6-1
【テュテュリン】
鉄格子の中でわたしは兄さんの背中を抱いている。
ガタガタ震えている兄さんは、寒いのか、それとも自分のしたことが恐ろしくてたまらないのか。時折、自分の右手をながめては悲鳴をあげている。
あのときと同じように。
――――あのとき
音もなく降り積もる雪に埋もれて消えてしまいたいと思った。真っ白な雪がなにもかもおおいかくして、なかったことにしてくれるような気がしてた。
このまま兄さんと・・・・・・
そんな都合のいいことを夢想していたわたしの目をさましたのは、兄さんの咆哮だった。たった今、自分のしたことに気がついたみたいなけたたましい声だった。
叫び続ける兄さんをルシオンくんの上から下ろして、右手に握りこんだものを捨てさせようとした。
右手は凍りついたみたいに固くなっていて、指を一本ずつ引きはがさなくちゃならなかった。
なんとか手を開かせると、原型をとどめていないルシオンくんの心臓が雪の上に落ちた。さらに大きな悲鳴をあげる兄さんは心臓から目をそらせずにいる。
わたしはとっさに心臓を拾って遠くへ、兄さんから見えないところに投げた。
「兄さん、落ち着いて。大丈夫だから。もういいんだよ。だから、落ち着いて」
耳元で根気強く話しかけてやっと叫ぶのやめた兄さん。ぼう然とした様子であたりを見まわしていた。
まずい!
わたしはゆがんでいく兄さんの顔を抱きかかえた。自分がしたことを見なくてすむように。
「終わったの。なにもかも全部、終わったんだよ」
ゆっくりと、はっきりとした声でささやきかけた。言葉は兄さんの中にしみこんで身体の力が抜けていくのがわかった。
その直後だった。急に寒さに気付いたみたいに震えだしたのは。
それからずっと、兄さんは生まれたてのカテク(乳牛)みたいに震えてる。
計画では、ことが終わったら隠しておいたモーターボートに乗ってロイック島に行き、それから適当な船を見つけて密航する予定だった。
今の障壁のないマリオッシュは特殊能力者でも自由に出入りできる。
わたしは悩んだ。
このまま逃げていいの? 本当にいいの?
わたしの腕の中で震えている兄さんは、逃げて立ち直ることができるのだろうか。
もし、このまま闇にとらわれたままだったら・・・・・・
逃げずに自分がしたことと向き合って決着をつけた方がいいんじゃないか。人殺しの罪を背負うことになってでも。
わたしにその覚悟があるの?
悩んでいられる時間は長くなかった。雪の中にたたずむわたしたちは凍えそうだった。いっそこのまま死んでしまいたい・・・・・・
気が付いたときには知らないおばさんの顔が目の前にあった。雪はやんでいる。
「よかった。生きちょったね」
日に焼けたひとのよさそうな顔。
「何があったと?」
自分たちがしたことを言葉になんてできない。でも、もう、迷ってはいない。
わたしの心は決まっていた。
まず、家においてきたアインシャちゃんの保護を頼んでから、ロイエリング夫妻を呼んでもらった。
おばさんは凍えているわたしたちに小屋の中に入るようにすすめてくれたけど、そんなこと許されない。
薄日が差す空を見上げながら、どんな罰だろうと兄さんと一緒に受け止めようと強く誓った。でなければ、兄さんは一生悪夢にうなされ続けることになる。
あまりの寒さにまた意識が遠のきそうになったころ、雪を踏みしだく音が近づいて来た。きっとファラムリッドさんたちだ。
広場の入り口で立ち止まったファラムリッドさんは、雪の中のわたしたちを見て戸惑っているみたいだった。
「何があったんだ・・・・・・」
雪にうもれたルシオンくんを、ルシオンくんの死体を見つけたとき、、このひとはどうするのだろう。見つけてほしくない。でも、見つけてほしい。
わたしたちの前にある雪のふくらみに気が付いて、顔色を変えたファラムリッドさん。ふくらみはひとの形をしている。
わたしはただ、見ていた。
顔がある部分の雪をはらいのけていくファラムリッドさんには、自分の手元しか見えていないようだった。ためらいがちに少しずつ雪をかきわける手はかすかに震えていた。
手が止まった。
ああ! ついに見つけてしまったんだ!
ファラムリッドさんの目に映るルシオンくんはやさしくほほえんでいるはずだ。開いたままの青緑の瞳には雪が溶けずに残っているかもしれない。
ひと目で死んでいるとわかったはずだ。
「・・・・・・ルシオン」
それでもファラムリッドさんは名前を呼び続ける。
「ルシオン! ルシオン!! ルシオン!!!」
必死の声がわたしの胸を突き刺す。
「これは何の冗談だ。おまえが死ぬはずはない!! 起きろ!!!」
ファラムリッドさんはルシオンくんの顔をたたき続けた。死ぬことは許さないと責めるように。
広場の様子を確かめてから近づいて来たメルカトキオルさんが、奥さんの肩に手を置いた。息を止めたファラムリッドさんが振り返る。
「ルシオンは、、もう起きない」
パートナーをいたわるやさしい声にも、ファラムリッドさんは耳を貸さない。
「そんなはずはない! この子はセイラガムなんだ。簡単に死んだりするものか!!」
メルカトキオルさんは手の中のものを見せる。
「この状態で生きていられるはずがないんだ」
もうしわけなさそうに、それでもはっきりと現実を突きつける。
「ルシオンの心臓だ」
つぶれた心臓を見つめるファラムリッドさんの顔が恐怖に引きつった。フェンリル隊の隊長としていつも最前線で戦っている女神ヨルマのこんな姿、だれが想像できる?
「・・・・・・うそだ」
どうしても信じられない、いや、信じたくないんだ。ファラムリッドさんはルシオンくんの死を受け入れらずにいた。
「・・・・・・そんなことがあるものか」
ぼう然としているファラムリッドさんの前で、メルカトキオルさんはルシオンくんの身体に積もった雪を払いのけていった。
あらわれたのは猛獣に食い散らされたみたいな、紛れもない死体だ。
ファラムリッドさんは引きつった悲鳴をあげたきり動かなくなった。
「ルシオンは死んだんだ」
長い、長い、沈黙があった。ファラムリッドさんが現実を受けいれるのに必要な時間だった。
低いうめき声は叫び声に変わり、雪をかぶった木々を揺さぶった。
「ああああああああああ!」
泣き叫びながらルシオンくんの遺体にすがりつくファラムリッドさん。なすすべなく涙を流すメルカトキオルさん。
わたしに目をそらすことは許されない。
自分たちがしたことの結末を、この目に焼き付けておくんだ。
どれだけそうしていたかわからない。悲痛な声は今でもわたしの耳に残っている。
「誰だ・・・・・・ 誰がルシオンを殺した」
低く押し殺した声は叫びすぎたせいで枯れていた。差し出されたメルカトキオルさんの手を握らずに立ち上がったファラムリッドさんが、わたちたちを見た。
顔は青ざめているけれど、しっかりとした足取りで近づいて来る。
いよいよだ
心臓が破裂しそう
こわいこわいこわいこわい!!
でも、逃げちゃダメだ
わたしたちの正面に立ったファラムリッドさん。となりのメルカトキオルさんは少し後ろに立っている。なにがあってもすぐにパートナーを支えられるように。
「ルシオンを殺したのは、誰だ?」
ひと言だけ投げかけて、ファラムリッドさんはわたしの返事を待っている。凍えた口をなんとか開くと歯がカチカチ鳴った。
「わ、わたし、たちが、殺し、ました。ル、ルシオン、くんを、殺し、ました」
震える口びるからでたのは途切れ途切れの言葉だった。
「今なんと言った?」
ファラムリッドさんは見たことのない顔をしていた。
「わたし、たちが、殺し、ました」
「うおおおおおおお!!」
雄叫びをあげたファラムリッドさんにえり首をつかまれつるし上げられたけど、わたしは抵抗しなかった。
怒り狂うファラムリッドさんの顔を見つめたまま、平手打ちをくらった。
何度も、何度も、何度も。
きな臭い臭いがして鼻血が出ているのだとわかった。
「なぜだ・・・・・・ ルシオンとは友達じゃなかったのか」
手を止めたファラムリッドさんは泣いていた。
「・・・・・・裏切ったのか」
言いわけするつもりはないし、あやまる気もなかった。そんなことをしたら、わたしたちのしたことがまちがっていたということになる。
にらみ返すわたしに怒りをつのらせたファラムリッドさんがこぶしを振り上げた。
わたしは逃げない。兄さんを守るんだ!
こぶしは飛んでこなかった。メルカトキオルさんがファラムリッドさんの手首をつかんでいた。
泣きじゃくるファラムリッドさんは、旦那さんの胸に抱かれて大声で泣いた。子供みたいに。
メルカトキオルさんの涙も止まらない。
ああ。どうしてこんなことになっているのだろう。
ルシオンくんは死んだ。
ファラムリッドさんは気も狂わんばかりに嘆き悲しんでいる。メルカトキオルさんも同じだ。
アインシャちゃんは? このことを知ったらどんなに悲しむだろう。想像しただけで胸が痛い。
そしてわたしたちは、人殺しになった。11歳の子供を無残に殺した。悪魔だって言われてもしかたない。
それでも、後悔だけはしちゃダメだ。どんな罰を受けようと、わたしたちがしたことはまちがいじゃなかったと確信してなくちゃならない。




