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【テュテュリン】
ドアベルを鳴らすとメルカトキオルさんがでてくれた。本当はわたしたちの顔すら見たくないだろうに。
「ルシオンくんに、会わせてください」
この言葉を口にするのは何度目だろう。わたしたちはひんぱんにロイエリング家を訪れている。
「すまない」
メルカトキオルさんはそう言って静かにドアを閉めた。
いつも通りなんだから落ち込んだりしない!
自分に言い聞かせ、ドアに向かって告げる。
「また来ます」
迷惑だとわかっていてもわたしにはこうするしかない。
「帰ろう」
のろのろと歩きはじめた兄さんに声をかける。
「またダメだったね。次は入れてもらえるかな」
反応はないと知りながら。
ロイエリング家からの帰り道、高台から見下ろす景色は息を飲むほど美しかった。
かたむいた太陽があたりを赤く染め、青から赤へのグラデーションを空と海とに作りだしている。
「きれいだね。少し休んでいこうか」
兄さんを転がっている岩に腰かけさせると、雄大な景色には目もくれずうつむいてしまう。そんな兄さんの姿にわたしの心も沈んでいく。
ああ、もう! わたしまで落ち込んでどうするの!!
「兄さん、顔を上げて!」
心をおおいつくそうとする闇を払いのけるための明るい声だった。兄さんのあごに手を当て強引に顔を上げさせる。
「見て! ちょっとすごいから」
「・・・・・・ああ・・・・・・本当だ」
つぶやいた兄さんの顔も夕日が赤く染めている。
「兄さん・・・・・・」
わたしは兄さんのひざに顔をうずめた。大きな手が頭をなでてくれるのを感じながら、何度目かの決意を固くする。
絶対に兄さんの心を取り戻すんだ!
裁きを受け罰を与えられたなら、そこからやり直せると思っていた。そうすることで兄さんは立ち直るはずだった。ところが。わたしたちが裁かれることはなかった。
ルシオンくんがセイラガムだったため、マリオッシュにいたという事実そのものがなかったことにされてしまったからだ。
リトギルカ人のルシオンくんは本来アビュースタ圏に入ることは許されない。ザックウィックなどもってのほかだ。
しかも、アビュースタ人のだれもが死神のように恐れるセイラガムをかくまっていたなど、あってはならない。
マリオッシュにルシオンという少年はいなかった。いないものを殺すことはできない。わたしたちはだれも殺してなどいない。罪のないものを裁くことはできない。
かくして、わたしたちが殺人者になることはなかった。
だからといって、罪が消えたわけじゃない。敵の英雄を殺したのだとしても、正しいことをしたのだとしても、ルシオンくん本人が望んだことだとしても、、
たった11歳の子供を殺したことに変わりはない。
兄さんはすっかり心を閉ざしてしまった。精気のない目をして、物事に反応しなくなっていた。食事もろくにとれず、夜は悪夢にうなされ、日に日に衰弱していった。
罪の意識にさいなまれているんだ。
兄さんはいつも偉そうで強がってるけど、本当は感受性が強く傷つきやすいひとだ。
あの時は正しいことをしているという確信があった。自分たちがやらなくちゃいけないという信念があった。
でも。ルシオンくんの苦悩を知り優しさにふれたことで、自分の正しさが揺らいでしまった。
わたしにはどうすればこの闇から兄さんを救いだせるのかわからなかった。このままここから逃げても救いはないことだけは確かだ。
とにかく、まずは自分がしたことを正面から受け止めるしかない。そのためには、どうしてもルシオンこんの遺体と対面する必要があった。すべてはそこからだ。
わたしたちはまだ、マリオッシュを離れるわけにはいかない。
期待半分、あきらめ半分でこの道を歩くのは何度目だろう。追い返されるのまで含めて日課になってる気がする。
でも、このときは違った。
「いいところに来たね。丁度ファラムは出かけてるし、アインシャは眠ってる。本当にいいところに来たね」
メルカトキオルさんの言葉はずっとこのチャンスを待ってたみたいに聞こえる。わたしたちのことを気にかけていてくれたの?
「さあ、中に入って」
前みたいに、軽いジョークで笑顔にしてくれるなんてことはない。当然だよね。
とてもそんな気分にはなれないだろうし、なによりも、この家のしあわせを壊したのはわたしたちなんだから。
それでもチャンスをくれるんだ。
涙がにじんできた。わたし、自分で思ってる以上に気を張っていたんだね。
ルシオンくんの棺は2階の子供部屋にあった。ストーブもなにもない部屋は寒い。
震えている兄さんを連れて棺の脇に座る。メルカトキオルさんが棺のふたに手をかけるとカチカチ音がした。兄さんの歯が鳴っているんだ。
ふたが外され、ドライアイスの煙があふれだす。真っ白だった棺の中が、そこにあるものが見えて来る。
「うおおおおおおおおお!!!」
地獄の底をのぞいたような声が響いた。狂ったように叫ぶ兄さんの目はルシオンくんの顔を見つめている。白くて、硬くて、冷たい、陶器のような顔。死者の顔。。
わたしは、ただ、涙を流すだけ。
涙なんてとっくに枯れたと思っていたのに、あふれる涙は止まらない。
これは一体どういう状況?
なにもかも壊れてしまったんだ。あのときまで確かにそこにあったもの全部、消えてしまったんだ。
壊したのは他のだれでもない。わたしたち自身。後悔する資格すらない。
どのくらいそうしていたのかわからない。気が付くと、かたわらにアインシャちゃんが立っていた。
リビングでお昼寝していたんじゃなかったの? 兄さんの叫び声で起こしちゃったのかな。
「まだある」
メルカトキオルさんが口を開くより先にアインシャちゃんが言った。なんのこと?
「ひとりじゃない」
???
“まだある”“ひとりじゃない”
アインシャちゃんの言葉が頭の中をぐるぐるまわる。
「わたしにはなんにもない。ひとりぼっちだよ」
兄さんは心がここにない。いないのと一緒なんだから。
「ガルーのこころはしんでないって」
「えっ!? それってどいうこと?」
わたしの疑問には答えないままアインシャちゃんは部屋からでて行ってしまった。メルカトキオルさんも後を追って行ってしまった。
「兄さん・・・・・・」
わたしはかすれた声で叫び続けている兄さんの目をのぞきこんだ。パールグレイの瞳にはルシオンくんの死に顔がうつっている。
なにもかも拒絶する叫び声をあげながら、それでも目をそらせないんだ。
これは狂人の目なの?
違う!
自分がしたことを目に焼き付けようとしているんだ!!
兄さんの心は死んでなんかない。ちゃんとここにある。
ああ、そうか。そういうことか!
わたしは兄さんの頭を抱きしめた。口をふさがれた兄さんの声が止まる。不意に静かになると広い世界にたったふたりっきりでいるような気がした。
でも―――ひとりじゃない。
「もういいよ。わたしなら大丈夫。だから、元の兄さんに戻って」




