第29話『リリィ、また家族増えてるんですけど』
カレンが来たのは、穏やかな午後の翌日だった。
花籠の館の近くに小屋を構える魔術師。リリアーナとは若い頃からの付き合いで、暇があればふらっと館に顔を出す。特別な理由はない。仲がいいから来る。それだけだ。
腕は確かだが、面倒くさがりで、自分の研究以外のことには最低限の労力しかかけない。ただし「最低限」の基準がどこかおかしい人間で、リリアーナが食事を忘れていると「しょうがないですね」と言いながら台所に立つことがある。頼んでいないのに。
「……リリィ」
玄関に立ったカレンの第一声は、ため息混じりだった。
「昨日フェニックスが出たって、街で噂になってるんですけど」
噂。フェニックスの幼体が出現した際の魔力反応は、街まで届いたらしい。万象の魔女が住む花籠の館から伝説級の魔力が溢れた、と。
リリアーナは穏やかに微笑んだ。
「あらあら。噂になっちゃった?」
「なってますよ。で、何があったんですか」
居間に通した。カレンが座る前に、状況が目に入った。
揺り籠がある。護符が六枚貼ってある。ダリアが温度計三本でミルクの温度を測っている。カミリアが揺り籠を覗き込んで「かわいい」と呟いている。マギーが揺り籠の横で子守唄を歌っている。歌詞が途中から「御母上様の御光が」になっている。
カレンは立ったまま、三秒間、目の前の光景を処理した。
「……リリィ。家族、増えてません?」
「増えたわ」
「なんで」
「嵐の夜に来たの」
「来た」
「玄関先にいたの」
「玄関先に」
「放っておけなくて」
「……知ってます。リリィはいつもそうだ」
カレンはため息をついた。二回目。
リリアーナが説明した。嵐の夜、赤ん坊、泣き止んだこと。そして召喚魔法。泣くと出る。寝ると出る。笑っても出る。フェニックスは笑った時に出た。
「……最悪じゃないですか」
「そんなことないわよ。この子、とっても良い子よ」
「良い子かどうかの話じゃなくて、フェニックスが出る話なんですけど」
三回目のため息。
ダリアが「護衛計画書・赤ん坊版」を差し出してきた。カミリアが召喚条件の一覧表を見せてきた。マギーが「花籠の館・召喚対策部隊」の活動記録を読み上げようとして、ダリアに止められた。
「……なんか、すごい組織化されてますね」
「ダリアが仕切ってくれたの」
カレンが活動記録をちらりと見た。隊員名簿に自分の名前が「支援班」として書き加えられている。
「聞いてないんですけど、これ」
「ダリアが勝手に書いたのよ。ごめんなさいね」
「……まあ、いいですけど。で、支援班って何するんですか」
「何でもよ。カレンにしかできないことを」
曖昧な指示だった。リリアーナらしい曖昧さだった。
揺り籠の横を通りかかった時、赤ん坊と目が合った。
小さな目が、カレンを見上げている。きょとんとした顔。誰だろう、というような。
カレンの足が止まった。
「……小さいですね」
「そうでしょう? かわいいでしょう?」
「かわいいとは言ってないです」
言ってない。言ってないが、足が動かない。
「……リリィ」
「なあに?」
「この子、名前は」
「まだないの。もう少し一緒にいてから、決めるつもり」
「……相変わらずのんびりしてますね」
「急いで決めるものじゃないもの。名前は一生のものだから」
カレンは赤ん坊の顔を見ている。小さな手が、空に向かって伸びている。何かを掴もうとしている。何もないのに。
「……しょうがないですね」
四回目のため息。
「今日は夕飯、作っていきますよ。リリィ、どうせ自分の分忘れるでしょう」
「あら。ありがとう、カレン」
「お礼はいいです。食材はあります?」
「あると思うわ。マギーが昨日買ってきてくれたの」
「……マギーが」
末娘が買い出しまでやっている。この家は母親以外が全員しっかりしている。あるいは、母親がしっかりしていないから全員がしっかりせざるを得ないのか。
たぶん後者だ。十年以上の付き合いで、カレンはそう確信していた。
台所に向かった。
冷蔵庫を開ける。食材を確認する。五人分——赤ん坊のミルクも入れると六人分。いつの間にか増えている。
面倒だ。面倒だが——まあ、たまには作ってやるか。
背中が「しょうがない」と言っていた。




