表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
万象の魔女、子育て奮闘中!~娘は全員マザコン、4人目は召喚獣付き~  作者: 浅沼まど
第2章【 長女が過保護すぎて、家から出られません! 】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/25

第10話『ごめんね、ありがとう、おやすみなさい』

 夜。花籠の館が静まり返った頃、リリアーナはまた廊下を歩いていた。

 昨夜と同じだ。全員が寝静まった後、娘たちの部屋をそっと見て回る。二十年間続けている習慣で、一日も欠かしたことがない。研究で徹夜した日でも、必ず一度は見に行く。

 ダリアに知られたら「お母様こそ早く寝てください」と怒られるだろう。だから気づかれないようにする。万象の魔法は使わない。ただ、足音を殺して歩くだけ。母親というのは、こういう時だけ妙に器用になる。


 カミリアの部屋を覗いた。昨夜と同じ、布団に潜り込んで丸くなっている。安心した。

 マギーの部屋を覗いた。メモ帳を握りしめて眠っている。壁の絵は増えていない。一日では増えないか。安心した。


 最後に、ダリアの部屋。

 扉を細く開ける。


 ダリアは起きていた。


 ベッドには入っていない。部屋の椅子に座って、膝の上に何かを載せている。

 剣ではなかった。木剣だった。

 古くて、小さくて、子供の手に合わせて作られた木剣。柄の部分がすり減って、色が褪せている。もう何年も実用には使えないだろう。

 リリアーナは、その木剣を知っている。


 ダリアが七歳の時、リリアーナが作ってあげた木剣だ。

 「ママを守る」と言って、毎日振っていた。庭で、朝から晩まで。素振りの数を数えて、百回できたらリリアーナに報告しに来た。「ママ、今日は百回できたよ!」と、汗だくの笑顔で。


 ダリアは木剣を丁寧に布で拭いていた。

 本物の剣を手入れする時と同じ手つきで。柄を磨き、刃の部分——刃はないが、刃に当たる部分を丁寧に拭き、傷を確かめている。

 本物の長剣は壁に立てかけてある。そちらはもう手入れが終わっている。先に本物を手入れして、その後で木剣を磨いている。


 リリアーナは、扉の隙間から見ていた。声はかけない。


 ダリアが剣を選んだ理由を、リリアーナは知っている。

 ダリアは言わない。一度も言ったことがない。「お母様を守りたいから騎士になりました」とは、絶対に言わない。

 でも、リリアーナは知っている。


 ダリアが八歳の夜のことを、覚えている。

 リリアーナが研究に没頭して、三日間、部屋から出なかった。食事も忘れて、娘たちのことも忘れて。我に返った時、ダリアが研究塔の前に座り込んでいた。目を真っ赤に腫らして。

 「ママがいなくなったと思った」と泣いた。

 あの時のダリアの顔を、リリアーナは一生忘れない。


 あの日から、ダリアは変わった。

 母を守ると決めた。母がいなくならないように。母が自分を忘れないように。母のそばにいるために、強くなると決めた。

 七歳で木剣を握り、十歳で本物の剣に持ち替え、十五歳で騎士団に入り、十九歳でエースになった。

 全部、母のためだ。

 全部、あの夜の涙の続きだ。


 リリアーナの胸が痛んだ。

 嬉しいのではない。誇らしいのでもない。もちろん、嬉しいし誇らしい。でも、それだけではない。

 申し訳ないのだ。

 あの子が剣を選んだのは、母であるリリアーナが頼りなかったからだ。自分のことを放置する母を、心配しなければならなかったからだ。もしリリアーナがもう少しまともな母親だったら——自分の食事を忘れないような、ちゃんとした大人だったら——ダリアはもっと自由に生きられたかもしれない。

 剣ではなく、別の何かを選べたかもしれない。


 でも——ダリアはきっと、そんなことは言わないだろう。

 あの子は「お母様のため」とは言わない。「騎士の務めです」と言う。「護衛計画は安全管理の基本です」と言う。全部、自分の意志であるかのように振る舞う。

 母に負い目を感じさせないために。


 めんどくさい子だ。

 本当に、めんどくさくて、不器用で、真っ直ぐで、頑固な子だ。


 ダリアが木剣を磨き終えて、そっと机の引き出しにしまった。

 本物の剣は壁に立てかけたまま、手の届く場所に。木剣は引き出しの中、誰にも見えない場所に。

 使わないのに捨てない。磨き続ける。騎士団の誰にも見せない、小さな木剣を。


 リリアーナは、音を立てずに扉を閉じた。


 廊下を歩きながら、目元を指で拭った。

 泣いてはいない。泣くほどのことではない。ただ、少しだけ目が熱くなっただけだ。


 自分の部屋に戻る前に、もう一度だけ振り返った。

 ダリアの部屋の灯りが消えた。やっと眠るらしい。


 ——ダリア。


 声には出さない。心の中で、小さく呟く。


 ——ごめんね。ありがとう。おやすみなさい。


 世界最強の魔導師は、自分の娘に「ごめんね」と「ありがとう」が同時に出てくる。

 たぶんこれは、母親にしかわからない感情だろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ