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【テュテュリン】
見届けよう。
わたしにできることは、もう、それしかない。
目の前で起きていることは現実とは思えなかった。ひどく出来の悪いスプラッター映画を見てるみたいだ。
飢えた獣になった兄さんは返り血で真っ赤に染まりながら、ルシオンんくんの腹わたをむさぼっている。
兄さんがむしり取った臓物を投げ捨てる。
雪の上に真っ赤な花が咲く。
きれいだ
きっと、わたしもおかしくなっているんだね。
こんなむごたらしい光景を目の当たりにしながら、なんにも感じないんだから。こわいとも悲しいとも思わない。
そういえば、子供のころは悪魔とか殺人鬼とかがでてくる映画がこわくてたまらなかった。
こわいくせに見たくて、見たいけどこわくて、兄さんの背中にしがみついて盗み見るようにしていたんだっけ。
「わるいヤツはみんなやっつけてやる!」
そう言ってくれる兄さんも震えていて、余計にこわかったのを覚えている。その兄さんが今、悪魔の役をやっている。
これはなんの冗談?
わたしはいったいなにを見せられているの?
このいやな臭いはなに?
・・・・・・
これは映画なんかじゃない!! 現実なんだ!
鼻をつく血の臭いがわたしを現実と向き合わせた。
不能のせいで、ルシオンくんは特殊能力を使えない。ルシオンくんをただの無力な子供にしたのはわたしだ。
そうしておいて、あとのことは全部兄さんに押し付けた。
抵抗できない子供の命を奪っていくのはどんな気持ち?
なにバカなことを考えてるの!
あの兄さんが平気なわけないでしょ!!
兄さんは正気を失いかけているのかもしれない。
傍観者ではいられなくなったわたしは恐るおそるふたりに近づいた。むせかえるほどの血の臭いに吐き気がこみあげてくる。
見ないようにしていたルシオンくんの身体は、とても正視できなるような状態じゃなかった。肉食獣に食い散らされた小鹿のようなルシオンくんのお腹の中には、なにもなかった。
中につまっていたはずのものは、ほら、雪に咲く赤い花になっている。
胸はぐちゃぐちゃに折られたあばら骨が中に落ち込んでいる。あばら骨の下にあったはずのものも花になってしまったんだね。
残っているのは、兄さんの右手の中にある心臓ただひとつ。
息を、していない・・・・・・
肺がないのに呼吸できるはずがない。
ルシオンくんが死んでしまう!
ほんとうに死んでしまう!!
刃物で貫かれたような胸の痛みにめまいがした。
ルシオンくんに馬乗りになった兄さんは動かない。違う。動けないんだ。
兄さんは自分がなにをしているのかを確かめるように、ずっとルシオンくんの顔を見ていた。
死んでいくルシオンくんを見下ろして、どう思っているのだろう。
”いい気味だ”かもしれないし、”かわいそう”かもしれない。たぶん、両方だ。
そして、いよいよ最期というときにルシオンくんが見せた表情は、そんな兄さんに向けられるようなものじゃなかった。
どうして?
どうしてそんな顔ができるの?
青味がかった緑色の瞳は悲しそうではあるけれど、その悲しみはやさしさに包まれたものだった。
そう、あれはあわれみだ。
今いちばんかわいそうなのは、無残に殺されようとしているルシオンくんでしょう?
「何だよ、その顔は! 俺をバカにしてるのか? 悔しそうな顔しろよ! 俺を恨めよ!!」
兄さんは叫んだ。助けを求めるみたいに。
そのときだ。もう指一本動かせないと思えたルシオンくんの右手が動いた。
最後の力を振りしぼるように、震えながら上がっていくひとまわり小さな手。
なにがしたいの?
自分に向かって来る手を見て、兄さんは顔を引きつらせている。
血まみれの手はやっとのことで兄さんの顔に、、ふれた。
そして、涙をぬぐう仕草をした。
『泣かないで・・・・・・』
頭の中で聞こえたか細い声。それはルシオンくんのものだった。
「何言ってるんだ!! 俺は泣いてなんかないぞ!」
吠えた兄さんの目からどっとあふれる涙。涙をせき止めていたものが壊れてしまったんだ。
兄さんはずっと泣いていた。涙を見せずに泣いていた。ルシオンくんの命を奪いながら泣いていたんだ。
わたしはそんなことに気付きもせずに、ひどいことをやらせていたんだ。
「もうやめて!!」
とっさに兄さんの身体にしがみつく。返り血でずぶぬれの身体はあわれなほどに震えていた。
『おねがい・・・・・・』
また、聞こえた。今度は命乞い?
ルシオンくんの顔を見おろしたわたしは息を飲んだ。
これが無残に死んでいくひとの顔なの?
友達だと思っていたひとにだまされて突然の死をむかえようとしているのに、、その顔はひどく穏やかだった。
だれも恨んでなんかいない。死を恐れてもいない。まるで、、こうなることを望んでいたみたいな・・・・・・
命乞いしてるんじゃない。ちゃんと殺してと言っているんだ。
ああ!!
ルシオンくん、あなたはどんな人生を歩んできたの?
わたしたちが知っているのはルシオンくんのほんの一面でしかないんだ。それなのに全部知っているような気でいた。
セイラガムとして生きてきたルシオンくんは、たくさんのひとの死を見つめてきたのと同時に、自分の死も見つめていたんだね。だから、今、そんなにも穏やかなんだ。
わたしたちには責任がある。
ルシオンくんの命をきちんと終わらせる責任が。
ごくりとつばを飲み込んで、右手を伸ばす。ひとの身体の中に手を入れるなんて考えただけでめまいがしてくる。それでもやるしかないんだ。
ルシオンくんの命全部を兄さんに背負わせるわけにはいかない。
まともには見れなくて、顔をそむけながらなんとか兄さんの手に自分の手を重ねた。この兄さんの手の中にはルシオンくんの心臓がある。
ほんとうに最後。この手に力を入れたらルシオンくんは死んでしまう。
こわい
ひとの命を奪うことはこんなにも恐ろしいことだったんだ。
それはわたしがまともだということ。
じゃあ、ルシオンくんは?
セイラガムとして、たぶん数十万、数百万ものひとを殺しているはずだ。
『ルシオンくんは、まともじゃないの?』
『そうだよ。だから、おねがい』
そんな風にいいながら、なぜ、自分を終わらせようとするの?
さっきからテレパシーを使っているけど、本当はとっくにイナビリティの効果は切れていたんじゃないの? 兄さんを止めることもできたんじゃないの?
それがあなたの望みなら、、わたしが叶えてあげる。
わたしは動けずにいる兄さんの手を握りしめた。ありったけの力をこめて一気に握りつぶすつもりで。
両目を大きく見開いたルシオンくん。苦しめたくはないのにわたしの力じゃ中途半端だ。
「兄さん!」
呼ばれた兄さんは反射運動のように右手にグッと力を入れた。手の中のものがはじけとぶ。
『アインシャ・・・・・・ ごめんね・・・・・・』
最後に聞こえたルシオンくんの言葉。そうだよね。心残りがないはずはない。だれだって色んな思いをかかえて生きているんだもの。
それはルシオンくんだって、セイラガムだって同じなんだ。
「うあああ――――!!」
狂ったように叫んだ兄さんは重ねたわたしの手ごと右手を引き抜いた。その手の中には握りつぶした心臓がある。これでほんとうに、ルシオンくんの身体の中は空っぽだ。
手の平に伝わるかすかな脈動も、、消えた・・・・・・
ああ、静かだ
世界中から音が消えたみたいだ
いつの間にか雪が降り始めていた
音のない世界に、ただ、雪が降る――――
青緑の瞳にはふたりの殺人者の顔が映っていた。でも、ルシオンくんが見ているのはわたしたちじゃない。
なんとなく、わたしとルシオンくんとで作った、あの雪だるまに大はしゃぎしているアインシャちゃんを見ているのだと思った。
そんなやさしい表情をしていたから。
「すっごい!」と叫びながら、雪だるまのまわりをはねまわっているアインシャちゃん。
その様子を見て「やったね」とハイタッチするわたしとルシオンくん。兄さんは「何がそんなのうれしいんだか」と興味のなさそうなふりをする。
わたしたちが計画を取りやめにしていたなら、そんな未来がまちがいなくやって来ていた。ほんのちょっと先の幸せな未来。ルシオンくんが望んでいた未来。
でも、もう、そんな未来は永遠にやってはこない。
なにかとんでもないまちがいを犯したような気がして、急にこわくてたまらなくなった。
「ううううう・・・・・・」
絞め殺されるみたいな声は自分のものだった。全身をねじってしぼられるような痛みは、これまでに味わったことのないものだ。魂ごと身体が砕け散りそう!
身近なひとの死ははじめてじゃない。これまで何人もの死に立ち会って来たけれど、こんな痛みは知らない。
そうか
これが自分の手でひとの命を奪うということなんだ。ルシオンくんが何度も何度も体験した地獄なんだ。
わたしは声をあげて泣いた。
やさしい雪がわたしたちのしたことを隠していく
なにもかも、真っ白になればいい・・・・・・




