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万象の魔女、子育て奮闘中!~娘は全員マザコン、4人目は召喚獣付き~  作者: 浅沼まど
第5章【 赤ん坊がいると、全員おかしくなります 】

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第22話『騎士の腕は、赤ん坊には硬すぎる』

 ダリアには、できないことがほとんどない。


 剣術は騎士団でも三指に入る。体術も一流。戦術眼は隊長格。判断力、行動力、統率力、どれを取っても申し分ない。十九歳にして王国騎士団のエースと呼ばれるのは伊達ではない。

 ミルクの温度管理も克服した。温度計を三本使う独自の手法は、やりすぎだが確実に機能している。おむつの替え方も覚えた。げっぷのさせ方も覚えた。夜間の光の玉の処理も、剣の反射神経を活かして素手で捕まえる技術を編み出した。

 ダリアは、できないことがほとんどない。


 ほとんど。


「……お母様」


 居間のソファで、ダリアが途方に暮れた顔をしていた。

 腕の中に赤ん坊がいる。赤ん坊は泣いている。顔を真っ赤にして、全力で泣いている。

 ダリアの抱き方は正しかった。頭を支えて、体を密着させて、教本通り。リリアーナに教わった通りだ。手順に間違いはない。

 でも、泣き止まない。


「ミルクは飲みました。おむつも替えました。体温も正常です。室温も適正です。何が問題なんでしょうか」


 報告が騎士団の任務報告のようだった。全項目クリア、しかし目標未達成。


 リリアーナは隣に座って、ダリアの腕を見た。

 原因はすぐにわかった。力だ。

 ダリアの腕は剣を振るために鍛えられた腕だ。筋肉がしっかりついていて、硬い。赤ん坊を落とすまいと力が入れば入るほど、腕は硬くなる。赤ん坊にとっては、岩に抱かれているようなものかもしれない。


「ダリア。少し力を抜いてみて」

「抜いています」

「もう少し」

「これ以上抜くと落とします」

「落とさないわよ。大丈夫。もっと、ふわっと」


 ダリアが「ふわっと」を試みた。

 腕の力が抜ける。少し。ほんの少し。

 しかし赤ん坊がぐずった瞬間、反射的に力が入った。騎士の反射神経が裏目に出ている。危険を感知すると体が勝手に固まるのだ。


 赤ん坊が、さらに大きく泣いた。

 居間の隅に、淡い魔法陣が浮かんだ。泣き声に反応した召喚魔法。猫サイズの精霊獣がぽんっと出現した。


 ダリアの反応は速かった。

 赤ん坊を左腕で抱えたまま、右手で腰の剣に手をかけ——止まった。

 赤ん坊を抱いたまま抜刀すると、斬撃の振動が伝わる。赤ん坊がさらに泣く。さらに泣けば、さらに召喚される。


「……お母様、受け取ってください」


 初めて聞いた。ダリアが、助けを求める声。

 リリアーナが赤ん坊を受け取った。腕の中に収まった瞬間、泣き声がすうっと小さくなり——止まった。魔法陣も消えた。精霊獣がきょとんとした顔のまま、光に包まれて消えた。


 静寂。


 ダリアが、赤ん坊の寝顔を見つめていた。リリアーナの腕の中で、安心しきった顔で眠り始めている。一秒前まで泣いていた赤ん坊が、母の腕に移っただけで沈黙した。


「……お母様には、敵いません」


 声が小さかった。悔しさではなかった。もっと正直な、もっと子供じみた感情だった。

 騎士団のエースが、赤ん坊を泣き止ませることができなかった。母にはできて、自分にはできない。それが——悔しいのではなく、少し寂しいのだ。


 リリアーナは知っている。この感覚を。

 ダリアは昔からそうだった。自分にできないことがあると、悔しがるのではなく、黙り込む。そして次に会った時には、できるようになっている。

 今回もきっとそうだろう。


「ダリア」

「はい」

「腕の力を抜く練習、しましょうか。コツがあるのよ」

「……コツ?」

「赤ん坊を抱く時はね、剣を握る時の逆をやるの。力を入れるんじゃなくて、力を預けるの。赤ん坊の重さに、自分の腕を合わせるの」


 ダリアの目が真剣になった。戦術の講義を受ける時の目だ。


「力を、預ける」

「そう。赤ん坊は、硬い場所では泣くの。でも柔らかい場所では眠れる。ダリアの腕を、この子にとっての柔らかい場所にしてあげて」


 ダリアが頷いた。何度も頷いた。


 翌日から、ダリアは庭で「柔らかさの訓練」を始めた。

 枕を赤ん坊に見立てて、力を抜いて抱く。力を抜く。もっと抜く。剣を振る時とは真逆の筋肉の使い方を、一から学び直している。

 騎士団のエースが、枕を抱いて庭に立っている。横では素振りの代わりに、抱き上げて、降ろして、また抱き上げている。


 リリアーナは窓からその姿を見て、笑った。


 三日後。

 ダリアが赤ん坊を抱いた。赤ん坊が——泣かなかった。

 ダリアの腕の中で、きょとんとした顔をしている。泣かない。でも笑いもしない。


「……泣きませんでした」

「おめでとう、ダリア」

「まだ笑ってもらえていません」

「そのうち笑ってくれるわよ」


 ダリアが赤ん坊を見ている。真剣な目で。でもその目には、騎士の鋭さではなく、もっと柔らかい何かがあった。

 姉の目だ。初めて見る、ダリアの「姉の目」。


「……この子を、守ります。お母様だけでなく」


 小声だった。リリアーナにしか聞こえない声で。


 リリアーナは何も言わずに微笑んだ。

 強い子だ。どこまでも真っ直ぐで、不器用で、でも——柔らかくなろうとしている。

 この子も、花みたいだ。硬い蕾が、少しずつ開いていく。

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