第10話『ごめんね、ありがとう、おやすみなさい』
夜。花籠の館が静まり返った頃、リリアーナはまた廊下を歩いていた。
昨夜と同じだ。全員が寝静まった後、娘たちの部屋をそっと見て回る。二十年間続けている習慣で、一日も欠かしたことがない。研究で徹夜した日でも、必ず一度は見に行く。
ダリアに知られたら「お母様こそ早く寝てください」と怒られるだろう。だから気づかれないようにする。万象の魔法は使わない。ただ、足音を殺して歩くだけ。母親というのは、こういう時だけ妙に器用になる。
カミリアの部屋を覗いた。昨夜と同じ、布団に潜り込んで丸くなっている。安心した。
マギーの部屋を覗いた。メモ帳を握りしめて眠っている。壁の絵は増えていない。一日では増えないか。安心した。
最後に、ダリアの部屋。
扉を細く開ける。
ダリアは起きていた。
ベッドには入っていない。部屋の椅子に座って、膝の上に何かを載せている。
剣ではなかった。木剣だった。
古くて、小さくて、子供の手に合わせて作られた木剣。柄の部分がすり減って、色が褪せている。もう何年も実用には使えないだろう。
リリアーナは、その木剣を知っている。
ダリアが七歳の時、リリアーナが作ってあげた木剣だ。
「ママを守る」と言って、毎日振っていた。庭で、朝から晩まで。素振りの数を数えて、百回できたらリリアーナに報告しに来た。「ママ、今日は百回できたよ!」と、汗だくの笑顔で。
ダリアは木剣を丁寧に布で拭いていた。
本物の剣を手入れする時と同じ手つきで。柄を磨き、刃の部分——刃はないが、刃に当たる部分を丁寧に拭き、傷を確かめている。
本物の長剣は壁に立てかけてある。そちらはもう手入れが終わっている。先に本物を手入れして、その後で木剣を磨いている。
リリアーナは、扉の隙間から見ていた。声はかけない。
ダリアが剣を選んだ理由を、リリアーナは知っている。
ダリアは言わない。一度も言ったことがない。「お母様を守りたいから騎士になりました」とは、絶対に言わない。
でも、リリアーナは知っている。
ダリアが八歳の夜のことを、覚えている。
リリアーナが研究に没頭して、三日間、部屋から出なかった。食事も忘れて、娘たちのことも忘れて。我に返った時、ダリアが研究塔の前に座り込んでいた。目を真っ赤に腫らして。
「ママがいなくなったと思った」と泣いた。
あの時のダリアの顔を、リリアーナは一生忘れない。
あの日から、ダリアは変わった。
母を守ると決めた。母がいなくならないように。母が自分を忘れないように。母のそばにいるために、強くなると決めた。
七歳で木剣を握り、十歳で本物の剣に持ち替え、十五歳で騎士団に入り、十九歳でエースになった。
全部、母のためだ。
全部、あの夜の涙の続きだ。
リリアーナの胸が痛んだ。
嬉しいのではない。誇らしいのでもない。もちろん、嬉しいし誇らしい。でも、それだけではない。
申し訳ないのだ。
あの子が剣を選んだのは、母であるリリアーナが頼りなかったからだ。自分のことを放置する母を、心配しなければならなかったからだ。もしリリアーナがもう少しまともな母親だったら——自分の食事を忘れないような、ちゃんとした大人だったら——ダリアはもっと自由に生きられたかもしれない。
剣ではなく、別の何かを選べたかもしれない。
でも——ダリアはきっと、そんなことは言わないだろう。
あの子は「お母様のため」とは言わない。「騎士の務めです」と言う。「護衛計画は安全管理の基本です」と言う。全部、自分の意志であるかのように振る舞う。
母に負い目を感じさせないために。
めんどくさい子だ。
本当に、めんどくさくて、不器用で、真っ直ぐで、頑固な子だ。
ダリアが木剣を磨き終えて、そっと机の引き出しにしまった。
本物の剣は壁に立てかけたまま、手の届く場所に。木剣は引き出しの中、誰にも見えない場所に。
使わないのに捨てない。磨き続ける。騎士団の誰にも見せない、小さな木剣を。
リリアーナは、音を立てずに扉を閉じた。
廊下を歩きながら、目元を指で拭った。
泣いてはいない。泣くほどのことではない。ただ、少しだけ目が熱くなっただけだ。
自分の部屋に戻る前に、もう一度だけ振り返った。
ダリアの部屋の灯りが消えた。やっと眠るらしい。
——ダリア。
声には出さない。心の中で、小さく呟く。
——ごめんね。ありがとう。おやすみなさい。
世界最強の魔導師は、自分の娘に「ごめんね」と「ありがとう」が同時に出てくる。
たぶんこれは、母親にしかわからない感情だろう。




