第25話『抱っこ権をめぐる三つ巴』
それは、朝食の席で始まった。
赤ん坊が目を覚ました。揺り籠の中で、きょとんとした顔をしている。泣いていない。笑ってもいない。ただ、天井を見上げて、小さな手を伸ばしている。
三姉妹の視線が、同時に赤ん坊に向いた。
ダリアが立ち上がった。
「朝の見守りは私の担当です。抱き上げてミルクを——」
「待って、姉さん」
カミリアが遮った。
「この子、私が抱くと笑うの。朝は機嫌よく過ごしてほしいから、私が——」
「笑うと召喚が出る。朝から処理が増える」
「だから小さいのしか出ないってば。光の玉くらい——」
「お二人とも」
マギーが割って入った。両手を腰に当てて、胸を張っている。十五歳の小さな体で、精一杯の威厳を出そうとしていた。
「お姉ちゃんは私です。年齢的にこの子に一番近いのは私です。姉妹のことは、一番近い姉が面倒を見るべきです」
理屈としては一理あった。ダリアは十九歳。カミリアは十八歳。マギーは十五歳。確かに赤ん坊との年齢差が一番小さいのはマギーだ。
ただし、年齢が近いことと面倒を見る能力があることは別の話だった。
「マギー。あなたは昨日、揺り籠に護符を十二枚貼ったわよね」
「……六枚に減らしました」
「六枚でも多いのよ」
三人の視線がぶつかった。ダリアは腕を組んで立っている。カミリアは椅子から身を乗り出している。マギーは腰に手を当てたままだ。
リリアーナは食卓でパンをかじりながら、この光景を見ていた。
既視感がある。
ダリアが帰ってきた日と同じだ。あの日は母の膝をめぐって三人が争った。今日は赤ん坊の抱っこ権をめぐって争っている。対象が変わっただけで、構図が完全に同じだ。
花籠の館では、愛情の対象が増えるたびに争奪戦が発生する。これはもう、この家の法則なのかもしれない。
「私が護衛しながら抱く。最も安全な選択です」
「姉さんの腕は硬いって、この子が泣いて証明したでしょう」
「柔らかさの訓練を済ませた。もう泣かせない」
「私が抱くと笑うの。笑顔が一番大事でしょう」
「笑うと召喚されるんだが」
「お姉ちゃんは私です!」
三つ巴だった。
赤ん坊は揺り籠の中で、三人のやり取りをきょとんと見ている。何が起きているのかわかっていない。ただ、周りが賑やかなことだけはわかるらしく、手をばたばた動かしている。
リリアーナはパンの最後のひとかけを食べ終えて、立ち上がった。
今日は自分の分を忘れなかった。進歩だ。
「はい、みんな。座って」
三人が座った。母の「座って」には全員従う。これだけは二十年間変わらない。
「ローテーション表を作りましょう」
紙とペンを持ってきた。食卓の上に広げる。
「朝の担当、昼の担当、夜の担当。三人で回す。公平に。文句なしの仕組みを作るわ」
ダリアが真剣な顔になった。作戦会議と同じ目だ。
カミリアが眼鏡を直した。論文の構成を考える時の目だ。
マギーがメモ帳を取り出した。聖典の——いや、今回はローテーション表の記録だ。
「朝はカミリアがいいと思うの。学院に行く前に少しだけ抱っこして、元気をもらって出発する。笑顔で送り出したいでしょう?」
「……うん」
カミリアが素直に頷いた。氷の才媛の顔はどこにもない。
「昼はマギー。お姉ちゃんとして、この子と一番長い時間を過ごしてあげて。子守唄の練習もできるわね」
「はい! がんばります!」
「夜はダリア。夜間の召喚対策は、ダリアの処理能力が一番頼りになるわ」
「了解しました。夜間警備は得意です」
赤ん坊の世話を「夜間警備」と呼ぶのはこの家くらいだろう。
「それぞれの担当外の時間は、自分のやりたいことをやる。ダリアは素振り、カミリアは勉強、マギーは護符作り。担当の時間だけ、この子に全力を注ぐ。いい?」
三人が頷いた。
「あと、一つだけ」
リリアーナがペンを置いて、三人を見回した。
「争わないこと。この子は、三人の妹よ。三人のうちの誰か一人のものじゃないの。みんなの妹」
三人が黙った。
ダリアが最初に口を開いた。
「……了解しました」
「……わかった」
「……はい、御母上様」
マギーがローテーション表を丁寧に書き写した。聖典ではなく、家族の表。日付と名前と担当時間が、マギーの几帳面な字で並んでいる。
「これは聖典に記録しません。家族のものですから」
マギーが言った。リリアーナは少し驚いた。この子は聖典に何でも記録する。なのに、これは記録しない。「家族のもの」だから。
マギーの中で、「聖典」と「家族」の境界線が引かれ始めている。それは——小さな、でも確かな成長だった。
ローテーション表が冷蔵庫に貼られた。マギーの手作り護符で固定されている。護符で紙を貼るのは過剰だが、まあいい。
赤ん坊が揺り籠の中で、あくびをした。
三人が同時にそちらを見た。
「かわいい」
三つの声が重なった。
ダリアは言ったあとで、はっとして口を押さえた。カミリアは隠す気すらなかった。マギーは「聖なるあくびです」と呟いた。
リリアーナは笑った。
争っていても、この三人の根っこは同じだ。
みんな、この子が好きなのだ。




