5-3
【リッガルト】
「アインシャちゃんに警戒されてる。今日はやめよう」
テュテュリンが耳元でささやいた。俺はこみ上げる怒りを抑えきれずにらみつける。
「今さら何言ってるんだ! 怖くなったのか」
大声をこらえたせいでやたら低い声になった。リビングにはルシオンとアインシャもいる。聞かれたらまずい。
いたる所に積まれた段ボール箱の陰に隠れたルシオンを、アインシャが探している。
ロイエリング夫妻の転属先が決まって引っ越しの準備が始まっていた。散らかった家の中は子供には格好の遊び場らしい。
子供たちはかくれんぼに夢中なのを確認して話を続ける。
「引っ越しまで何日もないだ。今日を逃したらもうチャンスはないかもしれないんだぞ。おまえにやる気がないのなら俺はひとりでもやる」
テュテュリンの模造品がなければ俺は死ぬ。確実に死ぬ。それでも、かわいい妹に無理強いはできない。
「そうだよね。やっぱりそうなるよね」
やっぱり? 俺を試したのか。
「ごめんね。アインシャちゃんに感づかれているんじゃないかって、ちょっと心配になっただけだから」
テュテュリンのヤツもいよいよとなって不安なんだな。
「わたしはどんなことがあっても兄さんの味方だよ」
なんだよ。急に。
「おお」
そんなことわかっているさ。
「だから、これだけは知っておいて」
テュテュリンはまっすぐに見つめ返してきた。
本当にどうしたんだ?
「わたしね、ルシオンくんが好きだったんだ。ずっとずっと、好きだったんだ・・・・・・」
パールグレイの瞳はうるんでいた。
なんとなくそんな気はしていた。ユーシスを見る時の目がシャルロットと同じだったから。だが、ユーシスという人間はいないとわかって、もう終わったのだと思っていた。
おまえも同じだったんだな。シャルロットと同じ。ユーシスがルシオンでも好きだったんだな。
シャルロットは命をかけてルシオンを守った。テュテュリンは命をかけて殺そうとしている。
――――俺のために。
何か言おうとしたが言葉が見つからない。俺には妹の覚悟に口をはさむ資格なんかないんだ。
「みいつけた!」
大きな声に目をやると、アインシャがルシオンに抱き付いていた。急なことによろめいたルシオンが積まれた段ボール箱によりかかる。上の箱が落ちそうだ。
「まずい!」
あわてて箱に飛び付き落下をまぬかれた。箱の側面にはユクスキュルと書いてある。中身はファラムリッドが大事にしている高級食器だ。
あんな皿1枚が5000シリンもするとはバカげているが、とにかく無事でよかった。ファラムリッドの顔を思い浮かべて胸をなでおろす。
「ごめんなさい」×2
事態を理解した子供たちは小さくなっている。
「外で遊ぶっていうのはどう?」
テュテュリンの顔に涙の跡はなかった。笑顔で窓を指差している。
「わあ!!」
目を輝かせた子供たちが窓にかけ寄る。薄く曇った窓の向こう側は別世界だった。白くて軽くてやわらかそうなものが舞っている。天使の羽みたいじゃないか。
「いつの間に・・・・・・」
そう言えば今日はずいぶん冷えている。作戦のことばかり考えていてまわりが見えていなかったらしい。
温暖なフォート・マリオッシュで雪が降ることはない。だが、ここはマリオッシュじゃない。ビアンビルがあった場所だ。
生まれてはじめて見る雪に興奮しきりの子供たちを家に閉じ込めておくのは、まずムリだ。
防寒着なんかないから重ねられるだけ重ね着して外に飛び出した子供たち。何がおかしいのか、ずっと笑いながら空を見上げてくるくるまわっている。
「つめたあい!」
アインシャが顔に落ちた雪に首を引っ込めた。手の平に受けた雪がとけて水になったのを見て騒ぎ出す。
「きえちゃった!!」
「雪は水でできているんだよ」
自分だってはじめて雪を見たくせにルシオンは偉そうだ。
「積もりそうだね。神様の贈り物なのかな」
降りしきる雪の中で大はしゃぎの子供たちをながめながら、テュテュリンがつぶやいた。
「知ってた? ルシオンくんの夢は雪を見ることなんだって」
こんな時になんの話だ?
「いや。だが、確かにこれは天の贈り物だな」
作戦の後押しをしてくれそうだ。雪まみれの子供たちは空腹も忘れて跳ねまわっている。チビのアインシャは食事が終わったらぐっすりだろう。邪魔される心配がなくなる。
いつもより少しばかり豪華な昼食をすませると、テュテュリンが昨日のうちに作っておいたケーキを持ってきた。ガトーショコラとかいう思いっきり甘そうなヤツだ。
「おやつ? たべてもいいの?」
アインシャが不思議がっている。いつもなら食後に甘いものは食べさせない。おやつの時だけと、ファラムリッドに強く言いつけられているのだ。
「これはデザートだよ。たくさんあるから半分だけ食べて残りはおやつに取っておこうね」
テュテュリンの説明にアインシャの違和感は解消されたようだ。
夕べ遅くまでかかってケーキを作っていた。
「そんなもの作ってどうするんだ?」
きいてみたが返事はなかった。
おやつの時間にはもう、俺たちはここにはいない。ルシオンはこの世にいない。
作戦がうまくいけばの話だが、これがルシオンにとっての最後の食事ってことになる。だからルシオンに好物を食べさせてやりたかったのか。
わたしね、ルシオンくんが好きだったんだ。ずっとずっと、好きだったんだ・・・・・・
耳の奥でテュテュリンの声が聞こえた。
妹の横顔を見る。
「おいしい?」
というの問いかけに
「おいしい!!」×2
と返す子供たち。
口のまわりにチョコを付けた顔を見て笑っているテュテュリン。心の中では泣いているのだろうか。
それでもやるのか?
妹の恋心を踏みにじってもやらなくてはならないのか?
ああ、そうだ。
力強い返答があった。
これは天命だ。他の誰でもない俺が、俺たちがやらなければならないことなんだ。この定めから逃げることはできない。俺も、テュテュリンも。
心づくしの昼食に満足した子供たちは昼寝のため2階へ上がった。ほどなくしてルシオンだけが降りてきた。持って来た毛布をかぶってソファに座り本を開く。
間に合わせのストーブひとつしかないリビングは温かいとは言えない。
ルシオンが読んでいるのは「海流の彼方に」という本だ。嵐で沈没した船に乗っていた一家がバラバラになってしまい、長い時間をかけて再会を果たすという物語だ。
ルシオンに読ませる本はいつもファラムリッドが買ってくる。愛とか友情とかをテーマにしたものばかりだ。
幼い頃から兵器として育てられたルシオンに、人間らしい感情を取り戻させるための工夫なのだろう。
勉強は大学で教えられるくらいだが一般常識はあやしいルシオンは、色んなところがアンバランスだ。ファラムリッドはそのアンバランスを修正しようとしていた。
教育もひとつの方法だ。だが、道のりは遠い。遠すぎる。ルシオンが自分の持つ力が使ってはいけないものだと気付くまでに、どれだけの悲劇が生まれるのか。
待ってはいられない。
「積もってきたね」
テュテュリンがつぶやいた。窓の外をうっとりとながめている。音もなく降り続ける雪が世界を白一色に塗りかえようとしていた。
心の中にも雪が降っているようだ・・・・・・
妹の横顔を見てそう思った。
「ねえ、ルシオンくん。雪だるまを作らない? アインシャちゃんが寝てる間に作ってびっくりさせようよ」
テュテュリンの提案にルシオンは読みかけの本を閉じた。
ルシオンだけを外に誘い出す。雪が降ったおかげで作戦の第一段階はうまくいきそうだ。




