第33話『放っておけないの。ただ、それだけ』
カレンの夕飯を食べ終えた後、リリアーナが言った。
「みんな、少しいいかしら」
家族会議だった。使者の訪問から二日が経っている。返事をしなければならない。
食卓に全員が座った。ダリア、カミリア、マギー、カレン。赤ん坊はマギーの膝の上で眠っている。光の玉が一つだけ浮かんでいるが、マギーが指先でぽふっと消した。もう片手で赤ん坊を支えながら、もう片手で護符の作業をする器用さを身につけていた。お姉ちゃん業が板についてきている。
リリアーナは全員の顔を見回した。
「領主の使者に、お返事をしないといけないの。この子を孤児院に預けるか、うちで育てるか」
沈黙が落ちた。全員がわかっている。この話題を避けてきたわけではない。ただ、リリアーナが自分から切り出すのを待っていたのだ。
ダリアが最初に口を開いた。
「お母様。使者の言うことにも一理あります。お母様のお体のことを考えれば、専門の施設に預けることは合理的な判断です」
正論だ。ダリアはいつも正論を出す。正論を出した上で、母の判断を待つ。それがダリアのやり方だった。
カミリアが続いた。
「ママ、正直に聞くけど……本当に大丈夫? 夜中に何度も起きて、研究時間も削って、それでも自分のご飯は忘れて。このままだと、ママのほうが倒れちゃう」
心配の声だ。カミリアは感情で話す。データと理論で武装するのは学院だけで、家では素の感情が出る。そしてその感情は、いつも母の体に向いている。
マギーは黙っていた。赤ん坊を膝に乗せたまま、何も言わない。手紙の日にもう言いたいことは言った。「この子は家族です」と。繰り返す必要はなかった。
カレンが腕を組んだまま、天井を見ていた。
「……リリィ」
「なあに、カレン」
「もう決めてるんでしょう」
短い言葉だった。全員が振り向いた。
「会議なんてしなくても。使者が来た時にわかりました。あの顔は、もう動かない人の顔です。十年見てきたからわかります」
カレンが天井から視線を下ろして、リリアーナを見た。皮肉でもなく、呆れでもなく、ただ事実を確認する目だった。
「リリィは昔から変わらない。捨て猫でも捨て犬でも捨て子でも、目の前で泣いてるものを放っておけない人です。ダリアもカミリアもマギーも、全部そうだった。理屈じゃない。体が勝手に動く。——今回も同じでしょう」
リリアーナは少し驚いた。カレンがこんなに長く話すのは珍しい。普段は「しょうがないですね」で済ませる人間が、今日は言葉を尽くしている。
「だから会議は形だけです。結論はもう出てる。あとは、リリィがそれを口にするかどうかだけ」
居間が静まった。全員がリリアーナを見ている。
リリアーナは、膝の上に手を置いた。さっきまで赤ん坊を抱いていた手。今はマギーに預けているが、腕にはまだ温もりが残っている。
「みんなの気持ちはわかってる。心配してくれてありがとう」
一人ずつ、目を合わせた。ダリア。カミリア。マギー。カレン。
「でも——この子を手放すことは、できないの」
声は穏やかだった。「あらあら」と同じ温度。でも中身は違った。この声の奥にあるのは、穏やかさではなく、決意だ。
ダリアが聞いた。
「……理由をお聞きしてもよろしいですか」
理由。リリアーナは少し考えた。合理的な理由はない。カミリアの心配も、ダリアの正論も、使者の提案も、全部正しい。論理で反論できる材料はない。
「放っておけないの。ただ、それだけ」
それだけ。二十年前と同じ理由。ダリアを拾った時と。カミリアを拾った時と。マギーを拾った時と。同じ、たった一つの理由。
論理ではない。合理でもない。ただ——この手が伸びてしまったから。
ダリアが目を閉じた。数秒。それから目を開けた。
「……知っていました。お母様はそう仰ると」
カミリアが鼻を啜った。
「……私も。ママがそう言うの、わかってた」
マギーが赤ん坊を優しく抱き直した。
「私もです。御母上様が手放すわけがないと、最初からわかっていました」
カレンがため息をついた。今日何回目かはもう数えていない。
「……全員知ってましたよ、リリィ。あなたがそう言うことくらい」
リリアーナは目を丸くした。
全員知っていた。
反対していたのではなかった。ダリアの正論も、カミリアの心配も、本気で赤ん坊を孤児院に預けるべきだと思っていたわけではなかった。ただ——母に考える時間を与えていただけだ。母が自分で結論を出すのを待っていただけだ。
そして母が出した結論は、全員が予想していた通りだった。
「……ずるいわ、みんな。知ってたなら最初から言ってよ」
「お母様がご自分で仰らないと意味がありません」
「……ダリアは堅いわねぇ」
カミリアが笑った。涙声の笑いだった。
「ママ。私、この子のお姉ちゃん、ちゃんとやるから」
「あらあら。カミリアまで泣いて」
「泣いてない」
「泣いてるわよ」
「……泣いてない」
泣いていた。
マギーが赤ん坊を見下ろした。赤ん坊は眠ったまま、小さな手をぎゅっと握っている。
「この子の夢が、良い夢でありますように」
崇拝者の祝福ではなかった。お姉ちゃんの祈りだった。
カレンが椅子から立ち上がった。
「……じゃあ、決まりですね。私は洗い物します」
それだけ言って台所に向かった。背中が「しょうがない」と言っていた。でも今日の「しょうがない」は、いつもより少しだけ温かかった。
リリアーナは食卓を見回した。
四人の人間が、それぞれのやり方で、同じ答えに辿り着いていた。
一人で決めたのではない。一人で抱え込んだのではない。全員が、同じ方向を向いている。
母が決めたなら、全員が付いていく。
それがこの家族の形だった。




