だった。

 でも——温かくはなかった。


 温かさと安全は違う。安全な場所はあった。温かい場所は、なかった。

 大勢の子供がいて、大勢の職員がいて、でも誰もリリアーナの名前を特別に呼んではくれなかった。「リリアーナ」ではなく「あの子」「魔力のある子」「手のかかる子」。

 名前を呼んでもらえないことが、こんなに寂しいとは知らなかった。


 エルダは違った。

 森の小屋に来た初日、エルダはリリアーナの顔をじっと見て、言った。


 ——リリアーナ。百合の名前だね。いい名前だ。


 名前を呼んでくれた。それだけで、八歳のリリアーナは泣いた。

 エルダは慌てた様子もなく、小さなリリアーナの頭を撫でて、「腹は減ってないか」と聞いた。減っていた。エルダが作った素朴なスープを飲んだ。温かかった。


 それから九年間。エルダのもとで魔法を学んだ。

 エルダは偏屈で、無愛想で、褒めることが極端に少ない人だった。でもリリアーナが熱を出した時は夜通し看病してくれたし、魔法が上手くいった時は不器用に「まあまあだ」と言ってくれた。エルダの「まあまあだ」は「よくやった」の最上級だと、何年もかけて学んだ。


 リリアーナが十七歳の時、エルダが死んだ。

 老衰だった。穏やかな死だった。最後の言葉は「あとは好きにしろ」だった。エルダらしい言葉だった。

 泣いた。泣いて、泣いて、泣き尽くして。

 一人になった。


 エルダの小屋をリリアーナが引き継いだ。のちの花籠の館だ。

 一人で住んだ。研究に没頭した。食事を忘れるようになったのは、この頃からだ。師匠がいなくなって、「腹は減ってないか」と聞いてくれる人がいなくなった。だから忘れた。


 友達もいない。家族もいない。師匠はもういない。

 天井に向かって手を伸ばした夜がある。誰かに握ってほしくて。でも誰もいなくて。

 孤児院にいた頃と同じだった。安全な場所はある。温かい場所がない。


 そしてダリアを拾った。

 秋の夜。森の中。月明かりの下で泣いている赤ん坊。


 あの瞬間——リリアーナは「この子には私が必要だ」と思った。あの夜。

 でも今になって思う。本当にそうだったのか。


 本当は——リリアーナのほうが、必要としていたのではないか。


 一人で寂しかったのではないか。誰かに触れたかったのではないか。天井に向かって伸ばした手を、誰かに握ってほしかったのではないか。

 ダリアを拾ったのは、ダリアのためではなく——自分のためだったのではないか。


 自分が孤独だったから。自分が温かさを知らなかったから。自分が名前を呼んでもらえなかったから。

 だから——名前をつけた。花の名前を。自分が呼びたかったから。自分が呼ばれたかったように。


 リリアーナは天井を見つめたまま、考えていた。

 カミリアも。マギーも。カレンも。そしてあの子も。

 全員、リリアーナが「放っておけなかった」人たちだ。放っておけなかったから拾った。放っておけなかったから名前をつけた。放っておけなかったから育てた。


 でもその「放っておけない」は——本当に、相手のためだったのか。

 それとも自分の寂しさを、埋めたかっただけなのか。


 わからない。

 答えは出ない。二十年経っても、出ない。


 ただ——一つだけ、わかることがある。


 あの夜、ダリアを抱き上げた時。腕の中が温かかった。

 カミリアを抱き上げた時も。マギーを抱き上げた時も。あの子を抱き上げた時も。

 温かかった。


 理由はわからない。自分のためか、相手のためか、わからない。

 でも——温かかった。それだけは、嘘じゃない。


 温かければ、それでいいのではないか。

 理由なんて、なくていいのではないか。

 泣いている子がいたから抱いた。それだけのことだ。

 それ以上の理由は——いらない。


 エルダの声が、記憶の奥で聞こえた気がした。


 ——腹は減ってないか。


 リリアーナは小さく笑った。

 減ってない。今は、減ってない。お腹じゃなくて、心が。

 この家には、温もりが溢れている。自分が拾った子たちが、自分に温もりをくれている。

 拾ったのか、拾われたのか。もうわからない。でも、それでいい。


 目を閉じた。

 明日、名前をつけよう。アイリス。虹の花。嵐の後に架かる虹。

 この子にぴったりの名前だと、今ならわかる。


 リリアーナは、眠った。

 久しぶりに、朝まで起きなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ