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万象の魔女、子育て奮闘中!~娘は全員マザコン、4人目は召喚獣付き~  作者: 浅沼まど
第6章【 お客さんが来ました!(※歓迎していません) 】

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第32話『「しょうがない」が口癖の人』

 使者が帰った後、カレンがお茶を淹れ直した。


 自分の分と、リリアーナの分。リリアーナは使者の応対でお茶を飲む暇がなかった。いつものことだ。他人の世話をしている間に、自分のことが後回しになる。十年以上の付き合いで、カレンはこのパターンを嫌というほど知っていた。


「リリィ。飲んで」


 湯気の立つカップをリリアーナの前に置いた。リリアーナは赤ん坊を片腕に抱いたまま、もう片方の手でカップを受け取った。


「ありがとう、カレン」

「お礼はいいから飲んで。顔色悪いですよ」

「あら、そう?」

「そう」


 リリアーナがお茶をすすった。一口。二口。三口目で、少し肩の力が抜けた。使者の訪問で緊張していたのだ。表面には出さなかったが、カレンにはわかる。「あらあら」の裏でどれだけ気を張っていたか。

 この人は、穏やかな顔で全部を抱え込む。それを「強さ」と呼ぶ人もいるだろう。カレンは「不器用」と呼んでいる。


 ダリアが居間の片付けをしている。使者が転げ落とした椅子を直し、こぼれたお茶を拭き、召喚時にずれたテーブルを元の位置に戻している。手際がいい。騎士団の後始末と同じ手順で、淡々と処理している。ただ、手が微かに震えていた。ダリアの手が震えるのは珍しい。よほどのことがあったのだろう。

 カミリアが赤ん坊の様子を確認している。召喚直後の魔力の残留を、学院で学んだ測定術式で計測している。「数値は安定してる」と小声で報告している。安心させようとしているのだ。母を。ただ、カミリアの顔色がまだ戻っていない。

 マギーが護符の点検をしている。揺り籠に貼った六枚の護符を一枚ずつ確認し、召喚時の負荷で劣化したものを交換している。予備を常に持ち歩いている。お姉ちゃんの装備だ。マギーだけが、なぜか嬉しそうだった。


 カレンは台所の入り口に寄りかかって、この光景を見ていた。

 居間の空気に、まだ微かに残っている。リリアーナの魔力の残り香。使者がいた時に何かがあったのだ。カレンは遅れて来たから見ていないが、三姉妹の様子でわかる。リリアーナが——少しだけ、本気を漏らしたのだろう。

 十年の付き合いで、一度だけ見たことがある。リリアーナの蓋が外れかけた瞬間を。あの時は森の魔獣がダリアに襲いかかった時だった。一瞬で森が静まった。魔獣どころか、鳥も虫も風も止まった。

 この人の本気は——世界を黙らせる。


 おかしな家だ、と思う。

 何もかもがおかしい。世界最強の魔導師が自分のご飯を忘れる。騎士団のエースが枕で抱っこの練習をする。学年首席が赤ん坊の前で「かわいい」を連発して泣く。十五歳の少女が母親を神として崇拝しながら聖典を執筆する。赤ん坊が泣けば魔獣が出て、笑えばフェニックスが出て、寝れば光の玉が増殖する。

 普通の家庭ではない。普通の家族ではない。


 でも——温かい。


 それだけは、否定できない。


 カレンがリリアーナと出会ったのは、十年ほど前のことだ。

 カレンはまだ十歳の子供で、旅の魔術師に師事して各地を転々としていた。師匠が用事でこの森を訪れた時、たまたまリリアーナの家に立ち寄った。あの頃はまだ「花籠の館」ではなく、ただの古い一軒家だった。

 玄関を開けたリリアーナは、九歳のダリアを背負い、八歳のカミリアの手を引き、五歳のマギーを足にしがみつかせていた。三人同時に世話をしながら、空いている手で師匠にお茶を出した。空いている手など、なかったはずなのに。


 カレンはその時思った。この人は、おかしい。


 師匠が去った後もカレンはこの森に残った。理由は——わからない。わからないが、残った。リリアーナが「近くに空いてる小屋があるわよ」と言ったから。ただ、それだけだ。

 以来十年。カレンはこの森に住んでいる。リリアーナの近くに。特別な理由はない。仲がいいから。それだけだ。


 ——本当に、それだけなのか。


 カレンは自分に問うことがある。なぜ自分はここにいるのか。もっと便利な街に住めばいい。もっと優秀な魔術師に師事すればいい。この森に縛られる理由はない。


 でも、この台所に立つと——五人分の食事を考えている自分がいる。六人分か。赤ん坊のミルクも入れると。

 頼まれてもいないのに、冷蔵庫を開けている自分がいる。「しょうがない」と言いながら、鍋を出している自分がいる。


 しょうがない。


 この言葉を、もう何百回言っただろう。リリアーナが子供を拾うたびに。リリアーナがご飯を忘れるたびに。リリアーナが無茶をするたびに。

 「しょうがない」は、カレンにとっての「好き」なのかもしれない。面倒くさいけど、放っておけない。——それは、リリアーナが捨て子を見つけた時と同じ感情ではないのか。


 いや。考えすぎだ。


「……カレン?」


 リリアーナが不思議そうに見ている。カレンが台所の入り口でぼんやりしていたらしい。


「何でもないです。夕飯の献立考えてただけ」

「あら。今日も作ってくれるの?」

「……たまたまです。毎日じゃないですからね」

「ふふ。ありがとう」


 ありがとう。この人はいつも「ありがとう」と言う。何に対しても。誰に対しても。

 お茶を淹れただけで「ありがとう」。夕飯を作っただけで「ありがとう」。そこにいるだけで「ありがとう」。

 安売りだ、と思う。感謝の安売り。でも——安売りの「ありがとう」が、不思議と嫌ではない。


 マギーが台所に来た。


「カレン姉さま。夕食のお手伝いをします」

「……いい。一人でやるから」

「お姉ちゃんとして、手伝います」


 お姉ちゃん。マギーがこの言葉を使い始めたのは、赤ん坊が来てからだ。以前は「御母上様の崇拝者」しかなかった。今は「お姉ちゃん」がある。

 小さな変化だが、カレンにはわかる。この家族は、新しい子が来るたびに変わる。ダリアが来た時、カミリアが来た時、マギーが来た時。そのたびにリリアーナが変わり、家が変わり、全員が変わった。

 今回も同じだ。赤ん坊が来て、三姉妹がそれぞれ「お姉ちゃん」になった。ダリアは柔らかくなった。カミリアは正直になった。マギーは強くなった。


 おかしな家だ。

 面倒くさい家だ。

 でも——


「……マギー。じゃあ野菜、洗ってくれる?」

「はい、カレン姉さま!」


 しょうがない。


 カレンは鍋を火にかけた。六人分。いや、明日のリリアーナの分も作り置きしておこう。あの人は、作り置きがなければ確実に食べない。

 七人分か。面倒だ。


 ——でも、まあ。温かい台所は、嫌いじゃない。

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