エピローグ1
◇◇◇◇
ファラムリッドには眠っているようにしか見えなかった。
思い起こせば初めて出会った時も少年は棺の中だった。今と同じように白い衣をまとい、色とりどりの花の中に横たわっていた。
あの時は死んでいるとばかり思っていたが実は生きていた。同じ状況が同じ結果を夢想させる。そんな奇跡が起きるはずなどないのに。
――――ルシオンは死んだ
内臓をむしり取られ、心臓を握りつぶされ、この上なく無残に殺された。メルカトキオルが拾い集めた内臓を元通りに戻してくれたが、それで生き返ることはない。
死んだのだ
いくら自分に言い聞かせても幸せそうに微笑んでいる顔を見ると、どうしても、不意に目をさますような気がしてしまう。
棺は子供部屋に置いてある。アインシャが遺体安置所に置いて帰るのは嫌だと大泣きしたためだ。ただのわがままとは思えない、全身全霊をかけた訴えだった。
ファラムリッドも暗くてで冷たい安置所に置いて帰るのには抵抗があったため、無理を頼んで自宅に運んでもらったのだった。
「寝かせてきたよ」
メルカトキオルの声は疲れていたが、優しかった。ルシオンの棺のそばで眠ってしまったアインシャをベッドに入れて来たところだ。
本当の兄妹のように仲がよかったふたり。寝る時は必ずルシオンに添い寝をしてもらっていた。
幼さゆえに生と死の意味すら理解できないアインシャは、ファラムリッド以上にルシオンの死を受け入れらずにいる。
いくら二度と目をさますことはないのだと言い聞かせても、「おねぼうさんだね」とほおを膨らませる。
神様のところに行ったのだとさとしてみても、「ここにいるよ」と返される。
なすすべがなかった。
葬儀がすんで遺体を海に還したならわかってくれるのだろうか。ファラムリッドには水葬を拒むアインシャの姿しか思い浮かばない。
ルシオンが死んでから一時もそばを離れないアインシャは、遺体と共に海に沈んでしまうのではないかと不安になるほどだ。
「夕食は僕が作るよ。君も少しベッドで休んでおいで。夢の中で僕を抱きしめるといい。きっとよく眠れるよ」
いつもなら「レッシーでも抱いていたほうがましだ」と軽口をたたくところだが、プレイボーイのたわ言も今はひび割れた心にしみる。
キャシュトニーナには泣くことしかできなかった。
なんでだよ? なんでだよ?? なんでだよ???
ひとつの言葉が頭の中で渦を巻いている。
なんだってルシオンが殺されねえとならなかったんだよ?!!
ルシオンがセイラガムとして多くの人間を殺したのは紛れもない事実だ。大人なら軍法会議にかけられ裁かれる。だが、ルシオンは子供だ。
条約により軍人になることが禁止されている年齢よりはるかに幼い。裁かれるべきは条約を破り、子供のルシオンに戦うことを強要した大人たちだ。
なんだってディックル兄妹がルシオンを殺さねえとならなかったんだよ?!!
テュテュリンがルシオンを好きだったのは間違いない。読心など使わなくてもわかる。
テュテュリンはベビーシッターとして、リッガルトはボディーガードとして、アインシャとルシオンの面倒をよく見ていた。
そんなふたりがあんな決意を胸にマリオッシュに来たなどとは想像もできなかった。
なんだってうちはリーディングを使わなかったんだ?
一瞬でもディックル兄妹の心をのぞいていたらよ、止められたろ!
リーディングを使わなかったことをこれほど後悔したことはない。他人の心を読むのは卑劣なことだとかせをはめていた自分を恨んだ。
なんだって世界はこんなにも残酷なんだ?
テュテュリンの告白でディックル兄妹も苦しんでいるいることを知った。未来永劫、消えることのない重い罪を背負ったふたりを憎む気にはなれない。
この身を焼くような怒りをどこにぶつけたらいいのだろう。この身を裂くような悲しみをどこにぶつけたらいいのだろう。
これが運命だって言うんなら、うちは―――神だって憎んでやる!
自室に閉じこもり泣き明かしていたキャシュトニーナは、ドアをノックされても返事はしなかった。
プリズナートの仲間が代わるがわるやって来てはドア越しに声をかけていった。特にシュバイク大尉は何度も何度もやって来る。
「力になりたいんだ。顔を見せてくれ」
心配をかけているのはわかっているが、今は何を言われても心に響かない。怒りと悲しみではちきれそうな心には他の感情が入りこむ余地はなかった。
「キャシュトニーナ、私だ。力を貸してくれないか。アインシャが行方不明なんだ」
憔悴しきった声がファラムリッドのものだと気付いて驚いた。いつも堂々として自信に満ちあふれた彼女の声とは思えなかった。
ファラムリッドもルシオンを失って打ちひしがれている。その上、アインシャまでいなくなったとなれば自分を保てないのだろう。放ってはおけない。
ファラムリッドの説明によると夕方5時頃、ルシオンの棺のそばで眠ってしまったアインシャをメルカトキオルがベッドに運んで寝かせた。
夕食の支度ができたので起こしに行ったのが6時頃。その時にはベッドは空だった。
胸騒ぎがして家中くまなく探したが見つからなかった。あわてたふたりは家の外を探しまわった。
ルシオンと一緒に行ったことのある場所も、思い出せる限り全部探したがどこにもいなかった。
忽然と姿を消したアインシャ。途方に暮れたファラムリッドは自分を責めた。自身の悲しみに手一杯で幼い娘の心のケアを怠ったからだと。もっと注意を払っておくべきだったと。
アインシャも自分と同じくらい、あるいはそれ以上に傷ついていたのに。幼い娘の心を守るための努力をしなかった。
「ミュウディアンにならアインシャの居場所がわかるんじゃないかな? 海で行方不明になった部下を見つけてもらったことがあると言っていたよね」
メルカトキオルの言葉を聞いたファラムリッドは家を飛び出した。
そうだ。彼女にならアインシャを見つけることができるかもしれない!
キャシュトニーナが自室を出たのは3日ぶりだった。
リビングに集まって何やら話し込んでいたプリズナートのメンバーは、キャシュトニーナの姿を見て一様に驚いた表情をした。
「心配かけてごめんなさい」
目は腫れているが声はしっかりしていた。
「ロイエリング大尉の娘さんが行方不明なんです。探しに行ってきます」
プリズナートたちは顔を見合わせ、相手の顔に自分と同じ安堵を見た。何はともあれ、泣くこと以外のことをしようとしているレイン少尉は大歓迎だ。
「我々も手伝おう」
立ち上がったシュバイク大尉に続いて全員が席を立った。
アインシャの姿が最後に目撃されてからすでに3時間以上が経過している。
もし、その間ずっと移動し続けていると仮定するなら、捜索範囲を広げなければならない。人手は多い方がいい。
ロイエリング家に着いたキャシュトニーナは、感知を使ってアインシャの気配を探した。
微かな気配も見逃さないよう各部屋をまわりながら慎重に。眠っていたり弱っていたりする人間の気配は微弱だからだ。
家の中にアインシャの気配はない。やはり外に出て行ってしまったのだ。
警察の協力も得て広範囲の捜索が行われた。それでもアインシャは見つからなかった。目撃情報のひとつもなく、誘拐か海に落ちたかのどちらかだろうということになった。
一体どこを探せばいいのだろう。こうなるとキャシュトニーナのパーシブは役にたたない。
「誰か大事な人を忘れてやいないか?」
途方に暮れたキャシュトニーナの視界に割り込んできたのはメッセル中尉だった。
「頼りになる男がここにいるだろ」
キャシュトニーナの顔がぱっと明るくなり、すぐに不快そうにゆがむ。
「ほら、ちゃんと言いなよ」
メッセル中尉はいたずらをしかける子供のような顔でキャシュトニーナをつつく。
「アインシャちゃんを探すのを手伝ってください。お願いします」
背に腹は代えられないキャシュトニーナはできる限り真剣に頼んだ。
「よしよし!」
得意になったメッセル中尉に頭を軽くたたかれたが、以前ほど嫌な気分ではない。
子供部屋のベッドに触れたメッセル中尉には、泣きながら目をさましたアインシャの姿が見えていた。残留思念によるものだ。幼女の動きを追って1階に下り、階段下の観葉植物に触れて首をひねる。
「どうしたんですか?」
キャシュトニーナの質問には答えず階段を駆け上がって、今度は子供部屋のドアに触れる。
「アインシャはここにいる」
後を付いて来たキャシュトニーナにはにわかには信じられない。
「そんなはずありません! ここは何度も探しました」
子供部屋は泥棒にでも入られたようなありさまだ。クローゼットの扉は開け放たれて衣服が散乱し、ベッドの布団ははがされている。
「でも、棺の中は調べなかった。だろ?」
揺りいすに置かれた大きなテディベアに触れたメッセル中尉は、棺を見つめて顔を強張らせている。
ふたりは顔を見合わせ、棺の蓋に手をかけた。
キャシュトニーナの口から悲鳴とも溜息ともつかない声がもれた。
花の中に横たえられたルシオンの遺体。遺体に寄り添うアインシャ。仲よく眠っているようにしか見えないふたりは美しかった。
あんな酷い最期を迎えながら微笑んでいるルシオンと、安堵しきった表情を浮かべているアインシャは誰にも引き離すことなどできないのだ。
だが、見とれている場合ではない。アインシャは満足だとしても唇は紫色をしている。
棺は蓋が閉まっていた。長時間中にいたとなると危険な状態だ。遺体を冷やしておくため棺の中にはドライアイスが入れてあるのだ。二酸化炭素中毒の疑いがある。
アインシャを乗せて軍病院へと急ぐモータービークルを、満天の星々が見守っていた。




